キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2018年12月1日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。

ヘブル人への手紙 11:1-3

 

私は天地創造の瞬間はもちろん、イエス・キリストにだって会ったことがないのですが、それでも信仰を持っているのは神様の御業があってのことだなぁと思います。
見たことないものを信じるって、なんかすごいですよね。

 

しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

ヘブル人への手紙 11:16

 

聖書に登場する信仰者たちの中にはこの世で栄光を受けず、迫害されたまま命を落とした者もいます(ってなことがこの箇所の前後に書いてあります)。
ただ、その人たちは肉体が死んだ後、天国で栄光を受けるのだと思います。
その望みがあるからこそ、この世で迫害され、辱めを受けても信仰を守れるのだと思います。

 

あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。

ヘブル人への手紙 12:7

 

訓練…頑張ります…!