キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2018年12月31日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今日読んだ箇所から↓

御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

ヨハネの黙示録 22:1-5

ヨハネの黙示録は神様が地上に裁きを与える場面が多くて読んでいて暗い気持ちになりましたが、この場面は明るくて心が安らぎます(*'ω'*)

これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使の足もとにひれ伏して拝そうとすると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間である。ただ神だけを拝しなさい」。

ヨハネの黙示録 22:8-9

御使も謙遜するのですねぇ。
御使も使徒預言者も、私のようなヒラ信徒も、神様の前では対等な僕(しもべ)仲間なのですね。

御霊も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにそれを受けるがよい。

ヨハネの黙示録 22:17

ヨハネの黙示録には神様の恐ろしい面が多く描かれていましたが、神様は救いが必要な人を招き続ける愛ある存在だと思います。

さて、今日でヨハネの黙示録が読み終わりました!
明日から旧約聖書の創世記を読んでいきたいと思います。