キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年1月16日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

アブラムの妻サライは子を産まなかった。彼女にひとりのつかえめがあった。エジプトの女で名をハガルといった。サライはアブラムに言った、「主はわたしに子をお授けになりません。どうぞ、わたしのつかえめの所におはいりください。彼女によってわたしは子をもつことになるでしょう」。アブラムはサライの言葉を聞きいれた。

創世記 16:1-2

神様の預言を実現しようとしたのでしょうが、トラブルの予感しかしません!

彼はハガルの所にはいり、ハガルは子をはらんだ。彼女は自分のはらんだのを見て、女主人を見下げるようになった。そこでサライはアブラムに言った、「わたしが受けた害はあなたの責任です。わたしのつかえめをあなたのふところに与えたのに、彼女は自分のはらんだのを見て、わたしを見下げます。どうか、主があなたとわたしの間をおさばきになるように」。アブラムはサライに言った、「あなたのつかえめはあなたの手のうちにある。あなたの好きなように彼女にしなさい」。そしてサライが彼女を苦しめたので、彼女はサライの顔を避けて逃げた。

創世記 16:4-6

なんとなく秀吉とねねと茶々を思い出します。
サライは良かれと思ってハガルをアブラムに差し出したのにそれで苦しみを受け、今度はハガルを苦しめ、なんか誰も報われないですね…。

さて、この後ハガルはサライから逃げ出しますが、御使に呼び戻されます。

主の使は荒野にある泉のほとり、すなわちシュルの道にある泉のほとりで、彼女に会い、そして言った、「サライのつかえめハガルよ、あなたはどこからきたのですか、またどこへ行くのですか」。彼女は言った、「わたしは女主人サライの顔を避けて逃げているのです」。主の使は彼女に言った、「あなたは女主人のもとに帰って、その手に身を任せなさい」。

創世記 16:7-9

主の使はまた彼女に言った、「あなたは、みごもっています。あなたは男の子を産むでしょう。名をイシマエルと名づけなさい。主があなたの苦しみを聞かれたのです。彼は野ろばのような人となり、その手はすべての人に逆らい、すべての人の手は彼に逆らい、彼はすべての兄弟に敵して住むでしょう」。

創世記 16:11-12

イシマエル、なんか大変そうな人生だ…。何が起こるんだろう…?
自分の子どもの人生が平安なものでないことが分かった上で、自身もサライの元で再び苦しみを受けるかもしれないハガルはどれほど不安だったんだろう。
御使の声を無視して逃げることもできたのだろうけど、彼女は信仰を大事にしたのだな。