2020年3月8日デボーション
今日の礼拝もネット中継でした…。
外に一切出ないと眠くなっちゃいます_(:3 」∠)_
王とハマンは王妃エステルの酒宴に臨んだ。
このふつか目の酒宴に王はまたエステルに言った、「王妃エステルよ、あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。
エステル記7章1-2節
いよいよエステルの酒宴が始まります♪
王はまた「あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる。」と言っていますね。
王のエステルへの情の深さが伺えますねぇ。
王妃エステルは答えて言った、「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、わたしの求めにしたがってわたしの命をわたしに与え、またわたしの願いにしたがってわたしの民をわたしに与えてください。
わたしとわたしの民は売られて滅ぼされ、殺され、絶やされようとしています。もしわたしたちが男女の奴隷として売られただけなら、わたしは黙っていたでしょう。わたしたちの難儀は王の損失とは比較にならないからです」。
アハシュエロス王は王妃エステルに言った、「そんな事をしようと心にたくらんでいる者はだれか。またどこにいるのか」。
エステルは言った、「そのあだ、その敵はこの悪いハマンです」。そこでハマンは王と王妃の前に恐れおののいた。
王は怒って酒宴の席を立ち、宮殿の園へ行ったが、ハマンは残って王妃エステルに命ごいをした。彼は王が自分に害を加えようと定めたのを見たからである。
エステル記7章3-7節
王はエステルの言葉を素直に受け入れたようです!
エステルが「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、」と話し始めているところに、エステルの慎重さと恐れが現れているような気がします。
エステルの必死の訴えはアハシュエロス王に伝わったようです。
一方のハマンは自分の地位が揺らぐことに恐怖を抱いているようです。
王が宮殿の園から酒宴の場所に帰ってみると、エステルのいた長いすの上にハマンが伏していたので、王は言った、「彼はまたわたしの家で、しかもわたしの前で王妃をはずかしめようとするのか」。この言葉が王の口から出たとき、人々は、ハマンの顔をおおった。
その時、王に付き添っていたひとりの侍従ハルボナが「王のためによい事を告げたあのモルデカイのためにハマンが用意した高さ五十キュビトの木がハマンの家に立っています」と言ったので、王は「彼をそれに掛けよ」と言った。
そこで人々はハマンをモルデカイのために備えてあったその木に掛けた。こうして王の怒りは和らいだ。
エステル記7章8-10節
ハマンはモルデカイをかけるために用意した木に自分がかけられることになってしまいました!
民話のような因果応報ですねぇ。
神様の計画はユダヤ人以外にも及ぶのでしょうね。
それにしても、アハシュエロス王が今まで重用していたハマンをあっさり罰したのがなんか意外です。
前の章でモルデカイの功績を思い出したのも、王がハマンへの不信を抱く要因となったのかしら。
2020年3月7日デボーション
はてなブログ的におはようございます( ´ ▽ ` )ノ
今日読んだ箇所ではちょっとした動きがあります(`・ω・´)
その夜、王は眠ることができなかったので、命じて日々の事をしるした記録の書を持ってこさせ、王の前で読ませたが、
その中に、モルデカイがかつて王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタナとテレシのふたりが、アハシュエロス王を殺そうとねらっていることを告げた、としるされているのを見いだした。
エステル記6章1-2節
眠れない時に眠くなるまで何かを読むことってよくありますよね。
私の場合、ネットをよく見るので余計眠れなくなります_(:3 」∠)_
そんなことより、アハシュエロス王はモルデカイが暗殺計画を告発したことを忘れていたんですね。
それとも記録には残したけれど王本人には知らされてなかった?
そこで王は言った、「この事のために、どんな栄誉と爵位をモルデカイに与えたか」。王に仕える侍臣たちは言った、「何も彼に与えていません」。
王は言った、「庭にいるのはだれか」。この時ハマンはモルデカイのために設けた木にモルデカイを掛けることを王に申し上げようと王宮の外庭にはいってきていた。
王の侍臣たちが「ハマンが庭に立っています」と王に言ったので、王は「ここへ、はいらせよ」と言った。
やがてハマンがはいって来ると王は言った、「王が栄誉を与えようと思う人にはどうしたらよかろうか」。ハマンは心のうちに言った、「王はわたし以外にだれに栄誉を与えようと思われるだろうか」。
エステル記6章3-6節
ハマン、何やら盛大な勘違いをしていますよ…?
