キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年2月6日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 


今朝読んだ箇所から↓

さてヨセフは連れられてエジプトに下ったが、パロの役人で侍衛長であったエジプトびとポテパルは、彼をそこに連れ下ったイシマエルびとらの手から買い取った。主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。そこで、ヨセフは彼の前に恵みを得、そのそば近く仕えた。彼はヨセフに家をつかさどらせ、持ち物をみな彼の手にゆだねた。

創世記 39:1-4

兄たちに奴隷として売られてしまったヨセフでしたが、仕えた家で大きな恵みを得ることができたようです!
ヨセフが正しい人で信仰に篤い人だからこそ、神様はヨセフを通して大胆に御姿を見せられたのかしら。
ポテパルがヨセフに持ち物を全て任せるのも、神様に自分の全てを委ねるクリスチャンの信仰に重なります。(当時はまだクリスチャンは居ませんが…。)

そこで彼は持ち物をみなヨセフの手にゆだねて、自分が食べる物のほかは、何をも顧みなかった。さてヨセフは姿がよく、顔が美しかった。これらの事の後、主人の妻はヨセフに目をつけて言った、「わたしと寝なさい」。ヨセフは拒んで、主人の妻に言った、「御主人はわたしがいるので家の中の何をも顧みず、その持ち物をみなわたしの手にゆだねられました。この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。彼女は毎日ヨセフに言い寄ったけれども、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝なかった。また共にいなかった。

創世記 39:6-10

セクハラ、ダメゼッタイ!
力の差を使って異性を手に入れようとするのは男女問わないですね…。
ヨセフは自分に持ち物の全てを任せてくれたエジプト人の主人も、主なる神様も裏切りたくなかったのに…。

ある日ヨセフが務をするために家にはいった時、家の者がひとりもそこにいなかったので、彼女はヨセフの着物を捕えて、「わたしと寝なさい」と言った。ヨセフは着物を彼女の手に残して外にのがれ出た。彼女はヨセフが着物を自分の手に残して外にのがれたのを見て、その家の者どもを呼び、彼らに告げて言った、「主人がわたしたちの所に連れてきたヘブルびとは、わたしたちに戯れます。彼はわたしと寝ようとして、わたしの所にはいったので、わたしは大声で叫びました。彼はわたしが声をあげて叫ぶのを聞くと、着物をわたしの所に残して外にのがれ出ました」。

創世記 39:11-15

ヨセフは正しいことをしたのに、悪意ある嘘で印象を歪められてしまいます。主人の妻は自分のことしか考えてないな…。
去年読んだ新約聖書にも書かれていましたが、正しいことを行う人でもこの世で迫害を受けてしまうものなのですね…。
ペテロの第一の手紙から引用します↓

そこで、もしあなたがたが善に熱心であれば、だれが、あなたがたに危害を加えようか。しかし、万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。

ペテロの第一の手紙 3:13-15

さて、ヨセフの主人にも同じことが告げられてしまいます。

主人はその妻が「あなたのしもべは、わたしにこんな事をした」と告げる言葉を聞いて、激しく怒った。そしてヨセフの主人は彼を捕えて、王の囚人をつなぐ獄屋に投げ入れた。こうしてヨセフは獄屋の中におったが、主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。獄屋番は獄屋におるすべての囚人をヨセフの手にゆだねたので、彼はそこでするすべての事をおこなった。獄屋番は彼の手にゆだねた事はいっさい顧みなかった。主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。

創世記 39:19-23

一度はヨセフを信頼した主人も、妻の偽りを信じてしまいました…。
ヨセフはより過酷な状況に置かれましたが、そこでも神様が共にいて恵みを与えてくれました。
私も、どんな状況に置かれても絶望せずに神様を頼ろう。そうしよう。