キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年2月8日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

ヤコブはエジプトに穀物があると知って、むすこたちに言った、「あなたがたはなぜ顔を見合わせているのですか」。また言った、「エジプトに穀物があるということだが、あなたがたはそこへ下って行って、そこから、われわれのため穀物を買ってきなさい。そうすれば、われわれは生きながらえて、死を免れるであろう」。そこでヨセフの十人の兄弟は穀物を買うためにエジプトへ下った。しかし、ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄弟たちと一緒にやらなかった。彼が災に会うのを恐れたからである。

創世記 42:1-4

ヨセフの故郷でも飢饉が起こったようです。
ヨセフの兄弟たちは、ヨセフが管理する穀物庫に食料をもらいに行きます。

ときにヨセフは国のつかさであって、国のすべての民に穀物を売ることをしていた。ヨセフの兄弟たちはきて、地にひれ伏し、彼を拝した。ヨセフは兄弟たちを見て、それと知ったが、彼らに向かっては知らぬ者のようにし、荒々しく語った。すなわち彼らに言った、「あなたがたはどこからきたのか」。彼らは答えた、「食糧を買うためにカナンの地からきました」。ヨセフは、兄弟たちであるのを知っていたが、彼らはヨセフとは知らなかった。ヨセフはかつて彼らについて見た夢を思い出して、彼らに言った、「あなたがたは回し者で、この国のすきをうかがうためにきたのです」。

創世記 42:6-9

37章でヨセフが見た夢が実現します↓

ある時、ヨセフは夢を見て、それを兄弟たちに話したので、彼らは、ますます彼を憎んだ。ヨセフは彼らに言った、「どうぞわたしが見た夢を聞いてください。わたしたちが畑の中で束を結わえていたとき、わたしの束が起きて立つと、あなたがたの束がまわりにきて、わたしの束を拝みました」。

創世記 37:5-7

自分を奴隷として売った兄弟たちが、今度は自分にかしずいているのは、何というか巡り合わせですね…。
ところで、ヨセフの行動に兄弟への憎しみしか感じられないのですが、何か考えがあるのでしょうか?

兄弟たちはもちろん回し者ではないと否定しますが…

ヨセフは彼らに言った、「わたしが言ったとおり、あなたがたは回し者です。あなたがたをこうしてためしてみよう。パロのいのちにかけて誓います。末の弟がここにこなければ、あなたがたはここを出ることはできません。あなたがたのひとりをやって弟を連れてこさせなさい。それまであなたがたをつないでおいて、あなたがたに誠実があるかどうか、あなたがたの言葉をためしてみよう。パロのいのちにかけて誓います。あなたがたは確かに回し者です」。

創世記 42:14-16

こうしてヨセフは兄弟たちを3日牢に入れ、一人を残して旅の食料を持たせ、彼らの銀貨を返してヤコブとベニヤミンの元に向かわせます。

彼らは互に言った、「確かにわれわれは弟の事で罪がある。彼がしきりに願った時、その心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでこの苦しみに会うのだ」。ルベンが彼らに答えて言った、「わたしはあなたがたに、この子供に罪を犯すなと言ったではないか。それにもかかわらず、あなたがたは聞き入れなかった。それで彼の血の報いを受けるのです」。彼らはヨセフが聞きわけているのを知らなかった。相互の間に通訳者がいたからである。ヨセフは彼らを離れて行って泣き、また帰ってきて彼らと語り、そのひとりシメオンを捕えて、彼らの目の前で縛った。

創世記 42:21-24

ヨセフの兄弟たちはヨセフに犯した罪を悔い改めているんだな。
ヨセフは手に入れた権力を用いて兄弟たちを裁いたのだろうか。

さて、ヨセフの兄弟たちはヤコブの元に戻ります。

ヤコブは彼らに言った、「あなたがたはわたしに子を失わせた。ヨセフはいなくなり、シメオンもいなくなった。今度はベニヤミンをも取り去る。これらはみなわたしの身にふりかかって来るのだ」。ルベンは父に言った、「もしわたしが彼をあなたのもとに連れて帰らなかったら、わたしのふたりの子を殺してください。ただ彼をわたしの手にまかせてください。わたしはきっと、あなたのもとに彼を連れて帰ります」。ヤコブは言った、「わたしの子はあなたがたと共に下って行ってはならない。彼の兄は死に、ただひとり彼が残っているのだから。もしあなたがたの行く道で彼が災に会えば、あなたがたは、しらがのわたしを悲しんで陰府に下らせるであろう」。

