キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年3月26日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

主はモーセに言われた。「正月の元日にあなたは会見の天幕なる幕屋を建てなければならない。そして、その中にあかしの箱を置き、垂幕で、箱を隔て隠し、また、机を携え入れ、それに並べるものを並べ、燭台を携え入れて、そのともしびをともさなければならない。あなたはまた金の香の祭壇を、あかしの箱の前にすえ、とばりを幕屋の入口にかけなければならない。
また燔祭の祭壇を会見の天幕なる幕屋の入口の前にすえ、洗盤を会見の天幕と祭壇との間にすえて、これに水を入れなければならない。また周囲に庭を設け、庭の門にとばりをかけなければならない。そして注ぎ油をとって、幕屋とその中のすべてのものに注ぎ、それとそのもろもろの器とを聖別しなければならない、こうして、それは聖となるであろう。あなたはまた燔祭の祭壇と、そのすべての器に油を注いで、その祭壇を聖別しなければならない。こうして祭壇は、いと聖なるものとなるであろう。
また洗盤と、その台とに油を注いで、これを聖別し、アロンとその子たちを会見の幕屋の入口に連れてきて、水で彼らを洗い、アロンに聖なる服を着せ、これに油を注いで聖別し、祭司の務をさせなければならない。また彼の子たちを連れてきて、これに服を着せ、その父に油を注いだように、彼らにも油を注いで、祭司の務をさせなければならない。彼らが油そそがれることは、代々ながく祭司職のためになすべきことである」。


出エジプト記 40:1-15


聖所が完成しても、まだまだ神様は言いたいことがあったようです。
ハイク最後のデボーション投稿なので神様の指示を全て引用してみましたが、なげぇですね。
「なんでこんなに…」という気も少ししますが、きっと神様がイスラエルの人々を守り導き、イスラエルの人々が神様と語らうのに必要なことだったのだと思います。


モーセはそのように行った。すなわち主が彼に命じられたように行った。第二年の正月になって、その月の元日に幕屋は建った。すなわちモーセは幕屋を建て、その座をすえ、その枠を立て、その横木をさし込み、その柱を立て、幕屋の上に天幕をひろげ、その上に天幕のおおいをかけた。主がモーセに命じられたとおりである。


出エジプト記 40:16-19


モーセは神様の指示に全て従いました。
この後も「主がモーセに命じられたとおりである。」という言葉が繰り返され、強調されていました。モーセの信仰が伺えます。
さて、神様に従ってイスラエルの人々はどうなったのでしょうか?


そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。


出エジプト記 40:34-38


神様は力強い導きをイスラエルの人々に与えました。
イスラエルの人々が神様からの呼びかけに応答することで、神様もまた大きな恵みを返したのだと思います。
神様の印である雲が旅路を行く間ずっとあったことは、イスラエルの人々にとってとても心強いことだったと思います。


うむ、ハイク最後の日に読むと勇気が出る投稿であった!
イカーの皆さんのほとんどはクリスチャンではないと思います。
でも、エジプトを追われたイスラエル人が神様の導きで約束の地にたどり着いたように、はてなハイクを追われた皆さんが心安らかに過ごせる場所を見つけることができるよう祈ってます。


よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。


マタイによる福音書 18:18-19

2019年3月25日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今日読んだ箇所から↓

彼らは青糸、紫糸、緋糸で、聖所の務のための編物の服を作った。またアロンのために聖なる服を作った。主がモーセに命じられたとおりである。

出エジプト記 39:1

今日読んだ箇所ではモーセの兄、アロンのための服を作ってました。
イスラエルの人々は28章に書かれていた神様からの指示通りに作っていたようです。
つまり、今日の箇所を引用しても同じような内容を再び投稿することになるのです( ̄▽ ̄)
ここ最近読んだ箇所がずっとそんな感じだったのがデボーション投稿をサボりがちだった理由の一つです…。

また胸当を巧みなわざをもって、エポデの作りのように作った。すなわち金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で作った。胸当は二つに折って四角にした。すなわち二つに折って、長さを一指当りとし、幅も一指当りとした。その中に宝石四列をはめた。すなわち、紅玉髄、貴かんらん石、水晶の列を第一列とし、第二列は、ざくろ石、るり、赤縞めのう、第三列は黄水晶、めのう、紫水晶、第四列は黄碧玉、縞めのう、碧玉であって、これらを金の編細工の中にはめ込んだ。その宝石はイスラエルの子たちの名にしたがい、その名と等しく十二とし、おのおの印の彫刻のように、十二部族のためにその名を刻んだ。

