キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

2019年3月27日〜29日デボーション

はてなハイクが終わってしまって、気が抜けていました…。

一昨日、昨日、今朝読んだ箇所を引用しつつ紹介します。

 

主はモーセを呼び、会見の幕屋からこれに告げて言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたのうちだれでも家畜の供え物を主にささげるときは、牛または羊を供え物としてささげなければならない。もしその供え物が牛の燔祭であるならば、雄牛の全きものをささげなければならない。会見の幕屋の入口で、主の前に受け入れられるように、これをささげなければならない。彼はその燔祭の獣の頭に手を置かなければならない。そうすれば受け入れられて、彼のためにあがないとなるであろう。

レビ記 1:1-4

 

レビ記はこんな感じで捧げものの仕方について書かれているみたいです。

この燔祭は時に神様の恵みを感謝し、賛美し、罪を贖ったり、願い事をするために行われていたようです。

「なんで牛を丸々一頭…」と思わなくもないですが、そもそもその牛も神様から与えられた恵みなんですよね。

たくさんもらった恵みの一部を感謝して返す、と考えたら自然な行為のような気もします。私は。

 

彼は主の前でその子牛をほふり、アロンの子なる祭司たちは、その血を携えてきて、会見の幕屋の入口にある祭壇の周囲に、その血を注ぎかけなければならない。彼はまたその燔祭の獣の皮をはぎ、節々に切り分かたなければならない。祭司アロンの子たちは祭壇の上に火を置き、その火の上にたきぎを並べ、アロンの子なる祭司たちはその切り分けたものを、頭および脂肪と共に、祭壇の上にある火の上のたきぎの上に並べなければならない。その内臓と足とは水で洗わなければならない。こうして祭司はそのすべてを祭壇の上で焼いて燔祭としなければならない。これは火祭であって、主にささげる香ばしいかおりである。

レビ記 1:5-9

 

屠る…血…内臓…。うむむ、なんかグロい…。

モーセたちが生きていた時代は、こうやって死が身近だったんだなぁ…。

 

人が素祭の供え物を主にささげるときは、その供え物は麦粉でなければならない。その上に油を注ぎ、またその上に乳香を添え、これをアロンの子なる祭司たちのもとに携えて行かなければならない。祭司はその麦粉とその油の一握りを乳香の全部と共に取り、これを記念の分として、祭壇の上で焼かなければならない。これは火祭であって、主にささげる香ばしいかおりである。素祭の残りはアロンとその子らのものになる。これは主の火祭のいと聖なる物である。

レビ記 2:1-3

 

素祭は神様に感謝して、燔祭の供え物と共に麦粉と油を混ぜたものを神様に捧げたことを言うそうです。

残ったものは祭司が食べられるのですねぇ。美味しそう…。

 

もし彼の供え物が酬恩祭の犠牲であって、牛をささげるのであれば、雌雄いずれであっても、全きものを主の前にささげなければならない。彼はその供え物の頭に手を置き、会見の幕屋の入口で、これをほふらなければならない。そしてアロンの子なる祭司たちは、その血を祭壇の周囲に注ぎかけなければならない。彼はまたその酬恩祭の犠牲のうちから火祭を主にささげなければならない。すなわち内臓をおおう脂肪と、内臓の上のすべての脂肪、二つの腎臓とその上の腰のあたりにある脂肪、ならびに腎臓と共にとられる肝臓の上の小葉である。

レビ記 3:1-4

 

今度は「酬恩祭」ですね!神様の恵みに感謝し、神様との関係を確かにするために行われたそうです。

ここでも血を注いだり、内臓を乗り出さないといけないのですね…。

 

祭司はこれを祭壇の上で焼かなければならない。これは火祭としてささげる食物であって、香ばしいかおりである。脂肪はみな主に帰すべきものである。あなたがたは脂肪と血とをいっさい食べてはならない。これはあなたがたが、すべてその住む所で、代々守るべき永久の定めである』」。

レビ記 3:16-17

 

あ、酬恩祭の捧げ物は食べられないのね…。いや、脂肪と血は食べてはいけないだけでお肉はいいのかしら?

