キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年1月22日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

昨日読んだ箇所から↓

これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。

創世記 22:1-3

アブラハムは息子イサクを神様に捧げなくてはならなくなりました…。
やっとサラが授かった子どもなのに…。

やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。

創世記 22:7-8

アブラハムはどんな気持ちで「神が仔羊を備えてくれる」と言ったのだろう。
イサクを安心させるためだろうか、神様への信頼だろうか。
どれくらい確信して言ったのだろう。

そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。

創世記 22:10-13

イサクが殺される直前に御使が止めてくれましたε-(´∀`; )
あと、アブラハムがイサクに言った通り神様が羊を備えてくれましたね!
「ひとり子さえ惜しまない」という言葉で、神様がひとり子イエスを人の罪を贖うために差し出したことを思い起こしました。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

ヨハネによる福音書 3:16

まぁ、アブラハムにはハガルとの子イシマエルも居るのに、イサクを「ひとり子」と言うのはモヤモヤしないこともないのですが…。