出エジプト記 39:8-14

宝石の種類まで指定してあったのに、ちゃんとイスラエル人の中に持っていた人が居て、しかもその人が心から喜んでその宝石を捧げたってすごいことですよね。
高価な材料ばかり登場して忘れがちですが、モーセたちは荒野の中に居るんですよね…。宝石どころかその日食べるものを用意できるかも危うい場所で壮麗な聖所を作るように命じた、神様の計画の深さが伺えますね。

こうして会見の天幕なる幕屋の、もろもろの工事が終った。イスラエルの人々はすべて主がモーセに命じられたようにおこなった。

出エジプト記 39:32

イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたように、そのすべての工事をした。モーセがそのすべての工事を見ると、彼らは主が命じられたとおりに、それをなしとげていたので、モーセは彼らを祝福した。

出エジプト記 39:42-43

モーセは「神様の命じたことだから成し遂げて当然だ!」という態度ではなく、イスラエル人たちの仕事を確認して、それをちゃんと祝福していますね。
イスラエルの人々が財産や労働を心から喜んで捧げたのは神様の働きかけもあると思いますが、イスラエルの人々の信仰からも来ていると思うのです。
なんと言いますか、私も人にしてもらったことを「当然」と思わずに感謝したり、喜べるようになりたいですね。全然できていませんが…。

今確認したら、明日読む箇所は出エジプト記の最終章でした!
明日は恐らくハイクにデボーションを投稿するのが最後になるので、余りのキリの良さに驚いております。
大事なことなので二度言いますが、神様の計画は深いですねぇ…!

2019年3月21日〜24日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

まためっちゃ投稿サボっちゃいました…。出エジプト記34章から38章までの中から気になるところを引用していきます。


主はモーセに言われた、「あなたは前のような石の板二枚を、切って造りなさい。わたしはあなたが砕いた初めの板にあった言葉を、その板に書くであろう。あなたは朝までに備えをし、朝のうちにシナイ山に登って、山の頂でわたしの前に立ちなさい。だれもあなたと共に登ってはならない。また、だれも山の中にいてはならない。また山の前で羊や牛を飼っていてはならない」。そこでモーセは前のような石の板二枚を、切って造り、朝早く起きて、主が彼に命じられたようにシナイ山に登った。彼はその手に石の板二枚をとった。


出エジプト記 34:1-4


よかった、モーセが怒りの余り割ってしまった証の板を再びもらえるそうです。
やっぱり文書で残ってないと、何事も不便ですものね!


ときに主は雲の中にあって下り、彼と共にそこに立って主の名を宣べられた。主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。モーセは急ぎ地に伏して拝し、そして言った、「ああ主よ、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、かたくなな民ですけれども、どうか主がわたしたちのうちにあって一緒に行ってください。そしてわたしたちの悪と罪とをゆるし、わたしたちをあなたのものとしてください」。


出エジプト記 34:5-9


主の栄光がモーセを通り過ぎたようですね。
「あわれみあり、恵あり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神」と神様を描写する箇所がありますが、今の讃美歌でもこんな風に神様を歌っている気がします。
「悪と、とがと、罪とをゆるす者」という箇所は、後のイエスの降誕も預言しているような気がします。
モーセがへり下りつつ「一緒に行ってください。」と祈ってますが、私も神様に対してこの様に謙遜な態度をとりたいです。


この後神様はモーセ十戒を語るのですが、もう先に出てきたので飛ばしちゃいます。


モーセイスラエルの人々の全会衆に言った、「これは主が命じられたことである。あなたがたの持ち物のうちから、主にささげる物を取りなさい。すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。すなわち金、銀、青銅。青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸、やぎの毛糸。あかね染めの雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、ともし油、注ぎ油と香ばしい薫香とのための香料、縞めのう、エポデと胸当とにはめる宝石。すべてあなたがたのうち、心に知恵ある者はきて、主の命じられたものをみな造りなさい。すなわち幕屋、その天幕と、そのおおい、その鉤と、その枠、その横木、その柱と、その座、箱と、そのさお、贖罪所、隔ての垂幕、机と、そのさお、およびそのもろもろの器、供えのパン、また、ともしびのための燭台と、その器、ともしび皿と、ともし油、香の祭壇と、そのさお、注ぎ油、香ばしい薫香、幕屋の入口のとばり、燔祭の祭壇およびその青銅の網、そのさおと、そのもろもろの器、洗盤と、その台、庭のあげばり、その柱とその座、庭の門のとばり、幕屋の釘、庭の釘およびそのひも、聖所における務のための編物の服、すなわち祭司の務をなすための祭司アロンの聖なる服およびその子たちの服」。


