キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2018年12月10日デボーション

※ハイクに投稿した文章と同じものです。

 

今朝読んだ箇所から↓

わたしたちは互に愛し合うべきである。これが、あなたがたの初めから聞いていたおとずれである。カインのようになってはいけない。彼は悪しき者から出て、その兄弟を殺したのである。なぜ兄弟を殺したのか。彼のわざが悪く、その兄弟のわざは正しかったからである。兄弟たちよ。世があなたがたを憎んでも、驚くには及ばない。わたしたちは、兄弟を愛しているので、死からいのちへ移ってきたことを、知っている。愛さない者は、死のうちにとどまっている。

ヨハネの第一の手紙 3:11-14

兄弟を愛そう(決意)
自分が人から憎まれるのはしょうがないと思うし「でも神様は私を愛してくれてるし」と思えるけど、自分が人を憎んでしまうのは、なんとかせねばなと思います。

なぜなら、たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。

ヨハネの第一の手紙 3:20

神様、人を憎む私をお赦しください。
人を愛する心をお与えください。

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。

ヨハネの第一の手紙 4:10-11

わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。

ヨハネの第一の手紙 4:19-20

「愛」のスタート地点は常に神様なんだなぁ…。
というか今日の箇所はもう、何も言えねぇ…(悪い意味で)。悔い改めます。
人を愛することは難しい…