あと、繰り返される「主に捧げる香ばしい香り」という表現が好きです。

私も香ばしい香りを放ちたいですねぇ…(火で焼かれたい訳ではないですよ)。

 

主はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『もし人があやまって罪を犯し、主のいましめにそむいて、してはならないことの一つをした時は次のようにしなければならない。すなわち、油注がれた祭司が罪を犯して、とがを民に及ぼすならば、彼はその犯した罪のために雄の全き子牛を罪祭として主にささげなければならない。

レビ記 4:1-3

 

今度は罪祭ですね。罪を贖うために家畜を捧げることのようです。

祭司は牛一頭、イスラエルの会衆全体の場合も牛一頭、支配者の場合は雄ヤギ一頭、一般の人の場合は雌ヤギ一頭を捧げなければならなかったようです。

ではでは、どんな罪を犯したら罪祭を行わなければならないのでしょうか?

 

もし人が証人に立ち、誓いの声を聞きながら、その見たこと、知っていることを言わないで、罪を犯すならば、彼はそのとがを負わなければならない。また、もし人が汚れた野獣の死体、汚れた家畜の死体、汚れた這うものの死体など、すべて汚れたものに触れるならば、そのことに気づかなくても、彼は汚れたものとなって、とがを得る。また、もし彼が人の汚れに触れるならば、その人の汚れが、どのような汚れであれ、それに気づかなくても、彼がこれを知るようになった時は、とがを得る。また、もし人がみだりにくちびるで誓い、悪をなそう、または善をなそうと言うならば、その人が誓ってみだりに言ったことは、それがどんなことであれ、それに気づかなくても、彼がこれを知るようになった時は、これらの一つについて、とがを得る。

レビ記 5:1-4

 

あー、罪犯してるなぁー。雌ヤギ捧げなきゃだわー。 

特に偽証の罪は犯してしまっている気がします…。世間体を気にしてとは言え、友人について本当は思ってないことを言ってしまうこともあって…私は罪深いです…。

 

「もし人が不正をなし、あやまって主の聖なる物について罪を犯したときは、その償いとして、あなたの値積りにしたがい、聖所のシケルで、銀数シケルに当る雄羊の全きものを、群れのうちから取り、それを主に携えてきて、愆祭としなければならない。そしてその聖なる物について犯した罪のために償いをし、またその五分の一をこれに加えて、祭司に渡さなければならない。こうして祭司がその愆祭の雄羊をもって、彼のためにあがないをするならば、彼はゆるされるであろう。また人がもし罪を犯し、主のいましめにそむいて、してはならないことの一つをしたときは、たといそれを知らなくても、彼は罪を得、そのとがを負わなければならない。彼はあなたの値積りにしたがって、雄羊の全きものを群れのうちから取り、愆祭としてこれを祭司のもとに携えてこなければならない。こうして、祭司が彼のために、すなわち彼が知らないで、しかもあやまって犯した過失のために、あがないをするならば、彼はゆるされるであろう。

レビ記 5:15-18

 

罪を贖う捧げ物にはもう一つのパターンがあるみたいですね。

「彼のためにあがないをするならば、彼はゆるされるであろう。」とありますが、この究極のものがイエスが十字架にかかったことなんですよね…。

 

参考文献↓

https://blogs.yahoo.co.jp/sabia59_62/51574218.html

2019年3月26日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓

主はモーセに言われた。「正月の元日にあなたは会見の天幕なる幕屋を建てなければならない。そして、その中にあかしの箱を置き、垂幕で、箱を隔て隠し、また、机を携え入れ、それに並べるものを並べ、燭台を携え入れて、そのともしびをともさなければならない。あなたはまた金の香の祭壇を、あかしの箱の前にすえ、とばりを幕屋の入口にかけなければならない。
また燔祭の祭壇を会見の天幕なる幕屋の入口の前にすえ、洗盤を会見の天幕と祭壇との間にすえて、これに水を入れなければならない。また周囲に庭を設け、庭の門にとばりをかけなければならない。そして注ぎ油をとって、幕屋とその中のすべてのものに注ぎ、それとそのもろもろの器とを聖別しなければならない、こうして、それは聖となるであろう。あなたはまた燔祭の祭壇と、そのすべての器に油を注いで、その祭壇を聖別しなければならない。こうして祭壇は、いと聖なるものとなるであろう。
また洗盤と、その台とに油を注いで、これを聖別し、アロンとその子たちを会見の幕屋の入口に連れてきて、水で彼らを洗い、アロンに聖なる服を着せ、これに油を注いで聖別し、祭司の務をさせなければならない。また彼の子たちを連れてきて、これに服を着せ、その父に油を注いだように、彼らにも油を注いで、祭司の務をさせなければならない。彼らが油そそがれることは、代々ながく祭司職のためになすべきことである」。


