キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2018年11月28日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

 

さて、わたしたちには、もろもろの天をとおって行かれた大祭司なる神の子イエスがいますのであるから、わたしたちの告白する信仰をかたく守ろうではないか。この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。

ヘブル人への手紙 4:14-15

 

昨日投稿した箇所と重なってしまうのですが、やっぱりイエス様に自分の苦しみや痛みや弱さを理解してもらえるのってとても安心するなぁと思うのです。
そういう人に導いてもらえるのって、心強いですよね(`・ω・´)

 

このことについては、言いたいことがたくさんあるが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。

ヘブル人への手紙 5:11-14

 

ヘブルの人たちは聖書に習熟していたのに、信仰の基本から逸れてしまったみたいですね…。
教師にまでなった人たちにとって「乳を必要としている」という言葉はなかなかプライドを傷つけそうですが、ヘブルの人たちが救われるために必要だったからこそパウロは手紙に書いたのかもしれません。
謙虚さ、大事(`・ω・´)