出エジプト記 35:4-19


たくさんの高価な材料と、たくさんの作るべきもの…。
「心から喜んでする者」という条件付きですが、集まるのでしょうか…?


イスラエルの人々の全会衆はモーセの前を去り、すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は、会見の幕屋の作業と、そのもろもろの奉仕と、聖なる服とのために、主にささげる物を携えてきた。


出エジプト記 35:20-21


そこで聖所のもろもろの工事をする賢い人々はみな、おのおのしていた工事をやめて、モーセに言った「民があまりに多く携えて来るので、主がせよと命じられた組立ての工事には余ります」。モーセは命令を発し、宿営中にふれさせて言った、「男も女も、もはや聖所のために、ささげ物をするに及ばない」。それで民は携えて来ることをやめた。材料はすべての工事をするのにじゅうぶんで、かつ余るからである。


出エジプト記 36:4-7


集まりましたね。それも有り余るほど…!
最近、サークルやバイトで何かと不足を感じる私ですが、この箇所を読んで勇気が湧いてきました(`・ω・´)
神様は必要なものを必ず用意してくださるのだなぁ。


また金で、二つのケルビムを造った。すなわち、これを打物造りとし、贖罪所の両端に置いた。一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に置いた。すなわちケルビムを贖罪所の一部として、その両端に造った。ケルビムは翼を高く伸べ、その翼で贖罪所をおおい、顔は互に向かい合った。すなわちケルビムの顔は贖罪所に向かっていた。


出エジプト記 37:7-9


贖罪所をおおうほどの翼を持った金のケルビム…。なんかすごそう…。
イスラエルの人々は神様のために惜しみなく壮大なものを作ったのですね。


ユダの部族に属するホルの子なるウリの子ベザレルは、主がモーセに命じられた事をことごとくした。ダンの部族に属するアヒサマクの子アホリアブは彼と共にあって彫刻、浮き織をなし、また青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸で、縫取りをする者であった。
聖所のもろもろの工作に用いたすべての金、すなわち、ささげ物なる金は聖所のシケルで、二十九タラント七百三十シケルであった。会衆のうちの数えられた者のささげた銀は聖所のシケルで、百タラント千七百七十五シケルであった。


出エジプト記 38:22-25


神様がモーセに指示を出す箇所と被ってしまうので大幅に省略したのですが、イスラエルの人々はモーセが聞いた通りに聖所を作っていきました。
荒野の中にありながら、高価な材料も人手も不足することなく満ち足りました。
銀百タラントってどれくらいだったのでしょうか?でも、すごく多いということはなんとなく分かります。
神様って、すごいですね。

 

あ、書くの忘れてましたが、35章19節にさらっとアロンが出てきているので、アロンは生きてるみたいですね。
前回の投稿でややこしくさせてしまいすみません…。

2019年3月19日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓アロンはどうなったのでしょうか…?


さて、主はモーセに言われた、「あなたと、あなたがエジプトの国から導きのぼった民とは、ここを立ってわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『これをあなたの子孫に与える』と言った地にのぼりなさい。わたしはひとりの使をつかわしてあなたに先立たせ、カナンびと、アモリびと、ヘテびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとを追い払うであろう。あなたがたは乳と蜜の流れる地にのぼりなさい。しかし、あなたがたは、かたくなな民であるから、わたしが道であなたがたを滅ぼすことのないように、あなたがたのうちにあって一緒にはのぼらないであろう」。


出エジプト記 33:1-3


神様は以前約束したように、イスラエル人たちをカナンの地に導くようです。
確か、クマバチの群れを前に置いてカナン人やアモリ人たちを追い払うんだっけ…。
しかも神様、カナンの地まで一緒に行ってくれないのか…!


