キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2018年12月13日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

先ほど読んだ箇所から↓

そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。

ヨハネの黙示録 1:12-15

世界観が違う…!
ヨハネの黙示録、一章からかっ飛ばしてます。

わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。

ヨハネの黙示録 1:17-20

ヨハネが出会ったのはイエスだったようです。
黙示録に出てくる不思議なモチーフも、何かを象徴しているのだなぁ。

エペソにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『右の手に七つの星を持つ者、七つの金の燭台の間を歩く者が、次のように言われる。わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍びとおして、弱り果てることがなかった。しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

ヨハネの黙示録 2:1-4

こんな感じで、イエスは七つの教会へのメッセージを伝えていきます。
聖書や神様の知識があっても、愛がないと神様から離れていってしまうのですね…。
エスは一人一人の心も行いも全部見ていて、こうして欠けているところを教えてくれるのだなぁ。