創世記 42:36-38

そうだ、ヤコブはヨセフが獣に食い殺されたと思ってるんだった。他の兄弟たちもヨセフに会ったことに気づいてなかったけど。
ヤコブも、人生の最後の方にまた大きな悲しみを味わいたくはないよなぁ…。
次の章ではどうなるんだろうか。
ヨセフと兄弟たちは和解できるのだろうか。

2019年2月7日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝(と言っても11時台)読んだ箇所から↓

これらの事の後、エジプト王の給仕役と料理役とがその主君エジプト王に罪を犯した。パロはふたりの役人、すなわち給仕役の長と料理役の長に向かって憤り、侍衛長の家の監禁所、すなわちヨセフがつながれている獄屋に入れた。侍衛長はヨセフに命じて彼らと共におらせたので、ヨセフは彼らに仕えた。こうして彼らは監禁所で幾日かを過ごした。さて獄屋につながれたエジプト王の給仕役と料理役のふたりは一夜のうちにそれぞれ意味のある夢を見た。

創世記 40:1-5

ヨセフ、獄屋の中で役人の世話を任せられるほど信頼されていたのだなぁ。

そこでヨセフは自分と一緒に主人の家の監禁所にいるパロの役人たちに尋ねて言った、「どうして、きょう、あなたがたの顔色が悪いのですか」。彼らは言った、「わたしたちは夢を見ましたが、解いてくれる者がいません」。ヨセフは彼らに言った、「解くことは神によるのではありませんか。どうぞ、わたしに話してください」。

創世記 40:7-8

ヨセフが二人の夢を読み解くと、3日後に給仕役の長が復職し、料理役の長が木にかけられることが分かりました。そして、その通りになります。
ヨセフは自分の知恵ではなく神の知恵に頼ったから二人の夢を読み解く事が出来たのだと思います。

ヨハネは給仕役の長に夢の解き明かしをした時にこう語ります↓

それで、あなたがしあわせになられたら、わたしを覚えていて、どうかわたしに恵みを施し、わたしの事をパロに話して、この家からわたしを出してください。わたしは、実はヘブルびとの地からさらわれてきた者です。またここでもわたしは地下の獄屋に入れられるような事はしなかったのです」。

創世記 40:14-15

今日は続きの章も読んでみました↓

二年の後パロは夢を見た。夢に、彼はナイル川のほとりに立っていた。すると、その川から美しい、肥え太った七頭の雌牛が上がってきて葦を食っていた。その後、また醜い、やせ細った他の七頭の雌牛が川から上がってきて、川の岸にいた雌牛のそばに立ち、その醜い、やせ細った雌牛が、あの美しい、肥えた七頭の雌牛を食いつくした。ここでパロは目が覚めた。
彼はまた眠って、再び夢を見た。夢に、一本の茎に太った良い七つの穂が出てきた。その後また、やせて、東風に焼けた七つの穂が出てきて、そのやせた穂が、あの太って実った七つの穂をのみつくした。ここでパロは目が覚めたが、それは夢であった。

創世記 41:1-7

ヨハネの黙示録を思い出させる不気味な夢ですね…。
何か良くないことが起きるのは間違いなさそうです…。

そのとき給仕役の長はパロに告げて言った、「わたしはきょう、自分のあやまちを思い出しました。かつてパロがしもべらに向かって憤り、わたしと料理役の長とを侍衛長の家の監禁所にお入れになった時、わたしも彼も一夜のうちに夢を見、それぞれ意味のある夢を見ましたが、そこに侍衛長のしもべで、ひとりの若いヘブルびとがわれわれと共にいたので、彼に話したところ、彼はわれわれの夢を解き明かし、その夢によって、それぞれ解き明かしをしました。そして彼が解き明かしたとおりになって、パロはわたしを職に返し、彼を木に掛けられました」。

