キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年3月2日、3日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

昨日と今朝読んだ箇所から↓

イスラエルの人々の全会衆はエリムを出発し、エジプトの地を出て二か月目の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にきたが、その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう」。


出エジプト記 16:1-5


ものすごい奇跡を目の当たりにしても、イスラエルの人々はエジプトでの過酷な日々の方が良かったと思っているのですね…。
そんなイスラエル人のために、神様は天からパンを降らせるそうです。
…天からパン…だと…?


モーセはアロンに言った、「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたは主の前に近づきなさい。主があなたがたのつぶやきを聞かれたからである』と」。それでアロンがイスラエルの人々の全会衆に語ったとき、彼らが荒野の方を望むと、見よ、主の栄光が雲のうちに現れていた。主はモーセに言われた、「わたしはイスラエルの人々のつぶやきを聞いた。彼らに言いなさい、『あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう』と」。夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。


出エジプト記 16:9-16


うずら…食べられてしもたんかな…?
神様はご自身への感謝の言葉だけでなく、不平不満も聞いてくださるのだなぁ。神様を試みず、神様を頼る人に、神様は応えてくれるのかな。
「主の栄光が雲のうちに現れていた。」って好きな表現だなぁ。
「薄い霜のよう」なパンってどんな味なんだろ?


イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。モーセは彼らにむかって怒った。彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。
六日目には、彼らは二倍のパン、すなわちひとりに二オメルを集めた。そこで、会衆の長たちは皆きて、モーセに告げたが、モーセは彼らに言った、「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。彼らはモーセの命じたように、それを朝まで保存したが、臭くならず、また虫もつかなかった。モーセは言った、「きょう、それを食べなさい。きょうは主の安息日であるから、きょうは野でそれを獲られないであろう。六日の間はそれを集めなければならない。七日目は安息日であるから、その日には無いであろう」。ところが民のうちには、七日目に出て集めようとした者があったが、獲られなかった。


出エジプト記 16:17-27


神様はイスラエル人が飢えもせず飽きもしない量の食糧を過不足なく与えたんだなぁ。
それも、安息日に休めるように6日目には多めに。
私も気づきにくいけれど、こうやって日々の糧を神様に過不足なく与えられているのかしら。


イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。モーセは言った、「主の命じられることはこうである、『それを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。それはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出した時、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見させるためである』と」。


出エジプト記 16:31-32


マナ…美味しそうな描写だ…!
この時のマナは今もどこかに残っているのかしら?


イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには民の飲む水がなかった。それで、民はモーセと争って言った、「わたしたちに飲む水をください」。モーセは彼らに言った、「あなたがたはなぜわたしと争うのか、なぜ主を試みるのか」。民はその所で水にかわき、モーセにつぶやいて言った、「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、わたしたちを、子供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのですか」。このときモーセは主に叫んで言った、「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。彼らは、今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」。主はモーセに言われた、「あなたは民の前に進み行き、イスラエルの長老たちを伴い、あなたがナイル川を打った、つえを手に取って行きなさい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。モーセイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。


出エジプト記 17:1-6


今度は水問題ですね…。
イスラエルの民が飢え渇く時、いつも神様は助けてくれますね。


ときにアマレクがきて、イスラエルとレピデムで戦った。モーセヨシュアに言った、「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。わたしはあす神のつえを手に取って、丘の頂に立つであろう」。ヨシュアモーセが彼に言ったようにし、アマレクと戦った。モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。


出エジプト記 17:8-13


突然のバトル!荒野にも誰かが攻めてくるものなのですね…。
ヨシュアって誰じゃい!?」と思って今まで読んだ箇所を探してみましたが、ここで初登場の人物のようです。本当に誰じゃい。武将的な人?
モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち」って、不思議ですねぇ。アロンとホルもお疲れ様です(?)
あ、ホルも誰じゃい!?


主はモーセに言われた、「これを書物にしるして記念とし、それをヨシュアの耳に入れなさい。わたしは天が下からアマレクの記憶を完全に消し去るであろう」。モーセは一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ。そしてモーセは言った、「主の旗にむかって手を上げる、主は世々アマレクと戦われる」。


出エジプト記 17:14-16


アマレクとの戦いの間、神様もイスラエル人と共に戦っていたのだな。
イスラエル人の戦士を率いたのはヨシュアでしたが、本当にイスラエル軍を率いたのは神様だったと思うのです。