なんか読んでるだけの私も恥ずかしくなってきます(*_*)
ハマンは王に言った、「王が栄誉を与えようと思われる人のためには、
王の着られた衣服を持ってこさせ、また王の乗られた馬、すなわちその頭に王冠をいただいた馬をひいてこさせ、
その衣服と馬とを王の最も尊い大臣のひとりの手にわたして、王が栄誉を与えようと思われる人にその衣服を着させ、またその人を馬に乗せ、町の広場を導いて通らせ、『王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ』とその前に呼ばわらせなさい」。
それで王はハマンに言った、「急いであなたが言ったように、その衣服と馬とを取り寄せ、王の門に座しているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたが言ったことを一つも欠いてはならない」。
そこでハマンは衣服と馬とを取り寄せ、モルデカイにその衣服を着せ、彼を馬に乗せて町の広場を通らせ、その前に呼ばわって、「王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ」と言った。
こうしてモルデカイは王の門に帰ってきたが、ハマンは憂え悩み、頭をおおって急いで家に帰った。
エステル記6章7-12節
ハマン、自分がもらうつもりで言ったこと全てがモルデカイに与えられてしまい悔しそうです…。
でもモルデカイが報われて良かった!木に括られるのも回避しました!
そしてハマンは自分の身に起った事をことごとくその妻ゼレシと友だちに告げた。するとその知者たちおよび妻ゼレシは彼に言った、「あのモルデカイ、すなわちあなたがその人の前に敗れ始めた者が、もしユダヤ人の子孫であるならば、あなたは彼に勝つことはできない。必ず彼の前に敗れるでしょう」。
彼らがなおハマンと話している時、王の侍従たちがきてハマンを促し、エステルが設けた酒宴に臨ませた。
エステル記6章13-14節
「ユダヤ人は強い」という認識がペルシャ帝国の中であったのでしょうか?
ユダヤ人の先祖たちが海を渡ってエジプトから逃げ出したことは当時から有名だったのかしら?
さてさて、次の章でやっとエステルの酒宴が始まるようです_(:3 」∠)_
2020年3月6日デボーション
新型コロナウィルスのせいでめちゃくちゃ暇なので、しばらくはデボーション投稿を続けられそうです(`・ω・´)
三日目にエステルは王妃の服を着、王宮の内庭に入り、王の広間にむかって立った。王は王宮の玉座に座して王宮の入口にむかっていたが、
王妃エステルが庭に立っているのを見て彼女に恵みを示し、その手にある金の笏をエステルの方に伸ばしたので、エステルは進みよってその笏の頭にさわった。
エステル記 5章1-2節
三日間の断食の後、エステルは王宮に向かいました。
勝手に王宮に入って殺されてしまうリスクもあったと思うのですが、アハシュエロス王に笏を差し出されたことで免れましたε-(´∀`; )
王は彼女に言った、「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」。
エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、きょうわたしが王のために設けた酒宴に、ハマンとご一緒にお臨みください」。
そこで王は「ハマンを速く連れてきて、エステルの言うようにせよ」と言い、やがて王とハマンはエステルの設けた酒宴に臨んだ。
エステル記5章3-5節
事態の元凶であるハマンも交えて、エステルは説得するようですね!
しかし、王に「国の半ばでもあなたに与えよう」と言わしめるエステルってすごいですね…。
よっぽど魅力的な人だったんだろうなぁ。
同時に王の傲慢さも伺える発言ですが…。
酒宴の時、王はエステルに言った、「あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。
エステルは答えて言った、「わたしの求め、わたしの願いはこれです。
もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしわたしの求めを許し、わたしの願いを聞きとどけるのをよしとされるならば、ハマンとご一緒に、あすまた、わたしが設けようとする酒宴に、お臨みください。わたしはあす王のお言葉どおりにいたしましょう」。
エステル記5章6-8節
あ、説得は翌日に持ち越しなんですね…。
エステルは翌日の酒宴に何を用意するのでしょう?
