キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年1月21日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

主は、さきに言われたようにサラを顧み、告げられたようにサラに行われた。サラはみごもり、神がアブラハムに告げられた時になって、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。アブラハムは生れた子、サラが産んだ男の子の名をイサクと名づけた。アブラハムは神が命じられたように八日目にその子イサクに割礼を施した。

創世記 21:1-4

サラがとうとうイサクを産みました!
引っ張っといて案外あっさりした描写!

そしてサラは言った、「神はわたしを笑わせてくださった。聞く者は皆わたしのことで笑うでしょう」。また言った、「サラが子に乳を飲ませるだろうと、だれがアブラハムに言い得たであろう。それなのに、わたしは彼が年とってから、子を産んだ」。

創世記 21:6-7

「神は私を笑わしてくださった。」とサラが言ったのは、預言を受けた時に「ありえない」と思って笑った時のことを言ってるのだろうか、子どもを産んで喜びの中での笑いのことを言ってるのだろうか。
オリジナルの言語だったらもしかしたら区別がつくのかも知れませんが、私はどちらの意味もあるように感じます。
二節の中に、サラの喜びと神様への驚きがよく表れていると思います。

サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、アブラハムに言った、「このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継となるべき者ではありません」。この事で、アブラハムはその子のために非常に心配した。神はアブラハムに言われた、「あのわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。サラがあなたに言うことはすべて聞きいれなさい。イサクに生れる者が、あなたの子孫と唱えられるからです。しかし、はしための子もあなたの子ですから、これをも、一つの国民とします」。そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。

創世記 21:9-14

ハガルの子、イシマエルはアブラハムの元を追い出されてしまいました。神様が守ってくれても、困難がたくさんあるだろうことは予想できますね…。
神様はイサクもイシマエルも同じだけ愛しているのに、アブラハムはそう振る舞うことはできなかったのだな…。

さて、この後イシマエルは弓の射手として成長し、パランの荒野に住んでエジプトの女性と結婚し、アブラハムの方は自分の土地をアビメレクの軍の居留地とする契約を結びました。
なんか、次の章でまた戦争が始まりそうですね…。