民はこの悪い知らせを聞いて憂い、ひとりもその飾りを身に着ける者はなかった。主はモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは、かたくなな民である。もしわたしが一刻でも、あなたがたのうちにあって、一緒にのぼって行くならば、あなたがたを滅ぼすであろう。ゆえに、今、あなたがたの飾りを身から取り去りなさい。そうすればわたしはあなたがたになすべきことを知るであろう』」。それで、イスラエルの人々はホレブ山以来その飾りを取り除いていた。


出エジプト記 33:4-6


神様が共に行かないことを聞いて、イスラエル人たちは不安な様子です。
ところで、飾りってなんだろ…。信仰の印みたいなものでしょうか?


モーセは幕屋を取って、これを宿営の外に、宿営を離れて張り、これを会見の幕屋と名づけた。すべて主に伺い事のある者は出て、宿営の外にある会見の幕屋に行った。モーセが出て、幕屋に行く時には、民はみな立ちあがり、モーセが幕屋にはいるまで、おのおのその天幕の入口に立って彼を見送った。モーセが幕屋にはいると、雲の柱が下って幕屋の入口に立った。そして主はモーセと語られた。民はみな幕屋の入口に雲の柱が立つのを見ると、立っておのおの自分の天幕の入口で礼拝した。人がその友と語るように、主はモーセと顔を合わせて語られた。こうしてモーセは宿営に帰ったが、その従者なる若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋を離れなかった。


出エジプト記 33:7-11


神様がモーセに命じた幕屋よりずっと簡素なものな気がします。それでもモーセは神様と語り合うための場所を用意したのですね。
「人がその友と語るように」、私も神様と語り合ってみたいです。


モーセは主に言った、「ごらんください。あなたは『この民を導きのぼれ』とわたしに言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて『わたしはお前を選んだ。お前はまたわたしの前に恵みを得た』と仰せになりました。それで今、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、どうか、あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵みを得させてください。また、この国民があなたの民であることを覚えてください」。主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。


出エジプト記 33:12-14


モーセが「わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。」と言っているということは、アロンはやはり神様に撃たれてしまったのでしょうか…?
不安に思う時、助け手が欲しい時、祈れば神様は聞いてくださるのですね。


主は言われた、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ」。また言われた、「しかし、あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はないからである」。そして主は言われた、「見よ、わたしのかたわらに一つの所がある。あなたは岩の上に立ちなさい。わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、わたしが通り過ぎるまで、手であなたをおおうであろう。そしてわたしが手をのけるとき、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は見ないであろう」。


出エジプト記 33:19-23


なんかよく分からないけど、次の章ですごいことが起こりそうです(`・ω・´)

2019年3月14日〜18日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

えー、かなりデボーション投稿をサボってしまいました…。出エジプト記の28章から32章の間の気になった箇所を引用しつつ個人的見解または感想を書いていきますー。


またイスラエルの人々のうちから、あなたの兄弟アロンとその子たち、すなわちアロンとアロンの子ナダブ、アビウ、エレアザル、イタマルとをあなたのもとにこさせ、祭司としてわたしに仕えさせ、またあなたの兄弟アロンのために聖なる衣服を作って、彼に栄えと麗しきをもたせなければならない。あなたはすべて心に知恵ある者、すなわち、わたしが知恵の霊を満たした者たちに語って、アロンの衣服を作らせ、アロンを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。


出エジプト記 28:1-3


モーセの兄、アロンとその子孫は神様から司祭の役目を与えられました!
…与えられたと思ったんですよ、四日前は…。
今日読んだ箇所を見てくださいよ…。↓


民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。アロンは彼らに言った、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」。そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。


出エジプト記 32:1-4


おいコラ、アロン!何してんねんアロン!
偶像崇拝なんかしたらアカンやろ!!!
思わずエセ関西弁になってしまいました…。今日読んで、本当に驚いた箇所です…。
「せっかく司祭を任されたのに、アロンはこの後どうなるんだろう?」というモヤモヤを抱えたまま四日前に読んだ28章を振り返っていきます…。


あなたは二つの縞めのうを取って、その上にイスラエルの子たちの名を刻まなければならない。すなわち、その名六つを一つの石に、残りの名六つを他の石に、彼らの生れた順に刻まなければならない。宝石に彫刻する人が印を彫刻するように、イスラエルの子たちの名をその二つの石に刻み、それを金の編細工にはめ、この二つの石をエポデの肩ひもにつけて、イスラエルの子たちの記念の石としなければならない。こうしてアロンは主の前でその両肩に彼らの名を負うて記念としなければならない。


