キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年3月13日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今日読んだ箇所から↓

あなたはまたアカシヤ材で祭壇を造らなければならない。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角で、高さは三キュビトである。その四すみの上にその一部としてそれの角を造り、青銅で祭壇をおおわなければならない。また灰を取るつぼ、十能、鉢、肉叉、火皿を造り、その器はみな青銅で造らなければならない。また祭壇のために青銅の網細工の格子を造り、その四すみで、網の上に青銅の環を四つ取り付けなければならない。その網を祭壇の出張りの下に取り付け、これを祭壇の高さの半ばに達するようにしなければならない。また祭壇のために、さおを造らなければならない。すなわちアカシヤ材で、さおを造り、青銅で、これをおおわなければならない。そのさおを環に通し、さおを祭壇の両側にして、これをかつがなければならない。祭壇は板で空洞に造り、山で示されたように、これを造らなければならない。


出エジプト記 27:1-8


青銅も、きっと当時は貴重な金属ですよね…。
今まで書かれていたものは金が使われていましたが、祭壇は青銅を使うのですね。何か意味があるのかしら?
あと、さおをつけて担ぐようにしたのは持ち運びをするため?


あなたはまた幕屋の庭を造り、両側では庭のために長さ百キュビトの亜麻の撚糸のあげばりを設け、その一方に当てなければならない。その柱は二十、その柱の二十の座は青銅にし、その柱の鉤と桁とは銀にしなければならない。


出エジプト記 27:9-10


庭の門のために青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、色とりどりに織った長さ二十キュビトのとばりを設けなければならない。その柱は四つ、その座も四つ。庭の周囲の柱はみな銀の桁でつなぎ、その鉤は銀、その座は青銅にしなければならない。庭の長さは百キュビト、その幅は五十キュビト、その高さは五キュビトで、亜麻の撚糸の布を掛けめぐらし、その座を青銅にしなければならない。すべて幕屋に用いるもろもろの器、およびそのすべての釘、また庭のすべての釘は青銅で造らなければならない。


出エジプト記 27:16-19


庭も作るのですね!豪華だなぁ。
貴金属と色とりどりの糸をふんだんに使っていますねぇ。見てみたいなぁ。


あなたはまたイスラエルの人々に命じて、オリブをつぶして採った純粋の油を、ともし火のために持ってこさせ、絶えずともし火をともさなければならない。アロンとその子たちとは、会見の幕屋の中のあかしの箱の前にある垂幕の外で、夕から朝まで主の前に、そのともし火を整えなければならない。これはイスラエルの人々の守るべき世々変らざる定めでなければならない。


出エジプト記 27:20-21


荒野にオリーブってあるのかしら…?地中海沿岸とか瀬戸内海沿岸で育つイメージですが…。
「夕から朝まで」というと、夜の間ってことですよね。火事になったら大変ですし、ともし火を点けていたら眠れないですよね…。大変な仕事だ…!

2019年3月10日、11日、12日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

一昨日と昨日と今朝読んだ箇所から↓長くなってしまうので、個人的に気になった箇所だけ引用していきます。


こうしてモーセはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共にのぼって行った。そして、彼らがイスラエルの神を見ると、その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、澄み渡るおおぞらのようであった。神はイスラエルの人々の指導者たちを手にかけられなかったので、彼らは神を見て、飲み食いした。


出エジプト記 24:9-11


足元が澄み渡る大空のようなサファイア…。なんかすごそう…。神様の栄光が光り輝いているのかしら。
そんなキラキラした栄光の前でイスラエルの長老達は飲み食いしたのですね。神様は偉大な存在であり、且つそのそばで人々が休まることができる方なのかしら。