創世記 41:9-13

給仕役長さん、二年もほっとくなや…。
ヨセフはパロに呼び出されます。

パロはヨセフに言った、「わたしは夢を見たが、これを解き明かす者がない。聞くところによると、あなたは夢を聞いて、解き明かしができるそうだ」。ヨセフはパロに答えて言った、「いいえ、わたしではありません。神がパロに平安をお告げになりましょう」。

創世記 41:15-16

ヨセフはパロの前でも堂々と神様の証をするなぁ。
ヨセフは次のようにパロに夢の解き明かしをします。

わたしがパロに申し上げたように、神がこれからしようとすることをパロに示されたのです。エジプト全国に七年の大豊作があり、その後七年のききんが起り、その豊作はみなエジプトの国で忘れられて、そのききんは国を滅ぼすでしょう。後に来るそのききんが、非常に激しいから、その豊作は国のうちで記憶されなくなるでしょう。パロが二度重ねて夢を見られたのは、この事が神によって定められ、神がすみやかにこれをされるからです。

創世記 41:28-32

「大事なことなので二度言いました。」ってヤツですね!
ヨセフは七年の豊作の内に穀物を蓄えるよう助言し、パロはヨセフにそのための穀倉の管理を任せます。

エジプトの国にあった七年の豊作が終り、ヨセフの言ったように七年のききんが始まった。そのききんはすべての国にあったが、エジプト全国には食物があった。やがてエジプト全国が飢えた時、民はパロに食物を叫び求めた。そこでパロはすべてのエジプトびとに言った、「ヨセフのもとに行き、彼の言うようにせよ」。ききんが地の全面にあったので、ヨセフはすべての穀倉を開いて、エジプトびとに売った。ききんはますますエジプトの国に激しくなった。ききんが全地に激しくなったので、諸国の人々がエジプトのヨセフのもとに穀物を買うためにきた。

創世記 41:53-57

自分の知恵ではなく神様の知恵を頼ったことで、ヨセフは獄から救い出され地位を得ることができました。
また、パロも神様の言葉を信じたことで多くの民を飢餓から救うことができました。
私はヨセフのような地位は望みませんが、困難な時も神様に頼れるようになりたいです。

2019年2月6日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 


今朝読んだ箇所から↓

さてヨセフは連れられてエジプトに下ったが、パロの役人で侍衛長であったエジプトびとポテパルは、彼をそこに連れ下ったイシマエルびとらの手から買い取った。主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。そこで、ヨセフは彼の前に恵みを得、そのそば近く仕えた。彼はヨセフに家をつかさどらせ、持ち物をみな彼の手にゆだねた。

創世記 39:1-4

兄たちに奴隷として売られてしまったヨセフでしたが、仕えた家で大きな恵みを得ることができたようです!
ヨセフが正しい人で信仰に篤い人だからこそ、神様はヨセフを通して大胆に御姿を見せられたのかしら。
ポテパルがヨセフに持ち物を全て任せるのも、神様に自分の全てを委ねるクリスチャンの信仰に重なります。(当時はまだクリスチャンは居ませんが…。)

そこで彼は持ち物をみなヨセフの手にゆだねて、自分が食べる物のほかは、何をも顧みなかった。さてヨセフは姿がよく、顔が美しかった。これらの事の後、主人の妻はヨセフに目をつけて言った、「わたしと寝なさい」。ヨセフは拒んで、主人の妻に言った、「御主人はわたしがいるので家の中の何をも顧みず、その持ち物をみなわたしの手にゆだねられました。この家にはわたしよりも大いなる者はありません。また御主人はあなたを除いては、何をもわたしに禁じられませんでした。あなたが御主人の妻であるからです。どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。彼女は毎日ヨセフに言い寄ったけれども、ヨセフは聞きいれず、彼女と寝なかった。また共にいなかった。