出エジプト記 28:9-12


あなたはまたさばきの胸当を巧みなわざをもって作り、これをエポデの作りのように作らなければならない。すなわち金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、これを作らなければならない。これは二つに折って四角にし、長さは一指当り、幅も一指当りとしなければならない。またその中に宝石を四列にはめ込まなければならない。すなわち紅玉髄、貴かんらん石、水晶の列を第一列とし、第二列は、ざくろ石、るり、赤縞めのう。第三列は黄水晶、めのう、紫水晶。第四列は黄碧玉、縞めのう、碧玉であって、これらを金の編細工の中にはめ込まなければならない。その宝石はイスラエルの子らの名に従い、その名とひとしく十二とし、おのおの印の彫刻のように十二の部族のためにその名を刻まなければならない。


出エジプト記 28:15-21


宝石にイスラエルの子どもたちの名前を刻むのは神に選ばれた祖先の一人一人を心に置くこと、またその祖先から出た民族の一人一人を心に置くためなのかな、と思いました。
石って、なんか重そうですね。名前を刻むのも大変そうです…。


そしてあなたはこれをあなたの兄弟アロンおよび彼と共にいるその子たちに着せ、彼らに油を注ぎ、彼らを職に任じ、彼らを聖別し、祭司として、わたしに仕えさせなければならない。


出エジプト記 28:41


油を注ぐのは、旧約聖書の時代での祭司を任ずる行為でした。
エスもまた、油を注がれています↓
よくクリスチャン界隈でイエス・キリストは「祭司の中の祭司」と呼ばれているのですが、そのためです。


さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ使をするのか。それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。
エスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。


マタイによる福音書 26:6-13


さて、次の出エジプト記29章では家畜の捧げ方が書かれています。


あなたは彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせるために、次の事を彼らにしなければならない。すなわち若い雄牛一頭と、きずのない雄羊二頭とを取り、また種入れぬパンと、油を混ぜた種入れぬ菓子と、油を塗った種入れぬせんべいとを取りなさい。これらは小麦粉で作らなければならない。そしてこれを一つのかごに入れ、そのかごに入れたまま、かの一頭の雄牛および二頭の雄羊と共に携えてこなければならない。


出エジプト記 29:1-3


あなたは会見の幕屋の前に雄牛を引いてきて、アロンとその子たちは、その雄羊の頭に手を置かなければならない。そして会見の幕屋の入口で、主の前にその雄牛をほふり、その雄牛の血を取り、指をもって、これを祭壇の角につけ、その残りの血を祭壇の基に注ぎかけなさい。


出エジプト記 29:10-12


雄牛( ; ; )
他に連れてきた雄羊二頭も屠られ、神様に捧げられます。雄羊( ; ; )


あなたが祭壇の上にささぐべき物は次のとおりである。すなわち当歳の小羊二頭を毎日絶やすことなくささげなければならない。その一頭の小羊は朝にこれをささげ、他の一頭の小羊は夕にこれをささげなければならない。


出エジプト記 29:38-39


仔羊も毎日…。神様のためとはいえ辛いですね…。
旧約聖書の時代では沢山の家畜が捧げられていたようですが、現在のキリスト教の教会では羊を掻っ捌いて祭壇の上に載せる、というようなことはしません。
何故かと言いますと、イエス・キリストが十字架にかかったことで全ての人の罪が贖われ、家畜を掻っ捌いて神様に捧げる必要が無くなったからです。イエス・キリストが「神の子羊」とも呼ばれるのはそのためです。↓


その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。


ヨハネによる福音書 1:29-31


いや、私の罪のために十字架にかかったなんて、申し訳なくなってしまいます…。神様の愛は大きいです…。


主はモーセに言われた、「あなたがイスラエルの人々の数の総計をとるに当り、おのおのその数えられる時、その命のあがないを主にささげなければならない。これは数えられる時、彼らのうちに災の起らないためである。すべて数に入る者は聖所のシケルで、半シケルを払わなければならない。一シケルは二十ゲラであって、おのおの半シケルを主にささげ物としなければならない。すべて数に入る二十歳以上の者は、主にささげ物をしなければならない。あなたがたの命をあがなうために、主にささげ物をする時、富める者も半シケルより多く出してはならず、貧しい者もそれより少なく出してはならない。あなたはイスラエルの人々から、あがないの銀を取って、これを会見の幕屋の用に当てなければならない。これは主の前にイスラエルの人々のため記念となって、あなたがたの命をあがなうであろう」。


