キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2018年12月4日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。あなたがたは、求めないから得られないのだ。求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。

ヤコブの手紙 4:1-3

神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。

ヤコブの手紙 4:8

今私が求めるものが神様の御心にかなうものでありますように…。
自分の欲のためではなく神様の望みのために生きたいです。

あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。

ヤコブの手紙 5:13-16

祈りはクリスチャンにとっては全能の神への語りかけで、とても確実な行為です。
神様が何のために私を造ったのかも知りませんが、いつも神様の御心に尋ね、祈りと賛美によって神様とコミュニケーションを取り続けたいです。