創世記 39:6-10

セクハラ、ダメゼッタイ!
力の差を使って異性を手に入れようとするのは男女問わないですね…。
ヨセフは自分に持ち物の全てを任せてくれたエジプト人の主人も、主なる神様も裏切りたくなかったのに…。

ある日ヨセフが務をするために家にはいった時、家の者がひとりもそこにいなかったので、彼女はヨセフの着物を捕えて、「わたしと寝なさい」と言った。ヨセフは着物を彼女の手に残して外にのがれ出た。彼女はヨセフが着物を自分の手に残して外にのがれたのを見て、その家の者どもを呼び、彼らに告げて言った、「主人がわたしたちの所に連れてきたヘブルびとは、わたしたちに戯れます。彼はわたしと寝ようとして、わたしの所にはいったので、わたしは大声で叫びました。彼はわたしが声をあげて叫ぶのを聞くと、着物をわたしの所に残して外にのがれ出ました」。

創世記 39:11-15

ヨセフは正しいことをしたのに、悪意ある嘘で印象を歪められてしまいます。主人の妻は自分のことしか考えてないな…。
去年読んだ新約聖書にも書かれていましたが、正しいことを行う人でもこの世で迫害を受けてしまうものなのですね…。
ペテロの第一の手紙から引用します↓

そこで、もしあなたがたが善に熱心であれば、だれが、あなたがたに危害を加えようか。しかし、万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。また、あなたがたのうちにある望みについて説明を求める人には、いつでも弁明のできる用意をしていなさい。

ペテロの第一の手紙 3:13-15

さて、ヨセフの主人にも同じことが告げられてしまいます。

主人はその妻が「あなたのしもべは、わたしにこんな事をした」と告げる言葉を聞いて、激しく怒った。そしてヨセフの主人は彼を捕えて、王の囚人をつなぐ獄屋に投げ入れた。こうしてヨセフは獄屋の中におったが、主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ、獄屋番の恵みをうけさせられた。獄屋番は獄屋におるすべての囚人をヨセフの手にゆだねたので、彼はそこでするすべての事をおこなった。獄屋番は彼の手にゆだねた事はいっさい顧みなかった。主がヨセフと共におられたからである。主は彼のなす事を栄えさせられた。

創世記 39:19-23

一度はヨセフを信頼した主人も、妻の偽りを信じてしまいました…。
ヨセフはより過酷な状況に置かれましたが、そこでも神様が共にいて恵みを与えてくれました。
私も、どんな状況に置かれても絶望せずに神様を頼ろう。そうしよう。

2019年2月5日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 


今朝読んだ箇所から↓

そのころユダは兄弟たちを離れて下り、アドラムびとで、名をヒラという者の所へ行った。ユダはその所で、名をシュアというカナンびとの娘を見て、これをめとり、その所にはいった。

創世記 38:1-2

ユダって誰だったかな…と思って聖書を遡ったら、ヤコブとレアの三番目の子でした。29章に初登場します。
ユダはシュアとの間にエル、オナン、シラと三人の男の子を設けます。

ユダは長子エルのために、名をタマルという妻を迎えた。しかしユダの長子エルは主の前に悪い者であったので、主は彼を殺された。そこでユダはオナンに言った、「兄の妻の所にはいって、彼女をめとり、兄に子供を得させなさい」。しかしオナンはその子が自分のものとならないのを知っていたので、兄の妻の所にはいった時、兄に子を得させないために地に洩らした。彼のした事は主の前に悪かったので、主は彼をも殺された。そこでユダはその子の妻タマルに言った、「わたしの子シラが成人するまで、寡婦のままで、あなたの父の家にいなさい」。彼は、シラもまた兄弟たちのように死ぬかもしれないと、思ったからである。それでタマルは行って父の家におった。

