キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2018年12月5日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今日からペテロの手紙に入りました(`・ω・´)
今朝読んだ箇所から↓

それだから、心の腰に帯を締め、身を慎み、イエス・キリストの現れる時に与えられる恵みを、いささかも疑わずに待ち望んでいなさい。従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。

ペテロの第一の手紙 1:13-15

あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。

ペテロの第一の手紙 1:22-23

私はクリスチャンになってもこの世の富や栄誉を求めがちなので気をつけねばと思っています_(:3 」∠)_
「聖なる者」とはかなり大層な響きですが、イエスの姿に近づけるように努めます(`・ω・´)

聖書にこう書いてある、「見よ、わたしはシオンに、選ばれた尊い石、隅のかしら石を置く。それにより頼む者は、決して、失望に終ることがない」。この石は、より頼んでいるあなたがたには尊いものであるが、不信仰な人々には「家造りらの捨てた石で、隅のかしら石となったもの」、また「つまずきの石、妨げの岩」である。しかし、彼らがつまずくのは、御言に従わないからであって、彼らは、実は、そうなるように定められていたのである。

ペテロの第一の手紙 2:6-8

普段生活する中でなんとなく感じることですね…。
クリスチャンでない方にはクリスチャンの生活が縛られているものに感じるかもしれません。
もっと言うと、目に見えないものに依り頼む姿が滑稽に見えるかもしれません。
でも少なくとも私の場合は、クリスチャンになってからの方が楽で自由に生きられている気がします。