彼は長老たちに言った、「わたしたちがあなたがたの所に帰って来るまで、ここで待っていなさい。見よ、アロンとホルとが、あなたがたと共にいるから、事ある者は、だれでも彼らの所へ行きなさい」。こうしてモーセは山に登ったが、雲は山をおおっていた。主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日のあいだ、山をおおっていたが、七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。主の栄光は山の頂で、燃える火のようにイスラエルの人々の目に見えたが、モーセは雲の中にはいって、山に登った。そしてモーセは四十日四十夜、山にいた。


出エジプト記 24:14-18


燃える火のような主の栄光…。私も見てみたいな…。
神秘的な自然現象を用いて、神様はご自分を証されるんだなぁ。


主はモーセに言われた、「イスラエルの人々に告げて、わたしのためにささげ物を携えてこさせなさい。すべて、心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい。あなたがたが彼らから受け取るべきささげ物はこれである。すなわち金、銀、青銅、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸、やぎの毛糸、あかね染の雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、ともし油、注ぎ油と香ばしい薫香のための香料、縞めのう、エポデと胸当にはめる宝石。


出エジプト記 25:1-7


当時の情勢はよく分かりませんが、きっとどれも高級品ですよね…。日本でも紫や赤は高貴な色ですもんね…。
「荒野でどうやって用意するんだ?」と一瞬思いましたが、そういえばイスラエル人たちはエジプトを出る前にエジプト人たちから金品を奪っていたのですよね。
「これから荒野に行くっていうのに何故神様はエジプト人から金品を奪わせたのだろう?食べ物の方がええやん。」と思いつつ読んでいたのですが、ここで捧げ物をさせるためだったんですねぇ。
あと、「心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい。」って部分も重要ですよね。
神様は捧げ物それ自体ではなく、喜んで捧げ物をする人々の心を喜ぶのだと思うのです。


また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。すべてあなたに示す幕屋の型および、そのもろもろの器の型に従って、これを造らなければならない。
彼らはアカシヤ材で箱を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。あなたは純金でこれをおおわなければならない。すなわち内外ともにこれをおおい、その上の周囲に金の飾り縁を造らなければならない。また金の環四つを鋳て、その四すみに取り付けなければならない。すなわち二つの環をこちら側に、二つの環をあちら側に付けなければならない。またアカシヤ材のさおを造り、金でこれをおおわなければならない。そしてそのさおを箱の側面の環に通し、それで箱をかつがなければならない。さおは箱の環に差して置き、それを抜き放してはならない。そしてその箱に、わたしがあなたに与えるあかしの板を納めなければならない。


出エジプト記 25:8-16


キンキラキンキン!全部金!眩しそう!
「あかしの板」って、この後空から降ってくるアレですかね?
神様は他にも純金の贖罪所、金に覆われた机、純金の机を作らせます。キンキラキンキン!
後、どれも細かく作り方の指示をしています。イスラエル人、大変そうだぁ…!


あなたはまた十枚の幕をもって幕屋を造らなければならない。すなわち亜麻の撚糸、青糸、紫糸、緋糸で幕を作り、巧みなわざをもって、それにケルビムを織り出さなければならない。幕の長さは、おのおの二十八キュビト、幕の幅は、おのおの四キュビトで、幕は皆同じ寸法でなければならない。その幕五枚を互に連ね合わせ、また他の五枚の幕をも互に連ね合わせなければならない。その一連の端にある幕の縁に青色の乳をつけ、また他の一連の端にある幕の縁にもそのようにしなければならない。あなたは、その一枚の幕に乳五十をつけ、また他の一連の幕の端にも乳五十をつけ、その乳を互に相向かわせなければならない。


出エジプト記 26:1-5


高級な糸も惜しみなく使うんですねぇ。
「ケルビム」は天使のことのようです。偶像崇拝は禁じられていますが、天使は良いのかしら?紋様の一種だったのかも?
「28キュビト」ってどれくらいなんだろう?「あかしの板」を入れる箱が2.5キュビト×1キュビト×1キュビトだから、結構長いのかしら?
そんな長い幕を5枚、寸法を違わずに作るのって大変そう…。機織り機で作るのかな…?
あと、「青色の乳」ってなんじゃい。よく分からないけど、これも高級品なのかしら?