創世記 38:6-11

当時の社会において「自分の子どもがいる」というのは何か重要なステータスだったのかしら。オナンはタマル以外の女性との間に子を設けようとしたのかしら。
当時の女性が今よりずっと立場の弱い存在だったことは想像に容易いので、エルとオナンと死別し、シラと再婚させてもらえる保証がないタマルは社会の中で生きていくのに大きな不安を感じていただろうなと思います。

日がたってシュアの娘ユダの妻は死んだ。その後、ユダは喪を終ってその友アドラムびとヒラと共にテムナに上り、自分の羊の毛を切る者のところへ行った。時に、ひとりの人がタマルに告げて、「あなたのしゅうとが羊の毛を切るためにテムナに上って来る」と言ったので、彼女は寡婦の衣服を脱ぎすて、被衣で身をおおい隠して、テムナへ行く道のかたわらにあるエナイムの入口にすわっていた。彼女はシラが成人したのに、自分がその妻にされないのを知ったからである。ユダは彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたため、遊女だと思い、道のかたわらで彼女に向かって言った、「さあ、あなたの所にはいらせておくれ」。彼はこの女がわが子の妻であることを知らなかったからである。彼女は言った、「わたしの所にはいるため、何をくださいますか」。ユダは言った、「群れのうちのやぎの子をあなたにあげよう」。彼女は言った、「それをくださるまで、しるしをわたしにくださいますか」。ユダは言った、「どんなしるしをあげようか」。彼女は言った、「あなたの印と紐と、あなたの手にあるつえとを」。彼はこれらを与えて彼女の所にはいった。彼女はユダによってみごもった。

創世記 38:12-18

20代乙女()な私の感情が着いていかない展開…。
タマルがこの策略を成功させたのはユダが妻を失ったばかりで、できるだけオブラートに包むと「淋しい」状態だったからかしら。
神様、そこを見越してタマルをベストなタイミングでユダに導いている…?
ユダがタマルだと気づかなかったのが不思議でしたが、それも神様の御業…?

さて、ユダたちは印を与えた女性を探しますが、見つかりません。
恥をかかないよう探索を止めると…

ところが三月ほどたって、ひとりの人がユダに言った、「あなたの嫁タマルは姦淫しました。そのうえ、彼女は姦淫によってみごもりました」。ユダは言った、「彼女を引き出して焼いてしまえ」。彼女は引き出された時、そのしゅうとに人をつかわして言った、「わたしはこれをもっている人によって、みごもりました」。彼女はまた言った、「どうか、この印と、紐と、つえとはだれのものか、見定めてください」。ユダはこれを見定めて言った、「彼女はわたしよりも正しい。わたしが彼女をわが子シラに与えなかったためである」。彼は再び彼女を知らなかった。

創世記 38:24-26

タマルはユダから財産を引き継ぎ、子どもの父親が誰かを明らかにしたことで、安定した生活を送れるようになったのかしら。
聖書は時折「男尊女卑を促進している」みたいに言われるようですが、今日の箇所に登場したタマルは自分が安心して生活できる権利を得るために能動的に行動していた気がします。
神様はご計画の中で男性も女性も平等に用いていると思います。

さて彼女の出産の時がきたが、胎内には、ふたごがあった。出産の時に、ひとりの子が手を出したので、産婆は、「これがさきに出た」と言い、緋の糸を取って、その手に結んだ。そして、その子が手をひっこめると、その弟が出たので、「どうしてあなたは自分で破って出るのか」と言った。これによって名はペレヅと呼ばれた。その後、手に緋の糸のある兄が出たので、名はゼラと呼ばれた。

創世記 38:27-30

この双子もまた、神様のご計画の中で用いられていくのかしら。

2019年2月4日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝は創世記の36章だけ読むつもりでしたが、36章はエサウ家系図がずっと続いててよく分からなかったので続きの37章も読みました。
今朝読んだ箇所から↓

エサウは妻と子と娘と家のすべての人、家畜とすべての獣、またカナンの地で獲たすべての財産を携え、兄弟ヤコブを離れてほかの地へ行った。彼らの財産が多くて、一緒にいることができなかったからである。すなわち彼らが寄留した地は彼らの家畜のゆえに、彼らをささえることができなかったのである。