こうしてハマンはその日、心に喜び楽しんで出てきたが、ハマンはモルデカイが王の門にいて、自分にむかって立ちあがりもせず、また身動きもしないのを見たので、モルデカイに対し怒りに満たされた。
しかしハマンは耐え忍んで家に帰り、人をやってその友だちおよび妻ゼレシを呼んでこさせ、
そしてハマンはその富の栄華と、そのむすこたちの多いことと、すべて王が自分を重んじられたこと、また王の大臣および侍臣たちにまさって自分を昇進させられたことを彼らに語った。
エステル記5章9-11節
ハマンはこの世での栄華に捉われていたんだなぁ、とクリスチャンとしては感じてしまいます。
自分の地位を脅かすモルデカイは邪魔者でしかなかったんだなぁ。
ハマンはまた言った、「王妃エステルは酒宴を設けたが、わたしのほかはだれも王と共にこれに臨ませなかった。あすもまたわたしは王と共に王妃に招かれている。
しかしユダヤ人モルデカイが王の門に座しているのを見る間は、これらの事もわたしには楽しくない」。
その時、妻ゼレシとすべての友は彼に言った、「高さ五十キュビトの木を立てさせ、あすの朝、モルデカイをその上に掛けるように王に申し上げなさい。そして王と一緒に楽しんでその酒宴においでなさい」。ハマンはこの事をよしとして、その木を立てさせた。
エステル記5章12-14節
朝!?えっ朝!?モルデカイ大ピンチ!!
それにしてもハマンの妻と友人が「邪魔なものは片付けてから楽しめばいいんだよー」みたいなノリでこの提案してくるの、めちゃくちゃ怖いですね…。
2020年3月5日デボーション
朝に聖書を読んで夜にデボーション投稿する、そんな日常です。
モルデカイはすべてこのなされたことを知ったとき、その衣を裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、町の中へ行って大声をあげ、激しく叫んで、
王の門の入口まで行った。荒布をまとっては王の門の内にはいることができないからである。
すべて王の命令と詔をうけ取った各州ではユダヤ人のうちに大いなる悲しみがあり、断食、嘆き、叫びが起り、また荒布をまとい、灰の上に座する者が多かった。
エステルの侍女たちおよび侍従たちがきて、この事を告げたので、王妃は非常に悲しみ、モルデカイに着物を贈り、それを着せて、荒布を脱がせようとしたが受けなかった。
エステル記 4章1-4節
モルデカイの怒りと悲しみは激しそうです。そりゃそうですね。
そういえばこの時のエルサレムはペルシャの統治下にあったはずですが、ユダヤの神殿があるエルサレムでもユダヤ人虐殺が行われる予定だったのかしら?
バビロン帝国から解放されてすぐにそりゃないぜ!
モルデカイは自分の身に起ったすべての事を彼に告げ、かつハマンがユダヤ人を滅ぼすことのために王の金庫に量り入れると約束した銀の正確な額を告げた。
また彼らを滅ぼさせるために、スサで発布された詔書の写しを彼にわたし、それをエステルに見せ、かつ説きあかし、彼女が王のもとへ行ってその民のために王のあわれみを請い、王の前に願い求めるように彼女に言い伝えよと言った。
エステル記 4章7-8節
モルデカイはエステルに助けを求めました!
エステルはどうする…?
エステルはハタクに命じ、モルデカイに言葉を伝えさせて言った、
「王の侍臣および王の諸州の民は皆、男でも女でも、すべて召されないのに内庭にはいって王のもとへ行く者は、必ず殺されなければならないという一つの法律のあることを知っています。ただし王がその者に金の笏を伸べれば生きることができるのです。しかしわたしはこの三十日の間、王のもとへ行くべき召をこうむらないのです」。
エステル記 4章10-11節
王妃の身分であっても、王の元へ自由に行ける訳ではないのかぁ。
ペルシャ王、気難しすぎやしませんか?