その垂幕の輪を鉤に掛け、その垂幕の内にあかしの箱を納めなさい。その垂幕はあなたがたのために聖所と至聖所とを隔て分けるであろう。また至聖所にあるあかしの箱の上に贖罪所を置かなければならない。そしてその垂幕の外に机を置き、幕屋の南側に、机に向かい合わせて燭台を置かなければならない。ただし机は北側に置かなければならない。あなたはまた天幕の入口のために青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、色とりどりに織ったとばりを作らなければならない。あなたはそのとばりのためにアカシヤ材の柱五つを造り、これを金でおおい、その鉤を金で造り、またその柱のために青銅の座五つを鋳て造らなければならない。


出エジプト記 26:33-37


今までの指示にあったものが組み上がってきました!
キンキラキンキンでカラフルな聖所ですねぇ。これだけ金銀その他高級を使ったら、エジプト人から奪った金品は全て使い切れそうですね。


しかし、2日連続神様の細かい指示書を読んだので頭が痛いです…。

2019年3月9日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

昨日の朝読んだ箇所から↓

あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。もし、あなたが敵の牛または、ろばの迷っているのに会う時は、必ずこれを彼の所に連れて行って、帰さなければならない。もしあなたを憎む者のろばが、その荷物の下に倒れ伏しているのを見る時は、これを見捨てて置かないように気をつけ、必ずその人に手を貸して、これを起さなければならない。
あなたは貧しい者の訴訟において、裁判を曲げてはならない。あなたは偽り事に遠ざからなければならない。あなたは罪のない者と正しい者とを殺してはならない。わたしは悪人を義とすることはないからである。あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は人の目をくらまし、正しい者の事件をも曲げさせるからである。


出エジプト記 23:1-8


いつでも正しいことを行いたいけど、中々できないのです…。
嘘をつきたくないし、長いものに巻かれることもしたくないのに、弱さゆえに自分を偽ってしまうのです…。


あなたは寄留の他国人をしえたげてはならない。あなたがたはエジプトの国で寄留の他国人であったので、寄留の他国人の心を知っているからである。あなたは六年のあいだ、地に種をまき、その産物を取り入れることができる。しかし、七年目には、これを休ませて、耕さずに置かなければならない。そうすれば、あなたの民の貧しい者がこれを食べ、その残りは野の獣が食べることができる。あなたのぶどう畑も、オリブ畑も同様にしなければならない。あなたは六日のあいだ、仕事をし、七日目には休まなければならない。これはあなたの牛および、ろばが休みを得、またあなたのはしための子および寄留の他国人を休ませるためである。わたしが、あなたがたに言ったすべての事に心を留めなさい。他の神々の名を唱えてはならない。また、これをあなたのくちびるから聞えさせてはならない。


出エジプト記 23:9-13


そっか、安息日は異邦人のためにもあるのか!
異なる神を礼拝することを禁じつつも、神様は異教徒のことも考えた戒めを作られたのだなぁ。
旧約聖書の時代から神様はまだ御言葉を知らない、神様から離れてしまった人々のことも顧みられていたのだなぁ。


見よ、わたしは使をあなたの前につかわし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所に導かせるであろう。あなたはその前に慎み、その言葉に聞き従い、彼にそむいてはならない。わたしの名が彼のうちにあるゆえに、彼はあなたがたのとがをゆるさないであろう。しかし、もしあなたが彼の声によく聞き従い、すべてわたしが語ることを行うならば、わたしはあなたの敵を敵とし、あなたのあだをあだとするであろう。


出エジプト記 23:20-22


神様が味方になってくれたら、こんなに心強いことはないなぁ。
いつも神様の御声に耳を傾けたいです。


わたしはあなたの先に、わたしの恐れをつかわし、あなたが行く所の民を、ことごとく打ち敗り、すべての敵に、その背をあなたの方へ向けさせるであろう。わたしはまた、くまばちをあなたの先につかわすであろう。これはヒビびと、カナンびと、およびヘテびとをあなたの前から追い払うであろう。