出エジプト記 40:1-15


聖所が完成しても、まだまだ神様は言いたいことがあったようです。
ハイク最後のデボーション投稿なので神様の指示を全て引用してみましたが、なげぇですね。
「なんでこんなに…」という気も少ししますが、きっと神様がイスラエルの人々を守り導き、イスラエルの人々が神様と語らうのに必要なことだったのだと思います。


モーセはそのように行った。すなわち主が彼に命じられたように行った。第二年の正月になって、その月の元日に幕屋は建った。すなわちモーセは幕屋を建て、その座をすえ、その枠を立て、その横木をさし込み、その柱を立て、幕屋の上に天幕をひろげ、その上に天幕のおおいをかけた。主がモーセに命じられたとおりである。


出エジプト記 40:16-19


モーセは神様の指示に全て従いました。
この後も「主がモーセに命じられたとおりである。」という言葉が繰り返され、強調されていました。モーセの信仰が伺えます。
さて、神様に従ってイスラエルの人々はどうなったのでしょうか?


そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。モーセは会見の幕屋に、はいることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。すなわちイスラエルの家のすべての者の前に、昼は幕屋の上に主の雲があり、夜は雲の中に火があった。彼らの旅路において常にそうであった。


出エジプト記 40:34-38


神様は力強い導きをイスラエルの人々に与えました。
イスラエルの人々が神様からの呼びかけに応答することで、神様もまた大きな恵みを返したのだと思います。
神様の印である雲が旅路を行く間ずっとあったことは、イスラエルの人々にとってとても心強いことだったと思います。


うむ、ハイク最後の日に読むと勇気が出る投稿であった!
イカーの皆さんのほとんどはクリスチャンではないと思います。
でも、エジプトを追われたイスラエル人が神様の導きで約束の地にたどり着いたように、はてなハイクを追われた皆さんが心安らかに過ごせる場所を見つけることができるよう祈ってます。


よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。


マタイによる福音書 18:18-19

2019年3月25日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今日読んだ箇所から↓

彼らは青糸、紫糸、緋糸で、聖所の務のための編物の服を作った。またアロンのために聖なる服を作った。主がモーセに命じられたとおりである。

出エジプト記 39:1

今日読んだ箇所ではモーセの兄、アロンのための服を作ってました。
イスラエルの人々は28章に書かれていた神様からの指示通りに作っていたようです。
つまり、今日の箇所を引用しても同じような内容を再び投稿することになるのです( ̄▽ ̄)
ここ最近読んだ箇所がずっとそんな感じだったのがデボーション投稿をサボりがちだった理由の一つです…。

また胸当を巧みなわざをもって、エポデの作りのように作った。すなわち金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で作った。胸当は二つに折って四角にした。すなわち二つに折って、長さを一指当りとし、幅も一指当りとした。その中に宝石四列をはめた。すなわち、紅玉髄、貴かんらん石、水晶の列を第一列とし、第二列は、ざくろ石、るり、赤縞めのう、第三列は黄水晶、めのう、紫水晶、第四列は黄碧玉、縞めのう、碧玉であって、これらを金の編細工の中にはめ込んだ。その宝石はイスラエルの子たちの名にしたがい、その名と等しく十二とし、おのおの印の彫刻のように、十二部族のためにその名を刻んだ。

出エジプト記 39:8-14

宝石の種類まで指定してあったのに、ちゃんとイスラエル人の中に持っていた人が居て、しかもその人が心から喜んでその宝石を捧げたってすごいことですよね。
高価な材料ばかり登場して忘れがちですが、モーセたちは荒野の中に居るんですよね…。宝石どころかその日食べるものを用意できるかも危うい場所で壮麗な聖所を作るように命じた、神様の計画の深さが伺えますね。

こうして会見の天幕なる幕屋の、もろもろの工事が終った。イスラエルの人々はすべて主がモーセに命じられたようにおこなった。

出エジプト記 39:32

イスラエルの人々は、すべて主がモーセに命じられたように、そのすべての工事をした。モーセがそのすべての工事を見ると、彼らは主が命じられたとおりに、それをなしとげていたので、モーセは彼らを祝福した。

