キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年2月2日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

レアがヤコブに産んだ娘デナはその地の女たちに会おうと出かけて行ったが、その地のつかさ、ヒビびとハモルの子シケムが彼女を見て、引き入れ、これと寝てはずかしめた。彼は深くヤコブの娘デナを慕い、この娘を愛して、ねんごろに娘に語った。シケムは父ハモルに言った、「この娘をわたしの妻にめとってください」。さてヤコブはシケムが、娘デナを汚したことを聞いたけれども、その子らが家畜を連れて野にいたので、彼らの帰るまで黙っていた。

創世記 34:1-5

昨日のあのニュースがあってこの箇所を読むのって、かなりタイムリーですよね。
デナはどれほど傷ついただろう…。
シケムはなんて自分本位なんだろう…。

シケムとその父ハモルはヤコブの元に来てデナを貰い受けようとしますが、当然デナの兄弟たちは激しく怒っています。

しかし、ヤコブの子らはシケムが彼らの妹デナを汚したので、シケムとその父ハモルに偽って答え、彼らに言った、「われわれは割礼を受けない者に妹をやる事はできません。それはわれわれの恥とするところですから。ただ、こうなさればわれわれはあなたがたに同意します。もしあなたがたのうち男子がみな割礼を受けて、われわれのようになるなら、われわれの娘をあなたがたに与え、あなたがたの娘をわれわれにめとりましょう。そしてわれわれはあなたがたと一緒に住んで一つの民となりましょう。けれども、もしあなたがたがわれわれに聞かず、割礼を受けないなら、われわれは娘を連れて行きます」。彼らの言葉がハモルとハモルの子シケムとの心にかなったので、若者は、ためらわずにこの事をした。彼がヤコブの娘を愛したからである。また彼は父の家のうちで一番重んじられた者であった。

創世記 34:13-19

「シケムは割礼をしてまでデナを手に入れようとするほどデナが好きなんだなぁ!」と一瞬考えましたが、本当に好きで愛しているのならいきなりデナと体の関係を持とうとしませんよね…。
デナの兄弟たちは偽りの理由ではなく「デナを強姦ようなオメーみたいな奴に嫁がせるかよ!」って本当の理由を言えなかったのかしら。ハモルが土地の有力者だったから誤魔化すしかなかったのかしら。

この後、さらにハモルとシケルは町の人々全員に割礼を施させます。外堀まで固めてきたよ…。

三日目になって彼らが痛みを覚えている時、ヤコブのふたりの子、すなわちデナの兄弟シメオンとレビとは、おのおのつるぎを取って、不意に町を襲い、男子をことごとく殺し、またつるぎの刃にかけてハモルとその子シケムとを殺し、シケムの家からデナを連れ出した。そしてヤコブの子らは殺された人々をはぎ、町をかすめた。彼らが妹を汚したからである。

創世記 34:25-27

突然のバイオレンスが…!
「彼らが妹を汚したからである。」とありますが、これは、その、そういう意味なんですかね…?
私、デナの立場だったら痛みと屈辱で生きていられないんじゃないかと思います。本当に酷い…。

そこでヤコブはシメオンとレビとに言った、「あなたがたはわたしをこの地の住民、カナンびととペリジびとに忌みきらわせ、わたしに迷惑をかけた。わたしは、人数が少ないから、彼らが集まってわたしを攻め撃つならば、わたしも家族も滅ぼされるであろう」。彼らは言った、「わたしたちの妹を遊女のように彼が扱ってよいのですか」。

創世記 34:30-31

ヤコブはデナを軽んじているのではなく、多分、デナを連れ戻すならもっと平和的な方法をとって欲しかったのかもしれませんね。
現代の価値観で生きている私には、デナは「遊女」というより寧ろ魂を持たない「物質」のように扱われていたように感じます。