出エジプト記 23:27-28


わたしは紅海からペリシテびとの海に至るまでと、荒野からユフラテ川に至るまでを、あなたの領域とし、この地に住んでいる者をあなたの手にわたすであろう。あなたは彼らをあなたの前から追い払うであろう。あなたは彼ら、および彼らの神々と契約を結んではならない。彼らはあなたの国に住んではならない。彼らがあなたをいざなって、わたしに対して罪を犯させることのないためである。もし、あなたが彼らの神に仕えるならば、それは必ずあなたのわなとなるであろう」。


出エジプト記 23:31-33


クマバチ!?これから先も何やら不思議な御業が見れそうな…。
「寄留の他国人をしえたげてはならない。」とさっきありましたが、行く先に元々住んでいた人達のことは追い払っていいのか…。
その人達にも神様は新たに住む場所を用意なさるのかしら?

2019年3月8日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今日読んだ箇所から↓気になった戒めだけ引用していきます。


もし人がまだ婚約しない処女を誘って、これと寝たならば、彼は必ずこれに花嫁料を払って、妻としなければならない。もしその父がこれをその人に与えることをかたく拒むならば、彼は処女の花嫁料に当るほどの金を払わなければならない。


出エジプト記 22:16-17


ヤコブの娘、デナのことを思い出しました…。ああいうことが起こった場合は、ヤコブはシケムに花嫁料を払わなければいけないのですね…。
ん?処女と寝た男の方が払うのかしら…?代名詞を使われると主語が分かりにくいです…。


魔法使の女は、これを生かしておいてはならない。
すべて獣を犯す者は、必ず殺されなければならない。
主のほか、他の神々に犠牲をささげる者は、断ち滅ぼされなければならない。


出エジプト記 22:18-20


大学の授業で魔女裁判について扱った時に見た箇所だー!この箇所を根拠にヨーロッパやアメリカで魔女とされた女性の処刑が次々に行われたのですよね…。
魔女裁判は、聖書の言葉というより疫病や戦などで不安に駆られた人々によって起きたもののような気もします。


あなたは寄留の他国人を苦しめてはならない。また、これをしえたげてはならない。あなたがたも、かつてエジプトの国で、寄留の他国人であったからである。
あなたがたはすべて寡婦、または孤児を悩ましてはならない。もしあなたが彼らを悩まして、彼らがわたしにむかって叫ぶならば、わたしは必ずその叫びを聞くであろう。


出エジプト記 22:21-23


なんか現代の日本にも適用したい戒めだ…。
最近はコンビニでも海外から来たと思われる方が働いていますよね。慣れない土地で、慣れない言語で、あそこまで多様な業務をこなすのってすごいことですよね。
「急がなくて大丈夫ですよ。」と声をかけたりして、優しく接したいです。
日本が外国人にも、シングルマザーにも、他の立場の弱い人にも優しくあれる国であって欲しいです。


あなたは神をののしってはならない。また民の司をのろってはならない。あなたの豊かな穀物と、あふれる酒とをささげるに、ためらってはならない。あなたのういごを、わたしにささげなければならない。


出エジプト記 22:28-29


私も、教会に献金する時にためらわずに神様にお金を捧げたいなぁ。
そもそも、私が持っている財産は全て神様に与えられたものですからね。

2019年3月6日、7日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

日付変わりまして一昨日の朝と昨日の朝読んだ箇所から↓

神はこのすべての言葉を語って言われた。
「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。

出エジプト記 20:1-6

私は付き合いで神社とかお寺に行くことはあるのですが、お参りしたりお守りを買ったりすることはありません。私が信仰する神様に怒られてしまうからです。
ポケモンGOしてる時に神社のポケストップを回す時には、神様と神社の方にちょっと申し訳なさを感じます(笑)

あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。

出エジプト記 20:7

英語圏の人ってよく"Oh, my God!"と言いますが、本当はこれも良くないらしいんですよね…。"Oh, no!"がおすすめです。
お祈りする時に大切に御名を唱えるのが良いのかもしれません。

安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。

出エジプト記 20:8-11

礼拝にはちゃんと行くようになったけど、安息日にもバイトしちゃってるわ…。半分遊んでるようなバイトだけども…(言い訳)
あ、でもイエス安息日について語る箇所が新約聖書にありました!

すると、そのとき、片手のなえた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に人をいやしても、さしつかえないか」と尋ねた。イエスは彼らに言われた、「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。人は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」。そしてイエスはその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、ほかの手のように良くなった。

マタイによる福音書 12:10-13

私のバイトも人を助けるようなものだから大丈夫かな!多分!人を助けてお金貰ってるけども!

あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
あなたは殺してはならない。
あなたは姦淫してはならない。
あなたは盗んではならない。
あなたは隣人について、偽証してはならない。
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

出エジプト記 20:12-17

これらの戒めは新約聖書にも出てきた気がします!
キリスト教って、家族と同じくらい隣人も大切にする宗教な気がします。

民は皆、かみなりと、いなずまと、ラッパの音と、山の煙っているのとを見た。民は恐れおののき、遠く離れて立った。彼らはモーセに言った、「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞き従います。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう」。モーセは民に言った、「恐れてはならない。神はあなたがたを試みるため、またその恐れをあなたがたの目の前において、あなたがたが罪を犯さないようにするために臨まれたのである」。そこで、民は遠く離れて立ったが、モーセは神のおられる濃い雲に近づいて行った。

出エジプト記 20:18-21

神様と本当に対峙すると、この箇所のイスラエルの民のように恐くなって離れたくなるものなのかもしれません。
神様がそうやって恐ろしくあるのは、人を罪から遠ざけるためのことで、恐ろしさは神様の愛から来てるのかもしれません。

あなたがヘブルびとである奴隷を買う時は、六年のあいだ仕えさせ、七年目には無償で自由の身として去らせなければならない。

出エジプト記 21:2

おわ、奴隷制が登場!
多分、かつての奴隷貿易が正当化されていたのもこういう聖書箇所が関係しているんだろうなあ。
書いてあることの大体が余り理解できませんでしたが、イスラエルの民における奴隷制は奴隷の権利がある程度保証され、仕えることの対価に金銭が払われることが定められていたようです。借金清算の手段だったのかもしれません。

もし人がその娘を女奴隷として売るならば、その娘は男奴隷が去るように去ってはならない。彼女がもし彼女を自分のものと定めた主人の気にいらない時は、その主人は彼女が、あがなわれることを、これに許さなければならない。彼はこれを欺いたのであるから、これを他国の民に売る権利はない。彼がもし彼女を自分の子のものと定めるならば、これを娘のように扱わなければならない。彼が、たとい、ほかに女をめとることがあっても、前の女に食物と衣服を与えることと、その夫婦の道とを絶えさせてはならない。彼がもしこの三つを行わないならば、彼女は金を償わずに去ることができる。

出エジプト記 21:7-11

この箇所は日本語で読むと分かりづらいですが、英語で読んだら女奴隷は実質的には側女だったようです。
女奴隷を買ったのにその奴隷が気に入らなかった場合は、主人はお金を渡した上で去らせなければいけなかったみたいです。
男性よりも力が弱い女性が男性の良いように身分を転々としないように、神様は女性を守る戒めを与えたのでしょうね。

