キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

自分の信仰と性自認の話

夜中のテンションでまた書きたいこと書きます。

因みに今日のBGMはRAGFAIRです。

先ほどのYoutube配信、至福の時でした(о´∀`о)

 

さて、私はクリスチャンです。

聖書にはこんなことが書かれています。

 

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

創世記 1章27節

 

私の「男でも女でもない気がする」という性自認とは矛盾していますね。

 

これは、困った。

本当に困る。

 

私がQuestioningにしろXジェンダーにしろ、それを自認することは聖書の記述に反することなのです。

聖書と矛盾する行動はクリスチャンとしては何としても避けたいところです。

 

実は私は小学校高学年の頃からうっすら自分の性自認について気付いていました。

自分はどうも周りの人と違う感覚の持ち主だと気付いていました。

大学生になり、クリスチャンになった後もその違和感を持ち続けていました。

でも、無視をしていました。

何とか「女性のふり」ができていたからです。

 

そして、多分2年前くらいのことです。

とある出来事をきっかけに、私は自分の性自認を無視することはむしろ神様に対する罪なのではないかと気付きました。

何があったかは書きませんが、私は「女性のふり」をすることでこっそりと罪を犯していました。

あ、この場合の「罪」とは法律に定められるような犯罪のことではなく、聖書に書かれているような「人が神を離れたことにより犯す罪」、そんな類の罪です。

 

私は神様に罪を告白する祈りをし、その罪を神様が購うことを願いました。

同時に自分がこの性を自認して良いのか、神様が定めたパートナーと出会うのに大きな支障となるであろうこの妙な感覚を持っていても良いのか、祈り尋ねました。

祈り終えた後、胸のつかえが取れた感覚がありました。

私の祈りに対する神様の答えは"yes"だったのだと思います。

 

そういうことがあり、私はクリスチャンとしてのアイデンティティーとQuestioningあるいはXジェンダーとしてのアイデンティティーを両立させています。

クリスチャンの方にもクリスチャンでない方にも理解し難いことかもしれませんが、とにかくそういうことです。

 

さて、世間的にはクリスチャンとLGBTQ+は相入れないグループだと思います。

これもまたかなり困ります。

私はどちらのコミュニティにおいても自分の複雑なアイデンティティーを打ち明けられないのです。

 

クリスチャンコミュニティに関しては、一度信頼できるクリスチャンの友人の何人かと集まった時に自分がXジェンダーであることを話したことがあります。

そもそもXジェンダーという概念が知られていないので、正直あまり理解された気はしないのですが_(:3 」∠)_

そして自分の教会においては一度も話したことはありません。

私の「どの人も異性にも同性にも感じる」という性質のせいで色々誤解されたことがあったみたいなのですが、教会の人たちがセクシャルマイノリティーに対してどのように思っているか分からない以上、打ち明けるのはとても怖いです。

 

そしてLGBTQ+界隈の方には、私は一度も参加したことがありません。

何というか、私のような気弱なクリスチャンが行って良い場所なのか分かりません。

自分の信仰や嗜好的にあまり性的な話はできないですし…。

でも新型コロナウィルス流行が収まったら新宿二丁目には行ってみたいですね。

やっぱり自分のセクシャルマイノリティーとしてのアイデンティティーを探求してみたい気がします。

 

ここまで書いたので、ついでに自分が所属する他のコミュニティについてもお話しします。

 

まずはサークルとバイト先について。

こちらはほとんどがクリスチャンではありません。

そして、どちらにおいても障害児・者支援に関わっています。

「クリスチャンじゃない人なら話せるんじゃないか?」と皆さんお思いでしょう。

ところがどっこい、障害児・者支援においては「同性支援」が求められる場面があるのです。

 

QuestioningあるいはXジェンダーであるキンモクセイにとっての「同性」ってなんじゃらほい(@ ̄ρ ̄@)

 

深夜のため口調がおかしくなってきましたが、「自分は女性でも男性でもない」とサークルやバイト先で明かすと今まで通りに支援を続けられなくなる可能性もあるのです。

それは絶対に嫌です*\(^o^)/*

サークルやバイト先は私にとっては神様が遣わした場所であり、仕えるべき大切な人たちが居る場所であり、自分らしくいられる貴重な場所なのです。

 

そんな大切な場所であるだけに、「女性のふり」が辛くなることもあります。

もう7年目だし、そろそろ卒業しちゃうし、信頼できる誰かに打ち明けてしまって楽になりたい気もします。

でも自分が楽になるためにカミングアウトをするのは良くないような気もします。

さてさて、どうしましょうか?

 

さて、もう一つお話ししたいのは元はてなハイカーさん達のコミュニティです。

もう最近は開き直って自分がフワフワした性自認であることを明かしています。

なんかもう、限界でした。

「女性のふり」をするの、めちゃくちゃ辛いです。

 

はてなハイクやその後継先でもよくthe BeatlesRAGFAIRにキャッキャッウフフしてますが、実は彼らを男性としてはあまり意識してません。

どこか自分と近い属性であり、素敵な音楽や言葉を生み出す人達として尊敬し憧れています。

でも「異性として憧れている」みたいな態度を取った方が色々と楽で、最近までそんな感じに振る舞っていました。

 

せめてハイカーさん達に対しては、正直に振る舞いたくなったのです。

繰り返しますが、「女性のふり」が本当に辛いのです。

 

なんか信仰の話から離れてきてしまいましたね_(:3 」∠)_

先に書いた自分の性自認について神様に祈った時、次のようなことも考えました。

 

「いつか自分の性自認がどちらかに安定したら、その時に神様が定めるパートナーと出会うのかもしれない。」

 

そんなことは起こらないかもしれません。

自分のフワフワした性自認を受け入れてくれるようなパートナーと本当は出会いたいです。

でも、神様の御心は分かりません。

イカーさん達には、その辺の私の揺らぎも温かく見守っていただけたらと思います(笑)

 

ではでは、おやすみなさいませ。

RAGFAIRはやっぱり良いなぁと思いながら寝ます(_ _).。o○