出エジプト記 30:11-16


今のキリスト教の礼拝で行われている献金に当たるものでしょうか?
因みに、イエス献金についてこう言っています。↓


エスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。


マルコによる福音書 12:41-44


さて、続きの出エジプト記31章を読んでいきま


主はまたモーセに言われた、「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。それゆえ、あなたがたは安息日を守らなければならない。これはあなたがたに聖なる日である。すべてこれを汚す者は必ず殺され、すべてこの日に仕事をする者は、民のうちから断たれるであろう。


出エジプト記 31:12-14


私、殺されますね…。安息日にもめちゃくちゃ働いてますもん…。
新約聖書の中で安息日について書いてある箇所はなかったかしら、と思って探してみたらこんな箇所を見つけました↓


あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月安息日などについて、だれにも批評されてはならない。これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。


コロサイ人への手紙 2:13-17


大切なのは主なる神だけを神として崇め、イエス・キリストによって罪が赦されたことを知ることなのだと思います。


さて、32章ではアロンやイスラエル人が偶像崇拝をしてしまい神様が激おこになります。災害も起こそうとします。


モーセはその神、主をなだめて言った、「主よ、大いなる力と強き手をもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか。どうしてエジプトびとに『彼は悪意をもって彼らを導き出し、彼らを山地で殺し、地の面から断ち滅ぼすのだ』と言わせてよいでしょうか。どうかあなたの激しい怒りをやめ、あなたの民に下そうとされるこの災を思い直し、あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、あなたが御自身をさして誓い、『わたしは天の星のように、あなたがたの子孫を増し、わたしが約束したこの地を皆あなたがたの子孫に与えて、長くこれを所有させるであろう』と彼らに仰せられたことを覚えてください」。それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。


出エジプト記 32:11-14


モーセの言葉を聞き、神様は災害を起こすことを思い直します。
神様は義なる方なので、一度言ったことは必ず実現なさる方なのです。


モーセは身を転じて山を下った。彼の手には、かの二枚のあかしの板があった。板はその両面に文字があった。すなわち、この面にも、かの面にも文字があった。その板は神の作、その文字は神の文字であって、板に彫ったものである。ヨシュアは民の呼ばわる声を聞いて、モーセに言った、「宿営の中に戦いの声がします」。しかし、モーセは言った、「勝どきの声でなく、敗北の叫び声でもない。わたしの聞くのは歌の声である」。モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。また彼らが造った子牛を取って火に焼き、こなごなに砕き、これを水の上にまいて、イスラエルの人々に飲ませた。


出エジプト記 32:15-20


え、証の板割っちゃって大丈夫なん…?
モーセがめちゃくちゃ怒ってるのは分かるんやけど、割って大丈夫なん…?


モーセは民がほしいままにふるまったのを見た。アロンは彼らがほしいままにふるまうに任せ、敵の中に物笑いとなったからである。モーセは宿営の門に立って言った、「すべて主につく者はわたしのもとにきなさい」。レビの子たちはみな彼のもとに集まった。そこでモーセは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『あなたがたは、おのおの腰につるぎを帯び、宿営の中を門から門へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ』」。レビの子たちはモーセの言葉どおりにしたので、その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。


出エジプト記 32:25-28


余りに多くの人が偶像崇拝に夢中になってしまったようです…。
そして突然のバイオレンス…。


モーセは主のもとに帰って、そして言った、「ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば――。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。主はモーセに言われた、「すべてわたしに罪を犯した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。しかし、今あなたは行って、わたしがあなたに告げたところに民を導きなさい。見よ、わたしの使はあなたに先立って行くであろう。ただし刑罰の日に、わたしは彼らの罪を罰するであろう」。そして主は民を撃たれた。彼らが子牛を造ったからである。それはアロンが造ったのである。


出エジプト記 32:31-35


神様は偶像崇拝から立ち返った人々を赦しましたが、それ以外の人々のことは裁かれました。
ていうか、ホンマにアロンどうなったん…?アロンのことが気になり過ぎてエセ関西弁になってまう…。