創世記 36:6-7

ヤコブ(イスラエル)の兄、エサウもまた複数の妻の間に多くの子が居ました。
エサウヤコブを離れたのは、家畜が多すぎてその土地の草を食べ尽くす勢いだったからみたいですね。

エサウの子らの中で、族長たる者は次のとおりである。すなわちエサウの長子エリパズの子らはテマンの族長、オマルの族長、ゼポの族長、ケナズの族長、コラの族長、ガタムの族長、アマレクの族長である。これらはエリパズから出た族長で、エドムの地におった。これらはアダの子らである。エサウの子リウエルの子らは次のとおりである。すなわちナハテの族長、ゼラの族長、シャンマの族長、ミザの族長。これらはリウエルから出た族長で、エドムの地におった。これらはエサウの妻バスマテの子らである。エサウの妻アホリバマの子らは次のとおりである。すなわちエウシの族長、ヤラムの族長、コラの族長。これらはアナの娘で、エサウの妻アホリバマから出た族長である。

創世記 36:15-18

25章で神様に「弟に仕えることになるだろう」というようなことを言われたエサウの子孫も、多くの土地の有力者たちになったのですね。
この箇所にある子たち以外も、多くが族長になったそうです。
神様はエサウのことも顧みられてたのだな。

ヤコブの子孫は次のとおりである。ヨセフは十七歳の時、兄弟たちと共に羊の群れを飼っていた。彼はまだ子供で、父の妻たちビルハとジルパとの子らと共にいたが、ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。ヨセフは年寄り子であったから、イスラエルは他のどの子よりも彼を愛して、彼のために長そでの着物をつくった。兄弟たちは父がどの兄弟よりも彼を愛するのを見て、彼を憎み、穏やかに彼に語ることができなかった。

創世記 37:2-4

兄弟のえこひいき、いくない。

ヨセフはこの後、ヨセフが他の兄弟や両親を従える夢を見、それを話すと兄弟により憎しみを抱かれてしまいます。
ヨセフは父親に言われて野で羊の群れを飼っている兄弟たちのもとに向かいます。

ヨセフが彼らに近づかないうちに、彼らははるかにヨセフを見て、これを殺そうと計り、互に言った、「あの夢見る者がやって来る。さあ、彼を殺して穴に投げ入れ、悪い獣が彼を食ったと言おう。そして彼の夢がどうなるか見よう」。ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から救い出そうとして言った、「われわれは彼の命を取ってはならない」。ルベンはまた彼らに言った、「血を流してはいけない。彼を荒野のこの穴に投げ入れよう。彼に手をくだしてはならない」。これはヨセフを彼らの手から救いだして父に返すためであった。

創世記 37:18-22

ルベンはヨセフと母親が違いましたが、ヨセフの味方だったようです。

さて、ヨセフが兄弟たちのもとへ行くと、彼らはヨセフの着物、彼が着ていた長そでの着物をはぎとり、彼を捕えて穴に投げ入れた。その穴はからで、その中に水はなかった。こうして彼らはすわってパンを食べた。時に彼らが目をあげて見ると、イシマエルびとの隊商が、らくだに香料と、乳香と、もつやくとを負わせてエジプトへ下り行こうとギレアデからやってきた。そこでユダは兄弟たちに言った、「われわれが弟を殺し、その血を隠して何の益があろう。さあ、われわれは彼をイシマエルびとに売ろう。彼はわれわれの兄弟、われわれの肉身だから、彼に手を下してはならない」。兄弟たちはこれを聞き入れた。時にミデアンびとの商人たちが通りかかったので、彼らはヨセフを穴から引き上げ、銀二十シケルでヨセフをイシマエルびとに売った。彼らはヨセフをエジプトへ連れて行った。さてルベンは穴に帰って見たが、ヨセフが穴の中にいなかったので、彼は衣服を裂き、兄弟たちのもとに帰って言った、「あの子はいない。ああ、わたしはどこへ行くことができよう」。

