キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年2月15日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今日読んだ箇所から↓


ヤコブはその子らを呼んで言った、「集まりなさい。後の日に、あなたがたの上に起ることを、告げましょう、ヤコブの子らよ、集まって聞け。父イスラエルのことばを聞け。


創世記 49:1-2


ヤコブが息子たちについて何やら預言をするみたいです。

旧約聖書はほとんど初見なのでこの後の展開は分からないのですが、私なりの解釈を入れつつツッコんでいきます。


ルベンよ、あなたはわが長子、わが勢い、わが力のはじめ、威光のすぐれた者、権力のすぐれた者。しかし、沸き立つ水のようだから、もはや、すぐれた者ではあり得ない。あなたは父の床に上って汚した。ああ、あなたはわが寝床に上った。


創世記 49:3-4


上げて下げるスタイル…。

「父の床に上って汚した。」とあるのは35章でルベンがヤコブの側女と寝たことを言っているのかしら。

ルベンはヨセフが兄弟に殺されようとした時に止めようとしたりと良いイメージがあったのですが、罪の報いをこれから受けるのでしょうか…。


シメオンとレビとは兄弟。彼らのつるぎは暴虐の武器。わが魂よ、彼らの会議に臨むな。わが栄えよ、彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りに任せて人を殺し、ほしいままに雄牛の足の筋を切った。彼らの怒りは、激しいゆえにのろわれ、彼らの憤りは、はなはだしいゆえにのろわれる。わたしは彼らをヤコブのうちに分け、イスラエルのうちに散らそう。


創世記 49:5-7


なんか不穏な感じ…と思ったら、シメオンとレビは34章でデナが辱められた時にそこの町を襲った兄弟たちですね。

ヤコブが死んだ後もシメオンとレビは武器を取って何かするのだろうか。


ユダよ、兄弟たちはあなたをほめる。あなたの手は敵のくびを押え、父の子らはあなたの前に身をかがめるであろう。ユダは、ししの子。わが子よ、あなたは獲物をもって上って来る。彼は雄じしのようにうずくまり、雌じしのように身を伏せる。だれがこれを起すことができよう。つえはユダを離れず、立法者のつえはその足の間を離れることなく、シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。彼はそのろばの子をぶどうの木につなぎ、その雌ろばの子を良きぶどうの木につなぐ。彼はその衣服をぶどう酒で洗い、その着物をぶどうの汁で洗うであろう。その目はぶどう酒によって赤く、その歯は乳によって白い。


創世記 49:8-12


この預言は、ユダが栄えることを言ってるのかしら…?ぶどう酒で服を洗ってもあんまり綺麗になりそうではないですけど…。

「雄じしのようにうずくまり、雌じしのように身を伏せる。」というのは、ユダの治める地が獅子のように強固だということでしょうか。

38章でユダの子や孫について詳しく書いてありましたが、この後も登場するのかしら?


ゼブルンは海べに住み、舟の泊まる港となって、その境はシドンに及ぶであろう。

イッサカルはたくましいろば、彼は羊のおりの間に伏している。彼は定住の地を見て良しとし、その国を見て楽しとした。彼はその肩を下げてにない、奴隷となって追い使われる。

ダンはおのれの民をさばくであろう、イスラエルのほかの部族のように。ダンは道のかたわらのへび、道のほとりのまむし。馬のかかとをかんで、乗る者をうしろに落すであろう。主よ、わたしはあなたの救を待ち望む。

ガドには略奪者が迫る。しかし彼はかえって敵のかかとに迫るであろう。

アセルはその食物がゆたかで、王の美味をいだすであろう。

ナフタリは放たれた雌じか、彼は美しい子じかを生むであろう。


創世記 49:13-21


この辺、急に預言がサラッとしてますね…。

ダンについてヤコブは「あなたの救いを待ち望む」と言っていますね。罪人に対して示せる愛の形の一つかな、と思います。


ヨセフは実を結ぶ若木、泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は、かきねを越えるであろう。射る者は彼を激しく攻め、彼を射、彼をいたく悩ました。しかし彼の弓はなお強く、彼の腕は素早い。これはヤコブの全能者の手により、イスラエルの岩なる牧者の名により、あなたを助ける父の神により、また上なる天の祝福、下に横たわる淵の祝福、乳ぶさと胎の祝福をもって、あなたを恵まれる全能者による。あなたの父の祝福は永遠の山の祝福にまさり、永久の丘の賜物にまさる。これらの祝福はヨセフのかしらに帰し、その兄弟たちの君たる者の頭の頂に帰する。


創世記 49:22-26


ヨセフ、かなり栄そう…!

でも、その栄がヨセフによるものではなく神様によるものであることも言ってますね。

私も傲り高ぶらないようにしたいです。


ベニヤミンはかき裂くおおかみ、朝にその獲物を食らい、夕にその分捕物を分けるであろう」。


創世記 49:27


またサラッとしてる…!

「夕にその分捕物を分けるであろう」というのは獲物を自分だけのものにせず、他人にも分けるということかしら。


すべてこれらはイスラエルの十二の部族である。そしてこれは彼らの父が彼らに語り、彼らを祝福したもので、彼は祝福すべきところに従って、彼らおのおのを祝福した。


創世記 49:28


私はイスラエルの民ではなく日本の民なのでピンと来ないのですが、今もヤコブの子たちの名前が地名に残ってたりするのかしら?


彼はまた彼らに命じて言った、「わたしはわが民に加えられようとしている。あなたがたはヘテびとエフロンの畑にあるほら穴に、わたしの先祖たちと共にわたしを葬ってください。そのほら穴はカナンの地のマムレの東にあるマクペラの畑にあり、アブラハムがヘテびとエフロンから畑と共に買い取り、所有の墓地としたもので、そこにアブラハムと妻サラとが葬られ、イサクと妻リベカもそこに葬られたが、わたしはまたそこにレアを葬った。あの畑とその中にあるほら穴とはヘテの人々から買ったものです」。こうしてヤコブは子らに命じ終って、足を床におさめ、息絶えて、その民に加えられた。


創世記 49:29-36


ヤコブアブラハムやイサクと共に天の国に行ったのかしら。

「その民に加えられた。」という表現、なんか好きです(*'ω'*)


さて、明日で創世記が読み終わります(`・ω・´)