キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年3月4日、5日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

昨日と今朝、読んだ箇所から↓

さて、モーセのしゅうと、ミデアンの祭司エテロは、神がモーセと、み民イスラエルとにされたすべての事、主がイスラエルをエジプトから導き出されたことを聞いた。それでモーセのしゅうと、エテロは、さきに送り返されていたモーセの妻チッポラと、そのふたりの子とを連れてきた。そのひとりの名はゲルショムといった。モーセが、「わたしは外国で寄留者となっている」と言ったからである。ほかのひとりの名はエリエゼルといった。「わたしの父の神はわたしの助けであって、パロのつるぎからわたしを救われた」と言ったからである。


出エジプト記 18:1-4


そういえば、モーセってエジプト人と結婚していたんだっけか…。エジプトを出る前に離婚していたんだな…。
モーセを追いかけて荒野まで来るなんて、お舅さん良い方!


そこでモーセはしゅうとを出迎えて、身をかがめ、彼に口づけして、互に安否を問い、共に天幕にはいった。そしてモーセは、主がイスラエルのために、パロとエジプトびととにされたすべての事、道で出会ったすべての苦しみ、また主が彼らを救われたことを、しゅうとに物語ったので、エテロは主がイスラエルをエジプトびとの手から救い出して、もろもろの恵みを賜わったことを喜んだ。そしてエテロは言った、「主はほむべきかな。主はあなたがたをエジプトびとの手と、パロの手から救い出し、民をエジプトびとの手の下から救い出された。今こそわたしは知った。実に彼らはイスラエルびとにむかって高慢にふるまったが、主はあらゆる神々にまさって大いにいますことを」。


出エジプト記 18:7-11


出エジプト記を読む私も、エテロと同じような気持ちです。モーセが記した御言葉を通して神様の偉大さを知る今日この頃です。
エテロは祭司ですから、きっとエジプト神をずっと信仰してきたと思うのです。そんな、いわゆる異邦人にも神様の御業は働くのですね。


あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。モーセのしゅうとは、彼がすべて民にしていることを見て、言った、「あなたが民にしているこのことはなんですか。あなたひとりが座し、民はみな朝から晩まで、あなたのまわりに立っているのはなぜですか」。モーセはしゅうとに言った、「民が神に伺おうとして、わたしの所に来るからです。彼らは事があれば、わたしの所にきます。わたしは相互の間をさばいて、神の定めと判決を知らせるのです」。モーセのしゅうとは彼に言った、「あなたのしていることは良くない。あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない。今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。あなたは民のために神の前にいて、事件を神に述べなさい。あなたは彼らに定めと判決を教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい。また、すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい。平素は彼らに民をさばかせ、大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ、小事件はすべて彼らにさばかせなさい。こうしてあなたを身軽にし、あなたと共に彼らに、荷を負わせなさい。あなたが、もしこの事を行い、神もまたあなたに命じられるならば、あなたは耐えることができ、この民もまた、みな安んじてその所に帰ることができよう」。


出エジプト記 18:13-23


現代の裁判と同じような制度ができましたね!
エテロはモーセを気遣い、主なる神に祈りつつモーセにアドバイスしているようです。私もこんな風に人にアドバイスできたらな…。
というか、エテロって旧約聖書では稀な思慮深さとハートフルさを兼ね備えた人物ですね!


そんなエテロはモーセにアドバイスをした後、エジプトに戻っていきます。


イスラエルの人々は、エジプトの地を出て後三月目のその日に、シナイの荒野にはいった。すなわち彼らはレピデムを出立してシナイの荒野に入り、荒野に宿営した。イスラエルはその所で山の前に宿営した。
さて、モーセが神のもとに登ると、主は山から彼を呼んで言われた、「このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げなさい、『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。
それでモーセは行って民の長老たちを呼び、主が命じられたこれらの言葉を、すべてその前に述べたので、民はみな共に答えて言った、「われわれは主が言われたことを、みな行います」。モーセは民の言葉を主に告げた。


出エジプト記 19:1-8


「鷲の翼に載せてわたしの所にこさせた。」って、なんか素敵な表現…。
神様の御業を見せられたイスラエル人は、神様との契約を結ぶことでより神様と近しい関係を築くようになるのかしら。


主はモーセに言われた、「見よ、わたしは濃い雲のうちにあって、あなたに臨むであろう。それはわたしがあなたと語るのを民に聞かせて、彼らに長くあなたを信じさせるためである」。モーセは民の言葉を主に告げた。


出エジプト記 19:9


三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた。


出エジプト記 19:16-19


自然の力強さを感じさせる箇所ですね…!聖書ってとても古い文章なのに、時折迫力ある表現が使われていますね。
そんな力強い自然を用いて、神様はイスラエル人たちに語りかけていますね。火山も雲も雷も、神様の御手の中にあるんだなぁ。


主はモーセに言われた、「下って行って民を戒めなさい。民が押し破って、主のところにきて、見ようとし、多くのものが死ぬことのないようにするためである。主に近づく祭司たちにもまた、その身をきよめさせなさい。主が彼らを打つことのないようにするためである」。モーセは主に言った、「民はシナイ山に登ることはできないでしょう。あなたがわたしたちを戒めて『山のまわりに境を設け、それをきよめよ』と言われたからです」。主は彼に言われた、「行け、下れ。そしてあなたはアロンと共に登ってきなさい。ただし、祭司たちと民とが、押し破って主のところに登ることのないようにしなさい。主が彼らを打つことのないようにするためである」。モーセは民の所に下って行って彼らに告げた。


出エジプト記 19:21-25


神様は強い言葉でモーセイスラエル人たちの所に行くよう告げてますね…。
これから何か恐ろしいことが起きるのかしら…。