創世記 37:23-30

この「服を裂く」というのはユダヤの人の最大限の怒りの表現だそうです。
ヨセフはただ父親に多く愛されただけなのに、何故ここまで他の兄弟に憎まれなくてはならなかったのだろう。
ヨセフを救えなかったルベンはどれほど憤っただろう。

彼らはヨセフの着物を取り、雄やぎを殺して、着物をその血に浸し、その長そでの着物を父に持ち帰って言った、「わたしたちはこれを見つけましたが、これはあなたの子の着物か、どうか見さだめてください」。父はこれを見さだめて言った、「わが子の着物だ。悪い獣が彼を食ったのだ。確かにヨセフはかみ裂かれたのだ」。そこでヤコブは衣服を裂き、荒布を腰にまとって、長い間その子のために嘆いた。

創世記 37:31-34

ヤコブはヨセフが死んだことも悲しかったのでしょうが、獣に食われ噛み裂かれたという大きな苦痛を伴う死に方をヨセフがしたことでも嘆いたような気がします。
そんな気持ちをヤコブに与えたヨセフとルベンの兄弟たち、とことん酷い…。

さて、かのミデアンびとらはエジプトでパロの役人、侍衛長ポテパルにヨセフを売った。

創世記 37:36

ヨセフはこの後どうなるのかしら。

2019年2月3日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

ときに神はヤコブに言われた、「あなたは立ってベテルに上り、そこに住んで、あなたがさきに兄エサウの顔を避けてのがれる時、あなたに現れた神に祭壇を造りなさい」。ヤコブは、その家族および共にいるすべての者に言った、「あなたがたのうちにある異なる神々を捨て、身を清めて着物を着替えなさい。われわれは立ってベテルに上り、その所でわたしの苦難の日にわたしにこたえ、かつわたしの行く道で共におられた神に祭壇を造ろう」。そこで彼らは持っている異なる神々と、耳につけている耳輪をことごとくヤコブに与えたので、ヤコブはこれをシケムのほとりにあるテレビンの木の下に埋めた。そして彼らは、いで立ったが、大いなる恐れが周囲の町々に起ったので、ヤコブの子らのあとを追う者はなかった。

創世記 35:1-5

ヤコブヤコブと共に居た人々がそれまでの信仰を捨て新たな祭壇を作る姿を見て、他の人々は恐れを抱いたみたいです。

ヤコブたちはベテルに着き、神様の言葉通りに祭壇を築きました。

時にリベカのうばデボラが死んで、ベテルのしもの、かしの木の下に葬られた。これによってその木の名をアロン・バクテと呼ばれた。

創世記 35:8

あら、リベカの乳母、デボラが亡くなってしまいました。

こうして彼らはベテルを立ったが、エフラタに行き着くまでに、なお隔たりのある所でラケルは産気づき、その産は重かった。その難産に当って、産婆は彼女に言った、「心配することはありません。今度も男の子です」。彼女は死にのぞみ、魂の去ろうとする時、子の名をベノニと呼んだ。しかし、父はこれをベニヤミンと名づけた。ラケルは死んでエフラタ、すなわちベツレヘムの道に葬られた。

創世記 35:16-19

ラケルも亡くなってしまいました。旅の中で家族を失っていくヤコブはどれほど悲しんだだろう。
ところで、ベツレヘムというと、イエスが生まれたところですね。

イスラエルはまた、いで立ってミグダル・エダルの向こうに天幕を張った。イスラエルがその地に住んでいた時、ルベンは父のそばめビルハのところへ行って、これと寝た。イスラエルはこれを聞いた。さてヤコブの子らは十二人であった。

創世記 35:21-22

ルベンなにやってるの(´・ω・`)

ヤコブはキリアテ・アルバ、すなわちヘブロンのマムレにいる父イサクのもとへ行った。ここはアブラハムとイサクとが寄留した所である。イサクの年は百八十歳であった。イサクは年老い、日満ちて息絶え、死んで、その民に加えられた。その子エサウヤコブとは、これを葬った。

