キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年3月21日〜24日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

まためっちゃ投稿サボっちゃいました…。出エジプト記34章から38章までの中から気になるところを引用していきます。


主はモーセに言われた、「あなたは前のような石の板二枚を、切って造りなさい。わたしはあなたが砕いた初めの板にあった言葉を、その板に書くであろう。あなたは朝までに備えをし、朝のうちにシナイ山に登って、山の頂でわたしの前に立ちなさい。だれもあなたと共に登ってはならない。また、だれも山の中にいてはならない。また山の前で羊や牛を飼っていてはならない」。そこでモーセは前のような石の板二枚を、切って造り、朝早く起きて、主が彼に命じられたようにシナイ山に登った。彼はその手に石の板二枚をとった。


出エジプト記 34:1-4


よかった、モーセが怒りの余り割ってしまった証の板を再びもらえるそうです。
やっぱり文書で残ってないと、何事も不便ですものね!


ときに主は雲の中にあって下り、彼と共にそこに立って主の名を宣べられた。主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。モーセは急ぎ地に伏して拝し、そして言った、「ああ主よ、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、かたくなな民ですけれども、どうか主がわたしたちのうちにあって一緒に行ってください。そしてわたしたちの悪と罪とをゆるし、わたしたちをあなたのものとしてください」。


出エジプト記 34:5-9


主の栄光がモーセを通り過ぎたようですね。
「あわれみあり、恵あり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神」と神様を描写する箇所がありますが、今の讃美歌でもこんな風に神様を歌っている気がします。
「悪と、とがと、罪とをゆるす者」という箇所は、後のイエスの降誕も預言しているような気がします。
モーセがへり下りつつ「一緒に行ってください。」と祈ってますが、私も神様に対してこの様に謙遜な態度をとりたいです。


この後神様はモーセ十戒を語るのですが、もう先に出てきたので飛ばしちゃいます。


モーセイスラエルの人々の全会衆に言った、「これは主が命じられたことである。あなたがたの持ち物のうちから、主にささげる物を取りなさい。すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。すなわち金、銀、青銅。青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸、やぎの毛糸。あかね染めの雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、ともし油、注ぎ油と香ばしい薫香とのための香料、縞めのう、エポデと胸当とにはめる宝石。すべてあなたがたのうち、心に知恵ある者はきて、主の命じられたものをみな造りなさい。すなわち幕屋、その天幕と、そのおおい、その鉤と、その枠、その横木、その柱と、その座、箱と、そのさお、贖罪所、隔ての垂幕、机と、そのさお、およびそのもろもろの器、供えのパン、また、ともしびのための燭台と、その器、ともしび皿と、ともし油、香の祭壇と、そのさお、注ぎ油、香ばしい薫香、幕屋の入口のとばり、燔祭の祭壇およびその青銅の網、そのさおと、そのもろもろの器、洗盤と、その台、庭のあげばり、その柱とその座、庭の門のとばり、幕屋の釘、庭の釘およびそのひも、聖所における務のための編物の服、すなわち祭司の務をなすための祭司アロンの聖なる服およびその子たちの服」。


出エジプト記 35:4-19


たくさんの高価な材料と、たくさんの作るべきもの…。
「心から喜んでする者」という条件付きですが、集まるのでしょうか…?


イスラエルの人々の全会衆はモーセの前を去り、すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は、会見の幕屋の作業と、そのもろもろの奉仕と、聖なる服とのために、主にささげる物を携えてきた。


出エジプト記 35:20-21


そこで聖所のもろもろの工事をする賢い人々はみな、おのおのしていた工事をやめて、モーセに言った「民があまりに多く携えて来るので、主がせよと命じられた組立ての工事には余ります」。モーセは命令を発し、宿営中にふれさせて言った、「男も女も、もはや聖所のために、ささげ物をするに及ばない」。それで民は携えて来ることをやめた。材料はすべての工事をするのにじゅうぶんで、かつ余るからである。


出エジプト記 36:4-7


集まりましたね。それも有り余るほど…!
最近、サークルやバイトで何かと不足を感じる私ですが、この箇所を読んで勇気が湧いてきました(`・ω・´)
神様は必要なものを必ず用意してくださるのだなぁ。


また金で、二つのケルビムを造った。すなわち、これを打物造りとし、贖罪所の両端に置いた。一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に置いた。すなわちケルビムを贖罪所の一部として、その両端に造った。ケルビムは翼を高く伸べ、その翼で贖罪所をおおい、顔は互に向かい合った。すなわちケルビムの顔は贖罪所に向かっていた。


出エジプト記 37:7-9


贖罪所をおおうほどの翼を持った金のケルビム…。なんかすごそう…。
イスラエルの人々は神様のために惜しみなく壮大なものを作ったのですね。


ユダの部族に属するホルの子なるウリの子ベザレルは、主がモーセに命じられた事をことごとくした。ダンの部族に属するアヒサマクの子アホリアブは彼と共にあって彫刻、浮き織をなし、また青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸で、縫取りをする者であった。
聖所のもろもろの工作に用いたすべての金、すなわち、ささげ物なる金は聖所のシケルで、二十九タラント七百三十シケルであった。会衆のうちの数えられた者のささげた銀は聖所のシケルで、百タラント千七百七十五シケルであった。


出エジプト記 38:22-25


神様がモーセに指示を出す箇所と被ってしまうので大幅に省略したのですが、イスラエルの人々はモーセが聞いた通りに聖所を作っていきました。
荒野の中にありながら、高価な材料も人手も不足することなく満ち足りました。
銀百タラントってどれくらいだったのでしょうか?でも、すごく多いということはなんとなく分かります。
神様って、すごいですね。

 

あ、書くの忘れてましたが、35章19節にさらっとアロンが出てきているので、アロンは生きてるみたいですね。
前回の投稿でややこしくさせてしまいすみません…。