…関西の皆様、本当にすみません。

2019年3月13日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今日読んだ箇所から↓

あなたはまたアカシヤ材で祭壇を造らなければならない。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角で、高さは三キュビトである。その四すみの上にその一部としてそれの角を造り、青銅で祭壇をおおわなければならない。また灰を取るつぼ、十能、鉢、肉叉、火皿を造り、その器はみな青銅で造らなければならない。また祭壇のために青銅の網細工の格子を造り、その四すみで、網の上に青銅の環を四つ取り付けなければならない。その網を祭壇の出張りの下に取り付け、これを祭壇の高さの半ばに達するようにしなければならない。また祭壇のために、さおを造らなければならない。すなわちアカシヤ材で、さおを造り、青銅で、これをおおわなければならない。そのさおを環に通し、さおを祭壇の両側にして、これをかつがなければならない。祭壇は板で空洞に造り、山で示されたように、これを造らなければならない。


出エジプト記 27:1-8


青銅も、きっと当時は貴重な金属ですよね…。
今まで書かれていたものは金が使われていましたが、祭壇は青銅を使うのですね。何か意味があるのかしら?
あと、さおをつけて担ぐようにしたのは持ち運びをするため?


あなたはまた幕屋の庭を造り、両側では庭のために長さ百キュビトの亜麻の撚糸のあげばりを設け、その一方に当てなければならない。その柱は二十、その柱の二十の座は青銅にし、その柱の鉤と桁とは銀にしなければならない。


出エジプト記 27:9-10


庭の門のために青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、色とりどりに織った長さ二十キュビトのとばりを設けなければならない。その柱は四つ、その座も四つ。庭の周囲の柱はみな銀の桁でつなぎ、その鉤は銀、その座は青銅にしなければならない。庭の長さは百キュビト、その幅は五十キュビト、その高さは五キュビトで、亜麻の撚糸の布を掛けめぐらし、その座を青銅にしなければならない。すべて幕屋に用いるもろもろの器、およびそのすべての釘、また庭のすべての釘は青銅で造らなければならない。


出エジプト記 27:16-19


庭も作るのですね!豪華だなぁ。
貴金属と色とりどりの糸をふんだんに使っていますねぇ。見てみたいなぁ。


あなたはまたイスラエルの人々に命じて、オリブをつぶして採った純粋の油を、ともし火のために持ってこさせ、絶えずともし火をともさなければならない。アロンとその子たちとは、会見の幕屋の中のあかしの箱の前にある垂幕の外で、夕から朝まで主の前に、そのともし火を整えなければならない。これはイスラエルの人々の守るべき世々変らざる定めでなければならない。


出エジプト記 27:20-21


荒野にオリーブってあるのかしら…?地中海沿岸とか瀬戸内海沿岸で育つイメージですが…。
「夕から朝まで」というと、夜の間ってことですよね。火事になったら大変ですし、ともし火を点けていたら眠れないですよね…。大変な仕事だ…!

2019年3月10日、11日、12日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

一昨日と昨日と今朝読んだ箇所から↓長くなってしまうので、個人的に気になった箇所だけ引用していきます。


こうしてモーセはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共にのぼって行った。そして、彼らがイスラエルの神を見ると、その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、澄み渡るおおぞらのようであった。神はイスラエルの人々の指導者たちを手にかけられなかったので、彼らは神を見て、飲み食いした。


出エジプト記 24:9-11


足元が澄み渡る大空のようなサファイア…。なんかすごそう…。神様の栄光が光り輝いているのかしら。
そんなキラキラした栄光の前でイスラエルの長老達は飲み食いしたのですね。神様は偉大な存在であり、且つそのそばで人々が休まることができる方なのかしら。


彼は長老たちに言った、「わたしたちがあなたがたの所に帰って来るまで、ここで待っていなさい。見よ、アロンとホルとが、あなたがたと共にいるから、事ある者は、だれでも彼らの所へ行きなさい」。こうしてモーセは山に登ったが、雲は山をおおっていた。主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日のあいだ、山をおおっていたが、七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。主の栄光は山の頂で、燃える火のようにイスラエルの人々の目に見えたが、モーセは雲の中にはいって、山に登った。そしてモーセは四十日四十夜、山にいた。


