キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年2月9日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓
ヤコブたちはヨセフからもらった食料を食べ尽くしてしまいました。

ユダは父イスラエルに言った、「あの子をわたしと一緒にやってくだされば、われわれは立って行きましょう。そしてわれわれもあなたも、われわれの子供らも生きながらえ、死を免れましょう。わたしが彼の身を請け合います。わたしの手から彼を求めなさい。もしわたしが彼をあなたのもとに連れ帰って、あなたの前に置かなかったら、わたしはあなたに対して永久に罪を負いましょう。もしわれわれがこんなにためらわなかったら、今ごろは二度も行ってきたでしょう」。父イスラエルは彼らに言った、「それではこうしなさい。この国の名産を器に入れ、携え下ってその人に贈り物にしなさい。すなわち少しの乳香、少しの蜜、香料、もつやく、ふすだしう、あめんどう。そしてその上に、倍額の銀を手に持って行きなさい。また袋の口に返してあった銀は持って行って返しなさい。たぶんそれは誤りであったのでしょう。弟も連れ、立って、またその人の所へ行きなさい。どうか全能の神がその人の前であなたがたをあわれみ、もうひとりの兄弟とベニヤミンとを、返させてくださるように。もしわたしが子を失わなければならないのなら、失ってもよい」。

創世記 43:8-14

「ふすだしうとあめんどうって何やねん。」と思ったら、どうやらナッツ類のことみたいです。英訳版では"nuts and almonds"となってました。
ヤコブたちは銀や、その他高価なものを持っていながら飢えてしまったのですね…。財産はその時々によって価値を失ってしまうほど不確かなものなのですね…。

さて、ヨセフの兄弟たちは再びエジプトに着きます。

ヨセフはベニヤミンが彼らと共にいるのを見て、家づかさに言った、「この人々を家に連れて行き、獣をほふって、したくするように。この人々は昼、わたしと一緒に食事をします」。その人はヨセフの言ったようにして、この人々をヨセフの家へ連れて行った。ところがこの人々はヨセフの家へ連れて行かれたので恐れて言った、「初めの時に袋に返してあったあの銀のゆえに、われわれを引き入れたのです。そしてわれわれを襲い、攻め、捕えて奴隷とし、われわれのろばをも奪うのです」。

創世記 43:16-18

ヨセフは兄弟たちが末の弟、ベニヤミンを連れて来たことで兄弟たちを暖かく迎えようとしています。しかし、ヨセフに気づいていない兄弟たちはその歓迎を恐れます。ま、そりゃそうですよね。
神様もこうやって、全ての人が罪から立ち返るのを待っているのかしら。

さて、ヨセフは家に戻ってきて兄弟たちと対面します。

ヨセフは目をあげて同じ母の子である弟ベニヤミンを見て言った、「これはあなたがたが前にわたしに話した末の弟ですか」。また言った、「わが子よ、どうか神があなたを恵まれるように」。ヨセフは弟なつかしさに心がせまり、急いで泣く場所をたずね、へやにはいって泣いた。やがて彼は顔を洗って出てきた。そして自分を制して言った、「食事にしよう」。そこでヨセフはヨセフ、彼らは彼ら、陪食のエジプトびとはエジプトびと、と別々に席に着いた。エジプトびとはヘブルびとと共に食事することができなかった。それはエジプトびとの忌むところであったからである。こうして彼らはヨセフの前に、長子は長子として、弟は弟としてすわらせられたので、その人々は互に驚いた。またヨセフの前から、めいめいの分が運ばれたが、ベニヤミンの分は他のいずれの者の分よりも五倍多かった。こうして彼らは飲み、ヨセフと共に楽しんだ。

創世記 43:29-34

感動の再会ですね…!ヨセフもエジプトに奴隷として来た後、こんな風に兄弟たちと再会するとは思わなかっただろうな…。それは泣いちゃうよね…。
「長子は長子として、弟は弟としてすわらせられた」というのは、エジプト人ではないベニヤミンたちを客人として正当なもてなしをしたという意味なのでしょうか?
一緒に食事をとると、仲が深まりそうですね(*'ω'*)