創世記 35:27-29

イサクが亡くなってしまいました。
「死んで、その民に加えられた」というのは、神の民として天国にいるということでしょうか。
ヤコブと共に祭壇を作るために旅立ったデボラとラケルも天国に迎えられたのかしら。

2019年2月2日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

レアがヤコブに産んだ娘デナはその地の女たちに会おうと出かけて行ったが、その地のつかさ、ヒビびとハモルの子シケムが彼女を見て、引き入れ、これと寝てはずかしめた。彼は深くヤコブの娘デナを慕い、この娘を愛して、ねんごろに娘に語った。シケムは父ハモルに言った、「この娘をわたしの妻にめとってください」。さてヤコブはシケムが、娘デナを汚したことを聞いたけれども、その子らが家畜を連れて野にいたので、彼らの帰るまで黙っていた。

創世記 34:1-5

昨日のあのニュースがあってこの箇所を読むのって、かなりタイムリーですよね。
デナはどれほど傷ついただろう…。
シケムはなんて自分本位なんだろう…。

シケムとその父ハモルはヤコブの元に来てデナを貰い受けようとしますが、当然デナの兄弟たちは激しく怒っています。

しかし、ヤコブの子らはシケムが彼らの妹デナを汚したので、シケムとその父ハモルに偽って答え、彼らに言った、「われわれは割礼を受けない者に妹をやる事はできません。それはわれわれの恥とするところですから。ただ、こうなさればわれわれはあなたがたに同意します。もしあなたがたのうち男子がみな割礼を受けて、われわれのようになるなら、われわれの娘をあなたがたに与え、あなたがたの娘をわれわれにめとりましょう。そしてわれわれはあなたがたと一緒に住んで一つの民となりましょう。けれども、もしあなたがたがわれわれに聞かず、割礼を受けないなら、われわれは娘を連れて行きます」。彼らの言葉がハモルとハモルの子シケムとの心にかなったので、若者は、ためらわずにこの事をした。彼がヤコブの娘を愛したからである。また彼は父の家のうちで一番重んじられた者であった。

創世記 34:13-19

「シケムは割礼をしてまでデナを手に入れようとするほどデナが好きなんだなぁ!」と一瞬考えましたが、本当に好きで愛しているのならいきなりデナと体の関係を持とうとしませんよね…。
デナの兄弟たちは偽りの理由ではなく「デナを強姦ようなオメーみたいな奴に嫁がせるかよ!」って本当の理由を言えなかったのかしら。ハモルが土地の有力者だったから誤魔化すしかなかったのかしら。

この後、さらにハモルとシケルは町の人々全員に割礼を施させます。外堀まで固めてきたよ…。

三日目になって彼らが痛みを覚えている時、ヤコブのふたりの子、すなわちデナの兄弟シメオンとレビとは、おのおのつるぎを取って、不意に町を襲い、男子をことごとく殺し、またつるぎの刃にかけてハモルとその子シケムとを殺し、シケムの家からデナを連れ出した。そしてヤコブの子らは殺された人々をはぎ、町をかすめた。彼らが妹を汚したからである。

創世記 34:25-27

突然のバイオレンスが…!
「彼らが妹を汚したからである。」とありますが、これは、その、そういう意味なんですかね…?
私、デナの立場だったら痛みと屈辱で生きていられないんじゃないかと思います。本当に酷い…。

そこでヤコブはシメオンとレビとに言った、「あなたがたはわたしをこの地の住民、カナンびととペリジびとに忌みきらわせ、わたしに迷惑をかけた。わたしは、人数が少ないから、彼らが集まってわたしを攻め撃つならば、わたしも家族も滅ぼされるであろう」。彼らは言った、「わたしたちの妹を遊女のように彼が扱ってよいのですか」。

創世記 34:30-31

ヤコブはデナを軽んじているのではなく、多分、デナを連れ戻すならもっと平和的な方法をとって欲しかったのかもしれませんね。
現代の価値観で生きている私には、デナは「遊女」というより寧ろ魂を持たない「物質」のように扱われていたように感じます。