人を撃って死なせた者は、必ず殺されなければならない。しかし、人がたくむことをしないのに、神が彼の手に人をわたされることのある時は、わたしはあなたのために一つの所を定めよう。彼はその所へのがれることができる。しかし人がもし、ことさらにその隣人を欺いて殺す時は、その者をわたしの祭壇からでも、捕えて行って殺さなければならない。自分の父または母を撃つ者は、必ず殺されなければならない。人をかどわかした者は、これを売っていても、なお彼の手にあっても、必ず殺されなければならない。

出エジプト記 21:12-16

「人がたくむことをしない〜一つの所を定めよう。」の部分、分かりにくいですが英語版だと「故意でなく人を殺してしまった場合は神が逃れる場所を用意しよう。」みたいなニュアンスになってました。
殺人即ち死刑か…。殺人はそれほど重い罪なんだろうけども…。

もし人が互に争って、身ごもった女を撃ち、これに流産させるならば、ほかの害がなくとも、彼は必ずその女の夫の求める罰金を課せられ、裁判人の定めるとおりに支払わなければならない。しかし、ほかの害がある時は、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。

出エジプト記 21:22-25

ハンムラビ法典みたいだ!
そっか、命には命で償うのか…。そしたら殺人即ち死刑になるのかな…。
あ、でも新約聖書でイエスがこの戒めについて言及していましたね。

『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。求める者には与え、借りようとする者を断るな。

マタイによる福音書 5:38-42

旧約聖書新約聖書が矛盾しているようにも読めますが、「自分が罪を犯す時には報いを受けることを覚悟しなさい。自分に罪を犯す人がいたなら、神があなたの罪を赦したようにあなたもその人を赦しなさい。」ということを言っているのかなと思いました。
まぁ、罪を犯すのも犯されるのも避けたいものですが!!

2019年3月4日、5日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

昨日と今朝、読んだ箇所から↓

さて、モーセのしゅうと、ミデアンの祭司エテロは、神がモーセと、み民イスラエルとにされたすべての事、主がイスラエルをエジプトから導き出されたことを聞いた。それでモーセのしゅうと、エテロは、さきに送り返されていたモーセの妻チッポラと、そのふたりの子とを連れてきた。そのひとりの名はゲルショムといった。モーセが、「わたしは外国で寄留者となっている」と言ったからである。ほかのひとりの名はエリエゼルといった。「わたしの父の神はわたしの助けであって、パロのつるぎからわたしを救われた」と言ったからである。


出エジプト記 18:1-4


そういえば、モーセってエジプト人と結婚していたんだっけか…。エジプトを出る前に離婚していたんだな…。
モーセを追いかけて荒野まで来るなんて、お舅さん良い方!


そこでモーセはしゅうとを出迎えて、身をかがめ、彼に口づけして、互に安否を問い、共に天幕にはいった。そしてモーセは、主がイスラエルのために、パロとエジプトびととにされたすべての事、道で出会ったすべての苦しみ、また主が彼らを救われたことを、しゅうとに物語ったので、エテロは主がイスラエルをエジプトびとの手から救い出して、もろもろの恵みを賜わったことを喜んだ。そしてエテロは言った、「主はほむべきかな。主はあなたがたをエジプトびとの手と、パロの手から救い出し、民をエジプトびとの手の下から救い出された。今こそわたしは知った。実に彼らはイスラエルびとにむかって高慢にふるまったが、主はあらゆる神々にまさって大いにいますことを」。


出エジプト記 18:7-11


出エジプト記を読む私も、エテロと同じような気持ちです。モーセが記した御言葉を通して神様の偉大さを知る今日この頃です。
エテロは祭司ですから、きっとエジプト神をずっと信仰してきたと思うのです。そんな、いわゆる異邦人にも神様の御業は働くのですね。


あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。モーセのしゅうとは、彼がすべて民にしていることを見て、言った、「あなたが民にしているこのことはなんですか。あなたひとりが座し、民はみな朝から晩まで、あなたのまわりに立っているのはなぜですか」。モーセはしゅうとに言った、「民が神に伺おうとして、わたしの所に来るからです。彼らは事があれば、わたしの所にきます。わたしは相互の間をさばいて、神の定めと判決を知らせるのです」。モーセのしゅうとは彼に言った、「あなたのしていることは良くない。あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない。今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。あなたは民のために神の前にいて、事件を神に述べなさい。あなたは彼らに定めと判決を教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい。また、すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい。平素は彼らに民をさばかせ、大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ、小事件はすべて彼らにさばかせなさい。こうしてあなたを身軽にし、あなたと共に彼らに、荷を負わせなさい。あなたが、もしこの事を行い、神もまたあなたに命じられるならば、あなたは耐えることができ、この民もまた、みな安んじてその所に帰ることができよう」。


出エジプト記 18:13-23


現代の裁判と同じような制度ができましたね!
エテロはモーセを気遣い、主なる神に祈りつつモーセにアドバイスしているようです。私もこんな風に人にアドバイスできたらな…。
というか、エテロって旧約聖書では稀な思慮深さとハートフルさを兼ね備えた人物ですね!


そんなエテロはモーセにアドバイスをした後、エジプトに戻っていきます。


イスラエルの人々は、エジプトの地を出て後三月目のその日に、シナイの荒野にはいった。すなわち彼らはレピデムを出立してシナイの荒野に入り、荒野に宿営した。イスラエルはその所で山の前に宿営した。
さて、モーセが神のもとに登ると、主は山から彼を呼んで言われた、「このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げなさい、『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。
それでモーセは行って民の長老たちを呼び、主が命じられたこれらの言葉を、すべてその前に述べたので、民はみな共に答えて言った、「われわれは主が言われたことを、みな行います」。モーセは民の言葉を主に告げた。


出エジプト記 19:1-8


「鷲の翼に載せてわたしの所にこさせた。」って、なんか素敵な表現…。
神様の御業を見せられたイスラエル人は、神様との契約を結ぶことでより神様と近しい関係を築くようになるのかしら。


主はモーセに言われた、「見よ、わたしは濃い雲のうちにあって、あなたに臨むであろう。それはわたしがあなたと語るのを民に聞かせて、彼らに長くあなたを信じさせるためである」。モーセは民の言葉を主に告げた。


出エジプト記 19:9


三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた。


出エジプト記 19:16-19


自然の力強さを感じさせる箇所ですね…!聖書ってとても古い文章なのに、時折迫力ある表現が使われていますね。
そんな力強い自然を用いて、神様はイスラエル人たちに語りかけていますね。火山も雲も雷も、神様の御手の中にあるんだなぁ。


主はモーセに言われた、「下って行って民を戒めなさい。民が押し破って、主のところにきて、見ようとし、多くのものが死ぬことのないようにするためである。主に近づく祭司たちにもまた、その身をきよめさせなさい。主が彼らを打つことのないようにするためである」。モーセは主に言った、「民はシナイ山に登ることはできないでしょう。あなたがわたしたちを戒めて『山のまわりに境を設け、それをきよめよ』と言われたからです」。主は彼に言われた、「行け、下れ。そしてあなたはアロンと共に登ってきなさい。ただし、祭司たちと民とが、押し破って主のところに登ることのないようにしなさい。主が彼らを打つことのないようにするためである」。モーセは民の所に下って行って彼らに告げた。


出エジプト記 19:21-25


神様は強い言葉でモーセイスラエル人たちの所に行くよう告げてますね…。
これから何か恐ろしいことが起きるのかしら…。

2019年3月2日、3日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

昨日と今朝読んだ箇所から↓

イスラエルの人々の全会衆はエリムを出発し、エジプトの地を出て二か月目の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にきたが、その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう」。


出エジプト記 16:1-5


ものすごい奇跡を目の当たりにしても、イスラエルの人々はエジプトでの過酷な日々の方が良かったと思っているのですね…。
そんなイスラエル人のために、神様は天からパンを降らせるそうです。
…天からパン…だと…?


