キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2018年12月14日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

ヨハネの黙示録は中々ボリュームがあるので今朝から一章ずつ読むことにしました。
今朝読んだ箇所から↓

ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。見よ、サタンの会堂に属する者、すなわち、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくて、偽る者たちに、こうしよう。見よ、彼らがあなたの足もとにきて平伏するようにし、そして、わたしがあなたを愛していることを、彼らに知らせよう。

ヨハネの黙示録 3:7-9

この世で迫害されているような人たちでも、神様は人間の価値観ではなくご自身の価値観で天国での栄光を与えるのだなぁ。
迫害を受けると自分が信じているものが正しいのか自信がなくなりそうですが、そんな時には神様が励ましてくれるのでしょうね。

すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。

ヨハネの黙示録 3:19-20

こちらはラオデキヤにある教会に送った言葉です。
「悔い改める」とは自分の罪を反省することだけでなく、神様の呼びかけに応じることでもあるのかしらと思います。
取税人とイエスが共に食事をする場面を思い出しました(*'ω'*)