キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年2月21日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

その後、モーセとアロンは行ってパロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』と」。パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」。彼らは言った、「ヘブルびとの神がわたしたちに現れました。どうか、わたしたちを三日の道のりほど荒野に行かせ、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしなければ主は疫病か、つるぎをもって、わたしたちを悩まされるからです」。エジプトの王は彼らに言った、「モーセとアロンよ、あなたがたは、なぜ民に働きをやめさせようとするのか。自分の労役につくがよい」。パロはまた言った、「見よ、今や土民の数は多い。しかも、あなたがたは彼らに労役を休ませようとするのか」。

出エジプト記 5:1-5

パロの心を頑なにすると神様は言っていましたが、イスラエルの民が仕事をサボろうとしていると思われるとは…。

その日、パロは民を追い使う者と、民のかしらたちに命じて言った、「あなたがたは、れんがを作るためのわらを、もはや、今までのように、この民に与えてはならない。彼らに自分で行って、わらを集めさせなさい。また前に作っていた、れんがの数どおりに彼らに作らせ、それを減らしてはならない。彼らはなまけ者だ。それだから、彼らは叫んで、『行ってわたしたちの神に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。この人々の労役を重くして、働かせ、偽りの言葉に心を寄せさせぬようにしなさい」。

出エジプト記 5:6-9

神様の言葉通りに行動したのに、更なる艱難がイスラエルの民に降りかかります( ; ; )
信仰のための行動を怠けていると思われるなんて、心が痛みます…。私も礼拝のためにサークル活動に参加できないことが増えたのですが、怠けていると思われていないかちょっと心配になってきました…。

パロの追い使う者たちがイスラエルの人々の上に立てたかしらたちは、打たれて、「なぜ、あなたがたは、れんが作りの仕事を、きょうも、前のように仕上げないのか」と言われた。そこで、イスラエルの人々のかしらたちはパロのところに行き、叫んで言った、「あなたはなぜ、しもべどもにこんなことをなさるのですか。しもべどもは、わらを与えられず、しかも彼らはわたしたちに、『れんがは作れ』と言うのです。その上、しもべどもは打たれています。罪はあなたの民にあるのです」。パロは言った、「あなたがたは、なまけ者だ、なまけ者だ。それだから、『行って、主に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。さあ、行って働きなさい。わらは与えないが、なおあなたがたは定めた数のれんがを納めなければならない」。

出エジプト記 5:14-18

パロ、イスラエルの民に対して二回も「なまけものだ」と言ってますね…。神様に心を頑なにされただけでなく、イスラエルの民に対しての憎しみも増えているような…。
いや、そもそも民族差別は心の頑なさから来るのかもしれない…。

イスラエルの人々のかしらたちは、「れんがの日ごとの分を減らしてはならない」と言われたので、悪い事態になったことを知った。彼らがパロを離れて出てきた時、彼らに会おうとして立っていたモーセとアロンに会ったので、彼らに言った、「主があなたがたをごらんになって、さばかれますように。あなたがたは、わたしたちをパロとその家来たちにきらわせ、つるぎを彼らの手に渡して、殺させようとしておられるのです」。モーセは主のもとに帰って言った、「主よ、あなたは、なぜこの民をひどい目にあわされるのですか。なんのためにわたしをつかわされたのですか。わたしがパロのもとに行って、あなたの名によって語ってからこのかた、彼はこの民をひどい目にあわせるばかりです。また、あなたは、すこしもあなたの民を救おうとなさいません」。

出エジプト記 5:19-23

信仰によってこの世で迫害を受けるのはいつの世も同じ…。そして、モーセのような「神よ、何故?」という祈りもずっと繰り返されてきたのだと思うのです。
3000年後に生きる私はこの後の展開を知っているので「もうちょっと耐えればエジプトを出られるよ!」と思えるのですが、当時のイスラエルの民はいつまで苦しみが続くのか分からずに闇の中にいたのでしょうね…。