キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年3月26日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

主はモーセに言われた。「正月の元日にあなたは会見の天幕なる幕屋を建てなければならない。そして、その中にあかしの箱を置き、垂幕で、箱を隔て隠し、また、机を携え入れ、それに並べるものを並べ、燭台を携え入れて、そのともしびをともさなければならない。あなたはまた金の香の祭壇を、あかしの箱の前にすえ、とばりを幕屋の入口にかけなければならない。
また燔祭の祭壇を会見の天幕なる幕屋の入口の前にすえ、洗盤を会見の天幕と祭壇との間にすえて、これに水を入れなければならない。また周囲に庭を設け、庭の門にとばりをかけなければならない。そして注ぎ油をとって、幕屋とその中のすべてのものに注ぎ、それとそのもろもろの器とを聖別しなければならない、こうして、それは聖となるであろう。あなたはまた燔祭の祭壇と、そのすべての器に油を注いで、その祭壇を聖別しなければならない。こうして祭壇は、いと聖なるものとなるであろう。
また洗盤と、その台とに油を注いで、これを聖別し、アロンとその子たちを会見の幕屋の入口に連れてきて、水で彼らを洗い、アロンに聖なる服を着せ、これに油を注いで聖別し、祭司の務をさせなければならない。また彼の子たちを連れてきて、これに服を着せ、その父に油を注いだように、彼らにも油を注いで、祭司の務をさせなければならない。彼らが油そそがれることは、代々ながく祭司職のためになすべきことである」。


出エジプト記 40:1-15


聖所が完成しても、まだまだ神様は言いたいことがあったようです。
ハイク最後のデボーション投稿なので神様の指示を全て引用してみましたが、なげぇですね。
「なんでこんなに…」という気も少ししますが、きっと神様がイスラエルの人々を守り導き、イスラエルの人々が神様と語らうのに必要なことだったのだと思います。


モーセはそのように行った。すなわち主が彼に命じられたように行った。第二年の正月になって、その月の元日に幕屋は建った。すなわちモーセは幕屋を建て、その座をすえ、その枠を立て、その横木をさし込み、その柱を立て、幕屋の上に天幕をひろげ、その上に天幕のおおいをかけた。主がモーセに命じられたとおりである。


出エジプト記 40:16-19


モーセは神様の指示に全て従いました。
この後も「主がモーセに命じられたとおりである。」という言葉が繰り返され、強調されていました。モーセの信仰が伺えます。
さて、神様に従ってイスラエルの人々はどうなったのでしょうか?


そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。


出エジプト記 40:34-38


神様は力強い導きをイスラエルの人々に与えました。
イスラエルの人々が神様からの呼びかけに応答することで、神様もまた大きな恵みを返したのだと思います。
神様の印である雲が旅路を行く間ずっとあったことは、イスラエルの人々にとってとても心強いことだったと思います。


うむ、ハイク最後の日に読むと勇気が出る投稿であった!
イカーの皆さんのほとんどはクリスチャンではないと思います。
でも、エジプトを追われたイスラエル人が神様の導きで約束の地にたどり着いたように、はてなハイクを追われた皆さんが心安らかに過ごせる場所を見つけることができるよう祈ってます。


よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。


マタイによる福音書 18:18-19