出エジプト記 39:42-43

モーセは「神様の命じたことだから成し遂げて当然だ!」という態度ではなく、イスラエル人たちの仕事を確認して、それをちゃんと祝福していますね。
イスラエルの人々が財産や労働を心から喜んで捧げたのは神様の働きかけもあると思いますが、イスラエルの人々の信仰からも来ていると思うのです。
なんと言いますか、私も人にしてもらったことを「当然」と思わずに感謝したり、喜べるようになりたいですね。全然できていませんが…。

今確認したら、明日読む箇所は出エジプト記の最終章でした!
明日は恐らくハイクにデボーションを投稿するのが最後になるので、余りのキリの良さに驚いております。
大事なことなので二度言いますが、神様の計画は深いですねぇ…!

2019年3月21日〜24日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

まためっちゃ投稿サボっちゃいました…。出エジプト記34章から38章までの中から気になるところを引用していきます。


主はモーセに言われた、「あなたは前のような石の板二枚を、切って造りなさい。わたしはあなたが砕いた初めの板にあった言葉を、その板に書くであろう。あなたは朝までに備えをし、朝のうちにシナイ山に登って、山の頂でわたしの前に立ちなさい。だれもあなたと共に登ってはならない。また、だれも山の中にいてはならない。また山の前で羊や牛を飼っていてはならない」。そこでモーセは前のような石の板二枚を、切って造り、朝早く起きて、主が彼に命じられたようにシナイ山に登った。彼はその手に石の板二枚をとった。


出エジプト記 34:1-4


よかった、モーセが怒りの余り割ってしまった証の板を再びもらえるそうです。
やっぱり文書で残ってないと、何事も不便ですものね!


ときに主は雲の中にあって下り、彼と共にそこに立って主の名を宣べられた。主は彼の前を過ぎて宣べられた。「主、主、あわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神、いつくしみを千代までも施し、悪と、とがと、罪とをゆるす者、しかし、罰すべき者をば決してゆるさず、父の罪を子に報い、子の子に報いて、三、四代におよぼす者」。モーセは急ぎ地に伏して拝し、そして言った、「ああ主よ、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、かたくなな民ですけれども、どうか主がわたしたちのうちにあって一緒に行ってください。そしてわたしたちの悪と罪とをゆるし、わたしたちをあなたのものとしてください」。


出エジプト記 34:5-9


主の栄光がモーセを通り過ぎたようですね。
「あわれみあり、恵あり、怒ることおそく、いつくしみと、まこととの豊かなる神」と神様を描写する箇所がありますが、今の讃美歌でもこんな風に神様を歌っている気がします。
「悪と、とがと、罪とをゆるす者」という箇所は、後のイエスの降誕も預言しているような気がします。
モーセがへり下りつつ「一緒に行ってください。」と祈ってますが、私も神様に対してこの様に謙遜な態度をとりたいです。


この後神様はモーセ十戒を語るのですが、もう先に出てきたので飛ばしちゃいます。


モーセイスラエルの人々の全会衆に言った、「これは主が命じられたことである。あなたがたの持ち物のうちから、主にささげる物を取りなさい。すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。すなわち金、銀、青銅。青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸、やぎの毛糸。あかね染めの雄羊の皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、ともし油、注ぎ油と香ばしい薫香とのための香料、縞めのう、エポデと胸当とにはめる宝石。すべてあなたがたのうち、心に知恵ある者はきて、主の命じられたものをみな造りなさい。すなわち幕屋、その天幕と、そのおおい、その鉤と、その枠、その横木、その柱と、その座、箱と、そのさお、贖罪所、隔ての垂幕、机と、そのさお、およびそのもろもろの器、供えのパン、また、ともしびのための燭台と、その器、ともしび皿と、ともし油、香の祭壇と、そのさお、注ぎ油、香ばしい薫香、幕屋の入口のとばり、燔祭の祭壇およびその青銅の網、そのさおと、そのもろもろの器、洗盤と、その台、庭のあげばり、その柱とその座、庭の門のとばり、幕屋の釘、庭の釘およびそのひも、聖所における務のための編物の服、すなわち祭司の務をなすための祭司アロンの聖なる服およびその子たちの服」。


出エジプト記 35:4-19


たくさんの高価な材料と、たくさんの作るべきもの…。
「心から喜んでする者」という条件付きですが、集まるのでしょうか…?