モルデカイは命じてエステルに答えさせて言った、「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。
あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」。
エステル記 4章13-14
ドキッとするモルデカイの言葉…。
「自分だけは大丈夫」と思って身近な人の危機を無視しようとすること、私にもある気がする。
いや、命の危機みたいな重大なものは滅多に無いのですが…。
そこでエステルは命じてモルデカイに答えさせた、
「あなたは行ってスサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために断食してください。三日のあいだ夜も昼も食い飲みしてはなりません。わたしとわたしの侍女たちも同様に断食しましょう。そしてわたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。
モルデカイは行って、エステルがすべて自分に命じたとおりに行った。
エステル記 4章15-17節
エステルは命の危険を犯して、ユダヤの人々を助けるために動き出しました。
私にここまでのことができるだろうか?
きっと、エステルと同じような状況になったら信仰より自分の命を優先させてしまうかもしれない。
…それとは関係なく踏み絵を踏まされそうになったら「イエス様はもっとイケメンだろうがー!」と思いっきり踏みつけそうですが_(:3 」∠)_
2020年3月4日デボーション
忘れるところでした!
ちゃんと朝に読んでいたのですが、日付変わっちゃいました_(:3 」∠)_
これらの事の後、アハシュエロス王はアガグびとハンメダタの子ハマンを重んじ、これを昇進させて、自分と共にいるすべての大臣たちの上にその席を定めさせた。
王の門の内にいる王の侍臣たちは皆ひざまずいてハマンに敬礼した。これは王が彼についてこうすることを命じたからである。しかしモルデカイはひざまずかず、また敬礼しなかった。
そこで王の門にいる王の侍臣たちはモルデカイにむかって、「あなたはどうして王の命令にそむくのか」と言った。
彼らは毎日モルデカイにこう言うけれども聞きいれなかったので、その事がゆるされるかどうかを見ようと、これをハマンに告げた。なぜならモルデカイはすでに自分のユダヤ人であることを彼らに語ったからである。
エステル記 3章1-4節
モルデカイは自分が信仰する神以外には膝まずきたくなかったのかな。
同じ信仰を持たない人から見れば、モルデカイの行動が国への反逆に見えても仕方ないのかも。
パウロも「信仰者は信仰を持たない人から見れば狂っているように見える」的なことを書いていたような気がするし。
ハマンはモルデカイのひざまずかず、また自分に敬礼しないのを見て怒りに満たされたが、
ただモルデカイだけを殺すことを潔しとしなかった。彼らがモルデカイの属する民をハマンに知らせたので、ハマンはアハシュエロスの国のうちにいるすべてのユダヤ人、すなわちモルデカイの属する民をことごとく滅ぼそうと図った。
エステル記 3章5-6節
おおう…。怒りが有り余って民族ごと八つ当たりするのですね…。
自分に膝まずかない人が居たからってそんなに怒る感覚も分からないけど_(:3 」∠)_
そしてハマンはアハシュエロス王に言った、「お国の各州にいる諸民のうちに、散らされて、別れ別れになっている一つの民がいます。その法律は他のすべての民のものと異なり、また彼らは王の法律を守りません。それゆえ彼らを許しておくことは王のためになりません。
エステル記 3章8節
クリスチャンもこんな風に思われているのかしら…?
自分の信仰を守りつつ、平和に暮らしたいだけなんだけどなぁ。
君が代を歌うのを拒否するクリスチャンは居るかもだけど。
そして急使をもってその書を王の諸州に送り、十二月すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちにすべてのユダヤ人を、若い者、老いた者、子供、女の別なく、ことごとく滅ぼし、殺し、絶やし、かつその貨財を奪い取れと命じた。
エステル記 3章13節
この節見て、なんか織田信長を思い出しました_(:3 」∠)_
自分の感情をコントロールできない人がトップに居ると、いつの時代も大変だねぇ。
年齢や性別を問わず命を奪う上に財産も奪うとは、ゲスい…。
急使は王の命令により急いで出ていった。この詔は首都スサで発布された。時に王とハマンは座して酒を飲んでいたが、スサの都はあわて惑った。
エステル記 3章15節
アハシュエロス王と同じようなことをしている方がどこかの国の首相にいらっしゃったような((←
よくよく考えるとハマンを重用したように、お友達を優遇しているところも似ていr…
おっと、こんな時間に誰か来たようだ。
2020年3月3日デボーション
はてなブログ的におはようございます( ´ ▽ ` )ノ
今日はエステル記の2章を読みました!