モーセはアロンに言った、「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたは主の前に近づきなさい。主があなたがたのつぶやきを聞かれたからである』と」。それでアロンがイスラエルの人々の全会衆に語ったとき、彼らが荒野の方を望むと、見よ、主の栄光が雲のうちに現れていた。主はモーセに言われた、「わたしはイスラエルの人々のつぶやきを聞いた。彼らに言いなさい、『あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう』と」。夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。


出エジプト記 16:9-16


うずら…食べられてしもたんかな…?
神様はご自身への感謝の言葉だけでなく、不平不満も聞いてくださるのだなぁ。神様を試みず、神様を頼る人に、神様は応えてくれるのかな。
「主の栄光が雲のうちに現れていた。」って好きな表現だなぁ。
「薄い霜のよう」なパンってどんな味なんだろ?


イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。モーセは彼らにむかって怒った。彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。
六日目には、彼らは二倍のパン、すなわちひとりに二オメルを集めた。そこで、会衆の長たちは皆きて、モーセに告げたが、モーセは彼らに言った、「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。彼らはモーセの命じたように、それを朝まで保存したが、臭くならず、また虫もつかなかった。モーセは言った、「きょう、それを食べなさい。きょうは主の安息日であるから、きょうは野でそれを獲られないであろう。六日の間はそれを集めなければならない。七日目は安息日であるから、その日には無いであろう」。ところが民のうちには、七日目に出て集めようとした者があったが、獲られなかった。


出エジプト記 16:17-27


神様はイスラエル人が飢えもせず飽きもしない量の食糧を過不足なく与えたんだなぁ。
それも、安息日に休めるように6日目には多めに。
私も気づきにくいけれど、こうやって日々の糧を神様に過不足なく与えられているのかしら。


イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。モーセは言った、「主の命じられることはこうである、『それを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。それはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出した時、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見させるためである』と」。


出エジプト記 16:31-32


マナ…美味しそうな描写だ…!
この時のマナは今もどこかに残っているのかしら?


イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには民の飲む水がなかった。それで、民はモーセと争って言った、「わたしたちに飲む水をください」。モーセは彼らに言った、「あなたがたはなぜわたしと争うのか、なぜ主を試みるのか」。民はその所で水にかわき、モーセにつぶやいて言った、「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、わたしたちを、子供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのですか」。このときモーセは主に叫んで言った、「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。彼らは、今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」。主はモーセに言われた、「あなたは民の前に進み行き、イスラエルの長老たちを伴い、あなたがナイル川を打った、つえを手に取って行きなさい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。モーセイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。


出エジプト記 17:1-6


今度は水問題ですね…。
イスラエルの民が飢え渇く時、いつも神様は助けてくれますね。


ときにアマレクがきて、イスラエルとレピデムで戦った。モーセヨシュアに言った、「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。わたしはあす神のつえを手に取って、丘の頂に立つであろう」。ヨシュアモーセが彼に言ったようにし、アマレクと戦った。モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。


出エジプト記 17:8-13


突然のバトル!荒野にも誰かが攻めてくるものなのですね…。
ヨシュアって誰じゃい!?」と思って今まで読んだ箇所を探してみましたが、ここで初登場の人物のようです。本当に誰じゃい。武将的な人?
モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち」って、不思議ですねぇ。アロンとホルもお疲れ様です(?)
あ、ホルも誰じゃい!?


主はモーセに言われた、「これを書物にしるして記念とし、それをヨシュアの耳に入れなさい。わたしは天が下からアマレクの記憶を完全に消し去るであろう」。モーセは一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ。そしてモーセは言った、「主の旗にむかって手を上げる、主は世々アマレクと戦われる」。


出エジプト記 17:14-16


アマレクとの戦いの間、神様もイスラエル人と共に戦っていたのだな。
イスラエル人の戦士を率いたのはヨシュアでしたが、本当にイスラエル軍を率いたのは神様だったと思うのです。