イスラエルの人々の全会衆はモーセの前を去り、すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は、会見の幕屋の作業と、そのもろもろの奉仕と、聖なる服とのために、主にささげる物を携えてきた。


出エジプト記 35:20-21


そこで聖所のもろもろの工事をする賢い人々はみな、おのおのしていた工事をやめて、モーセに言った「民があまりに多く携えて来るので、主がせよと命じられた組立ての工事には余ります」。モーセは命令を発し、宿営中にふれさせて言った、「男も女も、もはや聖所のために、ささげ物をするに及ばない」。それで民は携えて来ることをやめた。材料はすべての工事をするのにじゅうぶんで、かつ余るからである。


出エジプト記 36:4-7


集まりましたね。それも有り余るほど…!
最近、サークルやバイトで何かと不足を感じる私ですが、この箇所を読んで勇気が湧いてきました(`・ω・´)
神様は必要なものを必ず用意してくださるのだなぁ。


また金で、二つのケルビムを造った。すなわち、これを打物造りとし、贖罪所の両端に置いた。一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に置いた。すなわちケルビムを贖罪所の一部として、その両端に造った。ケルビムは翼を高く伸べ、その翼で贖罪所をおおい、顔は互に向かい合った。すなわちケルビムの顔は贖罪所に向かっていた。


出エジプト記 37:7-9


贖罪所をおおうほどの翼を持った金のケルビム…。なんかすごそう…。
イスラエルの人々は神様のために惜しみなく壮大なものを作ったのですね。


ユダの部族に属するホルの子なるウリの子ベザレルは、主がモーセに命じられた事をことごとくした。ダンの部族に属するアヒサマクの子アホリアブは彼と共にあって彫刻、浮き織をなし、また青糸、紫糸、緋糸、亜麻糸で、縫取りをする者であった。
聖所のもろもろの工作に用いたすべての金、すなわち、ささげ物なる金は聖所のシケルで、二十九タラント七百三十シケルであった。会衆のうちの数えられた者のささげた銀は聖所のシケルで、百タラント千七百七十五シケルであった。


出エジプト記 38:22-25


神様がモーセに指示を出す箇所と被ってしまうので大幅に省略したのですが、イスラエルの人々はモーセが聞いた通りに聖所を作っていきました。
荒野の中にありながら、高価な材料も人手も不足することなく満ち足りました。
銀百タラントってどれくらいだったのでしょうか?でも、すごく多いということはなんとなく分かります。
神様って、すごいですね。

 

あ、書くの忘れてましたが、35章19節にさらっとアロンが出てきているので、アロンは生きてるみたいですね。
前回の投稿でややこしくさせてしまいすみません…。

2019年3月19日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今朝読んだ箇所から↓アロンはどうなったのでしょうか…?


さて、主はモーセに言われた、「あなたと、あなたがエジプトの国から導きのぼった民とは、ここを立ってわたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『これをあなたの子孫に与える』と言った地にのぼりなさい。わたしはひとりの使をつかわしてあなたに先立たせ、カナンびと、アモリびと、ヘテびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとを追い払うであろう。あなたがたは乳と蜜の流れる地にのぼりなさい。しかし、あなたがたは、かたくなな民であるから、わたしが道であなたがたを滅ぼすことのないように、あなたがたのうちにあって一緒にはのぼらないであろう」。


出エジプト記 33:1-3


神様は以前約束したように、イスラエル人たちをカナンの地に導くようです。
確か、クマバチの群れを前に置いてカナン人やアモリ人たちを追い払うんだっけ…。
しかも神様、カナンの地まで一緒に行ってくれないのか…!


民はこの悪い知らせを聞いて憂い、ひとりもその飾りを身に着ける者はなかった。主はモーセに言われた、「イスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは、かたくなな民である。もしわたしが一刻でも、あなたがたのうちにあって、一緒にのぼって行くならば、あなたがたを滅ぼすであろう。ゆえに、今、あなたがたの飾りを身から取り去りなさい。そうすればわたしはあなたがたになすべきことを知るであろう』」。それで、イスラエルの人々はホレブ山以来その飾りを取り除いていた。


出エジプト記 33:4-6


神様が共に行かないことを聞いて、イスラエル人たちは不安な様子です。
ところで、飾りってなんだろ…。信仰の印みたいなものでしょうか?


