キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2018年12月8日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

この人々は、いわば、水のない井戸、突風に吹きはらわれる霧であって、彼らには暗やみが用意されている。彼らはむなしい誇を語り、迷いの中に生きている人々の間から、かろうじてのがれてきた者たちを、肉欲と色情とによって誘惑し、この人々に自由を与えると約束しながら、彼ら自身は滅亡の奴隷になっている。おおよそ、人は征服者の奴隷となるものである。

ペテロの第二の手紙 2:17-19

愛する者たちよ。わたしは今この第二の手紙をあなたがたに書きおくり、これらの手紙によって記憶を呼び起し、あなたがたの純真な心を奮い立たせようとした。それは、聖なる預言者たちがあらかじめ語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた主なる救主の戒めとを、思い出させるためである。

ペテロの第二の手紙 3:1-2

ペテロが手紙を送った先では偽教師たちが現れて、本来の教えから遠ざかる人が多くいたみたいです。
一度神様によって救われた人でも、この世の誘惑に囚われて救いから遠ざかってしまうのですね…。気をつけます。

愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。

ペテロの第二の手紙 3:8-9

主題とは外れますが、創世記で神様が七日間で世界を作り出した場面を思い出しました。神様から見て「一日」でも人間から見たらすごく長い時間に見えるのかしら…。
あっいけない、昨日「自分勝手に聖書を解釈してはいけない」と読んだのに…。
神様は人間から見て気が遠くなるほど昔から未来まで、全ての人が救われるのを待っているのだなぁ。

 

12月9日追記:今日の礼拝後、牧師先生にペテロの第二の手紙3章8節について訊いてみました!
先生曰く、神様は時間の概念も造られた方なので人のように時間に縛られていない、つまり人から見た「一日」と神様から見た「一日」は違うものである可能性があるとのことです。
時間を超越した方ですから、神様は人に作られたものとは違う区切りで時間を見るのですね。
※余りに壮大な話なので自分でも何を言ってるかよく分かってません。