これらのことの後、アハシュエロス王の怒りがとけ、王はワシテおよび彼女のしたこと、また彼女に対して定めたことを思い起した。
時に王に仕える侍臣たちは言った、「美しい若い処女たちを王のために尋ね求めましょう。
どうぞ王はこの国の各州において役人を選び、美しい若い処女をことごとく首都スサにある婦人の居室に集めさせ、婦人をつかさどる王の侍従ヘガイの管理のもとにおいて、化粧のための品々を彼らに与えてください。
こうして御意にかなうおとめをとって、ワシテの代りに王妃としてください」。王はこの事をよしとし、そのように行った。
エステル記 2章1-4節
アハシュエロス王はワシテを追い出したことを後悔していたのかしら?
それにしても「美しい若い処女」という言葉のなんとも気色悪い響きはなんだろう?
さて首都スサにひとりのユダヤ人がいた。名をモルデカイといい、キシのひこ、シメイの孫、ヤイルの子で、ベニヤミンびとであった。
彼はバビロンの王ネブカデネザルが捕えていったユダの王エコニヤと共に捕えられていった捕虜のひとりで、エルサレムから捕え移された者である。
彼はそのおじの娘ハダッサすなわちエステルを養い育てた。彼女には父も母もなかったからである。このおとめは美しく、かわいらしかったが、その父母の死後、モルデカイは彼女を引きとって自分の娘としたのである。
エステル記 2章5-7節
バビロン捕囚が終わった後も元の場所に戻れなかったユダヤ人が居たんだなぁ…。
そしていよいよエステルの登場です(`・ω・´)
エステルもアハシュエロス王の王妃候補として王宮へ連れて行かれてしまいます…。
エステルは自分の民のことをも、自分の同族のことをも人に知らせなかった。モルデカイがこれを知らすなと彼女に命じたからである。
モルデカイはエステルの様子および彼女がどうしているかを知ろうと、毎日婦人の居室の庭の前を歩いた。
エステル記 2章10-11節
エステルとモルデカイの関係性が感じられて好きな箇所です。
エステルを心配するモルデカイを想像するとなんか可愛い。
さてモルデカイのおじアビハイルの娘、すなわちモルデカイが引きとって自分の娘としたエステルが王の所へ行く順番となったが、彼女は婦人をつかさどる王の侍従ヘガイが勧めた物のほか何をも求めなかった。エステルはすべて彼女を見る者に喜ばれた。
エステルがアハシュエロス王に召されて王宮へ行ったのは、その治世の第七年の十月、すなわちテベテの月であった。
王はすべての婦人にまさってエステルを愛したので、彼女はすべての処女にまさって王の前に恵みといつくしみとを得た。王はついに王妃の冠を彼女の頭にいただかせ、ワシテに代って王妃とした。
そして王は大いなる酒宴を催して、すべての大臣と侍臣をもてなした。エステルの酒宴がこれである。また諸州に免税を行い、王の大きな度量にしたがって贈り物を与えた。
エステル記 2章15-18節
顔で選抜されたエステルだったけれど、謙虚な性格も王に評価されたのかしら。
人間性を一切見てもらえずに顔だけで王妃に選ばれたとしたらエステルがかわいそう_(:3 」∠)_
国を挙げてエステルの即位を祝っているようだけれど、この時前の王妃のワシテはどうしてたんだろう?
そのころ、モルデカイが王の門にすわっていた時、王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタンとテレシのふたりが怒りのあまりアハシュエロス王を殺そうとねらっていたが、
その事がモルデカイに知れたので、彼はこれを王妃エステルに告げ、エステルはこれをモルデカイの名をもって王に告げた。
その事が調べられて、それに相違ないことがあらわれたので、彼らふたりは木にかけられた。この事は王の前で日誌の書にかきしるされた。
エステル記 2章21-23節
ビグタンとテレシはワシテの関係者かしら?
それともアハシュエロス王は単に人望が無かったのかしら?
モルデカイはエステルが王宮に入ってどう思ったんだろう?
寂しくなかったのかしら?
