キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

創世記1〜3章デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 


元旦から一応聖書を読み続けていたのにデボーション投稿してなかったですね…。
創世記1〜3章、4〜5章、6〜8章に分けて投稿します。

はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

創世記 1:1-5

この箇所はきっと有名ですよね!ビッグバンを思わせますね。
神様が一日の仕事を終え、その成果を見たときに「良しとされた」というのがなんだか印象的です。
神様は最善を尽くして世界を創られたのだなぁ。

神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

創世記 1:26-27

創世記1章を実際に通して読むとより分かると思うのですが、神様は人を創る時に明らかに他の物を創る時より気合を入れているんですよね。
自然界には美しい地形や草花がたくさんありますが、それよりも心を込めて人が創られたのだと思います。

また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

創世記 2:18

主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。

創世記 2:22-23

女は男の助け手となるように創られたというと今の時代だと炎上しそうですが、私はこの箇所から神様とアダムの愛を感じます。
「助け手」になるからには優れた能力を持っていて、信頼できる人でないといけませんもんね。

さて、エバは蛇にそそのかされてアダムと共に禁断の知識の実を食べてしまいます。

彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。

創世記 3:8-10

神様は「どこにいるのか」と問いかけていますが、全知全能ですから本当は問いかけなくともアダムとエバの場所を分かっていると思うのです。
この箇所は神様の怒りと共に悲しみも伝わってきて、胸がキュンとします…。