キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年1月27日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 


今朝読んだ箇所から↓

イサクは年老い、目がかすんで見えなくなった時、長子エサウを呼んで言った、「子よ」。彼は答えて言った、「ここにおります」。イサクは言った。「わたしは年老いて、いつ死ぬかも知れない。それであなたの武器、弓矢をもって野に出かけ、わたしのために、しかの肉をとってきて、わたしの好きなおいしい食べ物を作り、持ってきて食べさせよ。わたしは死ぬ前にあなたを祝福しよう」。

創世記 27:1-4

イサク、とうとう死んでしまうみたいです…。

イサクがその子エサウに語るのをリベカは聞いていた。やがてエサウが、しかの肉を獲ようと野に出かけたとき、リベカはその子ヤコブに言った、「わたしは聞いていましたが、父は兄エサウに、『わたしのために、しかの肉をとってきて、おいしい食べ物を作り、わたしに食べさせよ。わたしは死ぬ前に、主の前であなたを祝福しよう』と言いました。それで、子よ、わたしの言葉にしたがい、わたしの言うとおりにしなさい。群れの所へ行って、そこからやぎの子の良いのを二頭わたしの所に取ってきなさい。わたしはそれで父のために、父の好きなおいしい食べ物を作りましょう。あなたはそれを持って行って父に食べさせなさい。父は死ぬ前にあなたを祝福するでしょう」。

創世記 27:5-10

リベカ…?えっ、なんでそんな自分の夫を欺くことを子どもにさせるの…?
25章にイサクはエサウを、リベカはヤゴブの方を愛したと書いてあったのですが、とはいえリベカ…。

そしてリベカの画策もあって、料理を持って来たヤゴブのことをイサクはエサウだと誤解してしまいます。

そして父イサクは彼に言った、「子よ、さあ、近寄ってわたしに口づけしなさい」。彼が近寄って口づけした時、イサクはその着物のかおりをかぎ、彼を祝福して言った、「ああ、わが子のかおりは、主が祝福された野のかおりのようだ。どうか神が、天の露と、地の肥えたところと、多くの穀物と、新しいぶどう酒とをあなたに賜わるように。もろもろの民はあなたに仕え、もろもろの国はあなたに身をかがめる。あなたは兄弟たちの主となり、あなたの母の子らは、あなたに身をかがめるであろう。あなたをのろう者はのろわれ、あなたを祝福する者は祝福される」。

創世記 27:26-29

目が見えない人が騙される場面に出くわすと、心が痛みますね…。
今日の箇所はなんだかモヤモヤした気分にさせるなぁ。

さて、エサウが鹿料理を持って帰って来ますが、ヤゴブが先にイサクから祝福を受けたことを知り憤ります。

エサウは父に言った、「父よ、あなたの祝福はただ一つだけですか。父よ、わたしを、わたしをも祝福してください」。エサウは声をあげて泣いた。父イサクは答えて彼に言った、「あなたのすみかは地の肥えた所から離れ、また上なる天の露から離れるであろう。あなたはつるぎをもって世を渡り、あなたの弟に仕えるであろう。しかし、あなたが勇み立つ時、首から、そのくびきを振り落すであろう」。こうしてエサウは父がヤコブに与えた祝福のゆえにヤコブを憎んだ。エサウは心の内で言った、「父の喪の日も遠くはないであろう。その時、弟ヤコブを殺そう」。

創世記 27:38-41

神様の祝福は無限なのに、イサクの祝福は限りがあったのだなぁ…。
エサウがヤゴブを殺そうとしているのを知ったリベカはヤゴブを逃がします。

兄の憤りが解けて、あなたのした事を兄が忘れるようになったならば、わたしは人をやって、あなたをそこから迎えましょう。どうして、わたしは一日のうちにあなたがたふたりを失ってよいでしょうか」。

創世記 27:45

偏っているとはいえ、リベカの愛が伝わってくる言葉です