2020年3月2日デボーション
お久しぶりのデボーション投稿でございます(`_´)ゞ
今日からエステル記に入ったということで、キリの良いところから再開したいと思います。
ちなみに今日読んだ箇所には主人公、エステルは登場しません!残念!
アハシュエロスすなわちインドからエチオピヤまで百二十七州を治めたアハシュエロスの世、
アハシュエロス王が首都スサで、その国の位に座していたころ、
その治世の第三年に、彼はその大臣および侍臣たちのために酒宴を設けた。ペルシャとメデアの将軍および貴族ならびに諸州の大臣たちがその前にいた。
その時、王はその盛んな国の富と、その王威の輝きと、はなやかさを示して多くの日を重ね、百八十日に及んだ。
これらの日が終った時、王は王の宮殿の園の庭で、首都スサにいる大小のすべての民のために七日の間、酒宴を設けた。
エステル記 1章1-5節
いきなりアケメネス朝ペルシャから物語は始まります。
アケメネス朝ペルシャがバビロン帝国を滅ぼしたことでユダヤの人々はバビロン捕囚から解放されたんだっけな。
ペルシャ、なんか豊かそうな国です。
王妃ワシテもまたアハシュエロス王に属する王宮の内で女たちのために酒宴を設けた。
七日目にアハシュエロス王は酒のために心が楽しくなり、王の前に仕える七人の侍従メホマン、ビズタ、ハルボナ、ビグタ、アバグタ、ゼタルおよびカルカスに命じて、
王妃ワシテに王妃の冠をかぶらせて王の前にこさせよと言った。これは彼女が美しかったので、その美しさを民らと大臣たちに見せるためであった。
ところが、王妃ワシテは侍従が伝えた王の命令に従って来ることを拒んだので、王は大いに憤り、その怒りが彼の内に燃えた。
エステル記 1章9-12節
酔っ払いに呼び出されて、しかも見せ物にされるのは王妃ワシテも嫌だったでしょうね!!
逆ギレしたアハシュエロス王はどうするのでしょ?
そこで王は時を知っている知者に言った、――王はすべて法律と審判に通じている者に相談するのを常とした。
エステル記 1章13節
アハシュエロス王は遵法主義だったんですねぇ。
…ん?
「王妃ワシテは、アハシュエロス王が侍従をもって伝えた命令を行わないゆえ、法律に従って彼女にどうしたらよかろうか」。
メムカンは王と大臣たちの前で言った、「王妃ワシテはただ王にむかって悪い事をしたばかりでなく、すべての大臣およびアハシュエロス王の各州のすべての民にむかってもしたのです。
エステル記 1章15-16節
もし王がよしとされるならば、ワシテはこの後、再びアハシュエロス王の前にきてはならないという王の命令を下し、これをペルシャとメデアの法律の中に書きいれて変ることのないようにし、そして王妃の位を彼女にまさる他の者に与えなさい。
王の下される詔がこの大きな国にあまねく告げ示されるとき、妻たる者はことごとく、その夫を高下の別なく共に敬うようになるでしょう」。
エステル記 1章19-20節
遵法主義というか、自分で法律を作っちゃう感じなんですね。
ワシテ王妃は酔っ払いの誘いを断っただけで王妃の位を剥奪されるようです。
世が世なら#MeToo案件!!
王と大臣たちはこの言葉をよしとしたので、王はメムカンの言葉のとおりに行った。
王は王の諸州にあまねく書を送り、各州にはその文字にしたがい、各民族にはその言語にしたがって書き送り、すべて男子たる者はその家の主となるべきこと、また自分の民の言語を用いて語るべきことをさとした。
エステル記 1章21-22節
「妻は夫に従うべき」みたいな言葉、新約聖書にもありましたけれども、個人的にはその後に夫への戒めが妻への戒め以上に書かれていることを主張してぇです。
妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。
キリストが教会のかしらであって、自らは、からだなる教会の救主であられるように、夫は妻のかしらである。
そして教会がキリストに仕えるように、妻もすべてのことにおいて、夫に仕えるべきである。
夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。
キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。
それと同じく、夫も自分の妻を、自分のからだのように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。
自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。
エペソ人への手紙 5章22-29節
ペルシャでは夫が敬われるのと同じくらい、妻が愛されていただろうか?