明けまして今直面している問題
明けましておめでとうございます。
新しい年もマイペースにブログを更新していきます。
さてさて、はてなハイクでもチラッと言いましたが私は昨年キリスト教に入信しました。
丁度前回の自意識過剰な記事を書いた直前です(`・ω・´)
(あの記事のその後はもう少し経ってから書かせてください(^^;))
クリスチャンになってから初めてのお正月を迎えたのですが早速信仰上の悩みにぶつかりました。
初詣行くべきか行かざるべきか問題です。
ご存じのようにキリスト教は一神教です。主なる神様以外の神様を拝んだら怒られます。神様めっちゃ怒ります。
そして神社が祀っているのはキリスト教でいう神様ではないのは明らかです。
私はイエス様を救い主だと思っていますし、信じていれば天国にばっちり行けるだろうと思っています。そして、そんな恵みを与えてくれた神様に喜ばれないこともしたくありません。
でもですね、今まで自分が親しんできた八百万の神様も捨てがたいのです。
「おめー全然クリスチャンじゃないじゃん!」って声が聞こえてきそうです…
でも、もう少しお付き合いくださいませませ…
そもそも、聖書にある神様と神道の神様ってなにか性質が違うような気がするんです。
はっきりした根拠がある訳でもないし、私は聖書についてまだ学んでいる最中なので偉い方から見たらとんちんかんな考えかもしれませんが勢いで書いちゃいます。
聖書にある神様ってこの世界を創造されて*1、この世のすべてを治めている方*2ですよね。
でも、神道の神様はモノやコトや土地に宿っているもので、まるで聖書にある『聖霊』みたいだなって思うのです。
聖霊って、よく分からない存在なんですよね~。三位一体を成す一つなのに主なる神やイエス様に比べてあんまり聖書に書かれてない…
ただ、どうやら聖霊はどこにでもいらっしゃって*3神様の御業を行う存在*4なんだってことは分かるのです。
そして、神様には感情がある。人間が罪を犯したり神様に背くようなことをすれば普通にお怒りになるし*5、ある人が救い主を受け入れて救われればそれはそれは喜ばれます。*6
なんだか怒ると暴れて、祀ってあげると静まる日本の土地土地に宿る神様と共通しているところがあるなぁって…(笑)
ああ、自分で書いていても半分くらい分からないです(;´∀`)とりあえず聖書と神道の神様の関係は身近なクリスチャンの先輩に訊いてみることにします。
私個人的な意見としては、キリスト教も神道も、それからその他の宗教も、視点の違いではないのかなと感じています。
ある騙し絵を見て壺と見るか向き合う二つの顔と見るかみたいな…
どの視点も正しくて、間違ってはいないんですよね。
だから私は普段は祈りによって神様とつながって、時々神社にお参りしてその土地の神様にご挨拶したいなって考えてます。
それが本当に神様が喜ばれるやり方なのかは分かりませんけどね(^^;)
この文章もしばらく経ったら自分でも恥ずかしくなるのでしょうが、私の信仰生活の軌跡としてネット上に残しておきます。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
ではでは、キンモクセイでした。
※クリスチャンでない方にはよく分からない部分があるかもしれませんが、しばらくしたら私に出来る範囲で聖書の対応個所をつけますね。少々お待ちください…。→1月24日追記:脚注を付けてみました。聖句が適当であるか自信がありませんが…(;´∀`)
*1:創世記第一章一節「はじめに神は天と地を創造された。」ここから神様は一週間かけてどんどん世界を作っていきます。
*2:マタイによる福音書第28章18~20節「イエスは彼らに近づいてきて言われた、『わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなた方は行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。』」
*3:詩篇139章7節わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。
*4:ヨハネの第一の手紙第四章13節「神が御霊をわたしたちに賜ったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。」
*5:ホセア書第四章一節「イスラエルの人々よ、主の言葉を聞け。主はこの地に住む者と争われる。この地には真実がなく、愛情がなく、また神を知ることもないからである。」神様から離れて堕落した人間に対しては基本プンプンな神様です。
*6:マタイによる福音書第18章12~13節「あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を探しに出かけないであろうか。もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。」