出エジプト記 24:14-18


燃える火のような主の栄光…。私も見てみたいな…。
神秘的な自然現象を用いて、神様はご自分を証されるんだなぁ。


主はモーセに言われた、「イスラエルの人々に告げて、わたしのためにささげ物を携えてこさせなさい。すべて、心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい。あなたがたが彼らから受け取るべきささげ物はこれである。すなわち金、銀、青銅、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸、やぎの毛糸、あかね染の雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、ともし油、注ぎ油と香ばしい薫香のための香料、縞めのう、エポデと胸当にはめる宝石。


出エジプト記 25:1-7


当時の情勢はよく分かりませんが、きっとどれも高級品ですよね…。日本でも紫や赤は高貴な色ですもんね…。
「荒野でどうやって用意するんだ?」と一瞬思いましたが、そういえばイスラエル人たちはエジプトを出る前にエジプト人たちから金品を奪っていたのですよね。
「これから荒野に行くっていうのに何故神様はエジプト人から金品を奪わせたのだろう?食べ物の方がええやん。」と思いつつ読んでいたのですが、ここで捧げ物をさせるためだったんですねぇ。
あと、「心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい。」って部分も重要ですよね。
神様は捧げ物それ自体ではなく、喜んで捧げ物をする人々の心を喜ぶのだと思うのです。


また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。
彼らはアカシヤ材で箱を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。あなたは純金でこれをおおわなければならない。すなわち内外ともにこれをおおい、その上の周囲に金の飾り縁を造らなければならない。また金の環四つを鋳て、その四すみに取り付けなければならない。すなわち二つの環をこちら側に、二つの環をあちら側に付けなければならない。またアカシヤ材のさおを造り、金でこれをおおわなければならない。そしてそのさおを箱の側面の環に通し、それで箱をかつがなければならない。さおは箱の環に差して置き、それを抜き放してはならない。そしてその箱に、わたしがあなたに与えるあかしの板を納めなければならない。


出エジプト記 25:8-16


キンキラキンキン!全部金!眩しそう!
「あかしの板」って、この後空から降ってくるアレですかね?
神様は他にも純金の贖罪所、金に覆われた机、純金の机を作らせます。キンキラキンキン!
後、どれも細かく作り方の指示をしています。イスラエル人、大変そうだぁ…!


あなたはまた十枚の幕をもって幕屋を造らなければならない。すなわち亜麻の撚糸、青糸、紫糸、緋糸で幕を作り、巧みなわざをもって、それにケルビムを織り出さなければならない。幕の長さは、おのおの二十八キュビト、幕の幅は、おのおの四キュビトで、幕は皆同じ寸法でなければならない。その幕五枚を互に連ね合わせ、また他の五枚の幕をも互に連ね合わせなければならない。その一連の端にある幕の縁に青色の乳をつけ、また他の一連の端にある幕の縁にもそのようにしなければならない。あなたは、その一枚の幕に乳五十をつけ、また他の一連の幕の端にも乳五十をつけ、その乳を互に相向かわせなければならない。


出エジプト記 26:1-5


高級な糸も惜しみなく使うんですねぇ。
「ケルビム」は天使のことのようです。偶像崇拝は禁じられていますが、天使は良いのかしら?紋様の一種だったのかも?
「28キュビト」ってどれくらいなんだろう?「あかしの板」を入れる箱が2.5キュビト×1キュビト×1キュビトだから、結構長いのかしら?
そんな長い幕を5枚、寸法を違わずに作るのって大変そう…。機織り機で作るのかな…?
あと、「青色の乳」ってなんじゃい。よく分からないけど、これも高級品なのかしら?


その垂幕の輪を鉤に掛け、その垂幕の内にあかしの箱を納めなさい。その垂幕はあなたがたのために聖所と至聖所とを隔て分けるであろう。また至聖所にあるあかしの箱の上に贖罪所を置かなければならない。そしてその垂幕の外に机を置き、幕屋の南側に、机に向かい合わせて燭台を置かなければならない。ただし机は北側に置かなければならない。あなたはまた天幕の入口のために青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、色とりどりに織ったとばりを作らなければならない。あなたはそのとばりのためにアカシヤ材の柱五つを造り、これを金でおおい、その鉤を金で造り、またその柱のために青銅の座五つを鋳て造らなければならない。


出エジプト記 26:33-37


今までの指示にあったものが組み上がってきました!
キンキラキンキンでカラフルな聖所ですねぇ。これだけ金銀その他高級を使ったら、エジプト人から奪った金品は全て使い切れそうですね。


しかし、2日連続神様の細かい指示書を読んだので頭が痛いです…。