キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2018年11月29日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

 

しかし、愛する者たちよ。こうは言うものの、わたしたちは、救にかかわる更に良いことがあるのを、あなたがたについて確信している。神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛を、お忘れになることはない。

ヘブル人への手紙 6:9-10

 

良い行いが人に理解されなくても、神様はちゃんと見ていて後で報われると思うのです(`・ω・´)

 

このようにして、一方では、前の戒めが弱くかつ無益であったために無効になると共に、(律法は、何事をも全うし得なかったからである)、他方では、さらにすぐれた望みが現れてきて、わたしたちを神に近づかせるのである。

ヘブル人への手紙 7:18-19

 

彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。律法は、弱さを身に負う人間を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである。

ヘブル人への手紙 7:27-28

 

キリスト・イエスはよく「教会の頭」と言われているのですが、この手紙では「大祭司」と呼ばれていますね。
エスは自分の体をいけにえにして神様に捧げることで、人の罪を贖ったのですね。

2018年11月28日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

 

さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。

ヘブル人への手紙 4:14-15

 

昨日投稿した箇所と重なってしまうのですが、やっぱりイエス様に自分の苦しみや痛みや弱さを理解してもらえるのってとても安心するなぁと思うのです。
そういう人に導いてもらえるのって、心強いですよね(`・ω・´)

 

このことについては、言いたいことがたくさんあるが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。

ヘブル人への手紙 5:11-14

 

ヘブルの人たちは聖書に習熟していたのに、信仰の基本から逸れてしまったみたいですね…。
教師にまでなった人たちにとって「乳を必要としている」という言葉はなかなかプライドを傷つけそうですが、ヘブルの人たちが救われるために必要だったからこそパウロは手紙に書いたのかもしれません。
謙虚さ、大事(`・ω・´)

2018年11月27日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

そして、今朝読んだ箇所から↓

このように、子たちは血と肉とに共にあずかっているので、イエスもまた同様に、それらをそなえておられる。それは、死の力を持つ者、すなわち悪魔を、ご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。

ヘブル人への手紙 2:14-15

主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである。

ヘブル人への手紙 2:18

エスがなぜ馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かせられたかというと、この世で一番汚いところに生まれることで人の汚い部分も理解し、その罪から救うためだと聞いたことがあります。
同じように、イエスが苦しみ蔑まれ死んでいったのは、同じように艱難に直面する人たちを救うためなのかもしれません。

兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。

ヘブル人への手紙 3:12-13

ちゃんと教会に行くようになって、信仰面でお互いを励ますことってとても大事だと気づきました。
私は良い教会に恵まれたなぁと思うのですが、ヘブルの教会はそうならなかったのかもしれません…。

2018年11月26日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

まずは昨日読んだところから↓

わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしは、祈の時にあなたをおぼえて、いつもわたしの神に感謝している。それは、主イエスに対し、また、すべての聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである。どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。

ピレモンヘの手紙 1:3-6

パウロの祈りはいつもあたたかいなぁと思います。

しかも、もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のもの、愛する兄弟としてである。とりわけ、わたしにとってそうであるが、ましてあなたにとっては、肉においても、主にあっても、それ以上であろう。そこで、もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれるなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい。もし、彼があなたに何か不都合なことをしたか、あるいは、何か負債があれば、それをわたしの借りにしておいてほしい。このパウロが手ずからしるす、わたしがそれを返済する。この際、あなたが、あなた自身をわたしに負うていることについては、何も言うまい。

ピレモンヘの手紙 1:16-19

パウロは一緒に囚われていたオネシモをピレモンのもとへ送るみたいです。
パウロみたいな度量を持ちてぇです。
人の罪を贖うために十字架で死んだイエスのようだ…。

2018年11月25日デボーション

※ハイクに投稿した文章と同じものです。

 

今朝読んだ箇所から↓

あなた自身を良いわざの模範として示し、人を教える場合には、清廉と謹厳とをもってし、非難のない健全な言葉を用いなさい。そうすれば、反対者も、わたしたちについてなんの悪口も言えなくなり、自ら恥じいるであろう。

テトスヘの手紙 2:7-8

良いクリスチャンの模範になりてぇです。
クリスチャンが少数派な日本だとクリスチャン一人の行動が誤解を招きかねないのが辛いです_(:3 」∠)_

わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。

テトスヘの手紙 3:3-5

聖書では神様が愛と慈しみの心を持つ存在で、その心で人の罪が赦されたことが繰り返し語られている気がします。

異端者は、一、二度、訓戒を加えた上で退けなさい。たしかに、こういう人たちは、邪道に陥り、自ら悪と知りつつも、罪を犯しているからである。

テトスヘの手紙 3:10-11

望まない罪を行う人たちが一人でも救われますように。

2018年11月24日デボーション

 

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。


今朝読んだ箇所から↓

御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。

テモテヘの第二の手紙 4:2-5

クリスチャンでも自分の罪と向き合うのは苦しいことだと思うのです。
そんな中で、もっと簡単な方法で天国に行ける方法を説く人がいたら、そちらに誘惑されてしまうかもしれません。

きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。

テトスヘの手紙 1:15

清い心を持って、清いものを見出したいです。

2018年11月23日デボーション

はてなハイクで投稿しているデボーションをブログにも投稿してみます。

文書はハイクのものと全く同じです。

今までの投稿はこちら↓ 

http://h.hatena.ne.jp/target?word=デボーション

最初の方はこちらに↓

http://h.hatena.ne.jp/target?word=聖書

(なぜかマルコの福音書10章から投稿してますが、夏頃からちゃんと新約聖書を最初から読んでますよ(`・ω・´))


今朝読んだ箇所から↓

そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。

テモテヘの第二の手紙 2:1-2

ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし、神の言はつながれてはいない。それだから、わたしは選ばれた人たちのために、いっさいのことを耐え忍ぶのである。それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。

テモテヘの第二の手紙 2:8-10

いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。

テモテヘの第二の手紙 3:12

パウロ(´;ω;`)
福音を伝えることによって迫害を受けてもパウロはイエスのことを強く信頼していたんだなぁ。
若いテモテに語りかける言葉がとても力強いです(*^^*)