モーセは幕屋を取って、これを宿営の外に、宿営を離れて張り、これを会見の幕屋と名づけた。すべて主に伺い事のある者は出て、宿営の外にある会見の幕屋に行った。モーセが出て、幕屋に行く時には、民はみな立ちあがり、モーセが幕屋にはいるまで、おのおのその天幕の入口に立って彼を見送った。モーセが幕屋にはいると、雲の柱が下って幕屋の入口に立った。そして主はモーセと語られた。民はみな幕屋の入口に雲の柱が立つのを見ると、立っておのおの自分の天幕の入口で礼拝した。人がその友と語るように、主はモーセと顔を合わせて語られた。こうしてモーセは宿営に帰ったが、その従者なる若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋を離れなかった。


出エジプト記 33:7-11


神様がモーセに命じた幕屋よりずっと簡素なものな気がします。それでもモーセは神様と語り合うための場所を用意したのですね。
「人がその友と語るように」、私も神様と語り合ってみたいです。


モーセは主に言った、「ごらんください。あなたは『この民を導きのぼれ』とわたしに言いながら、わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。しかも、あなたはかつて『わたしはお前を選んだ。お前はまたわたしの前に恵みを得た』と仰せになりました。それで今、わたしがもし、あなたの前に恵みを得ますならば、どうか、あなたの道を示し、あなたをわたしに知らせ、あなたの前に恵みを得させてください。また、この国民があなたの民であることを覚えてください」。主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。


出エジプト記 33:12-14


モーセが「わたしと一緒につかわされる者を知らせてくださいません。」と言っているということは、アロンはやはり神様に撃たれてしまったのでしょうか…?
不安に思う時、助け手が欲しい時、祈れば神様は聞いてくださるのですね。


主は言われた、「わたしはわたしのもろもろの善をあなたの前に通らせ、主の名をあなたの前にのべるであろう。わたしは恵もうとする者を恵み、あわれもうとする者をあわれむ」。また言われた、「しかし、あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はないからである」。そして主は言われた、「見よ、わたしのかたわらに一つの所がある。あなたは岩の上に立ちなさい。わたしの栄光がそこを通り過ぎるとき、わたしはあなたを岩の裂け目に入れて、わたしが通り過ぎるまで、手であなたをおおうであろう。そしてわたしが手をのけるとき、あなたはわたしのうしろを見るが、わたしの顔は見ないであろう」。


出エジプト記 33:19-23


なんかよく分からないけど、次の章ですごいことが起こりそうです(`・ω・´)

2019年3月14日〜18日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

えー、かなりデボーション投稿をサボってしまいました…。出エジプト記の28章から32章の間の気になった箇所を引用しつつ個人的見解または感想を書いていきますー。


またイスラエルの人々のうちから、あなたの兄弟アロンとその子たち、すなわちアロンとアロンの子ナダブ、アビウ、エレアザル、イタマルとをあなたのもとにこさせ、祭司としてわたしに仕えさせ、またあなたの兄弟アロンのために聖なる衣服を作って、彼に栄えと麗しきをもたせなければならない。あなたはすべて心に知恵ある者、すなわち、わたしが知恵の霊を満たした者たちに語って、アロンの衣服を作らせ、アロンを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。


出エジプト記 28:1-3


モーセの兄、アロンとその子孫は神様から司祭の役目を与えられました!
…与えられたと思ったんですよ、四日前は…。
今日読んだ箇所を見てくださいよ…。↓


民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。アロンは彼らに言った、「あなたがたの妻、むすこ、娘らの金の耳輪をはずしてわたしに持ってきなさい」。そこで民は皆その金の耳輪をはずしてアロンのもとに持ってきた。アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。


出エジプト記 32:1-4


おいコラ、アロン!何してんねんアロン!
偶像崇拝なんかしたらアカンやろ!!!
思わずエセ関西弁になってしまいました…。今日読んで、本当に驚いた箇所です…。
「せっかく司祭を任されたのに、アロンはこの後どうなるんだろう?」というモヤモヤを抱えたまま四日前に読んだ28章を振り返っていきます…。


あなたは二つの縞めのうを取って、その上にイスラエルの子たちの名を刻まなければならない。すなわち、その名六つを一つの石に、残りの名六つを他の石に、彼らの生れた順に刻まなければならない。宝石に彫刻する人が印を彫刻するように、イスラエルの子たちの名をその二つの石に刻み、それを金の編細工にはめ、この二つの石をエポデの肩ひもにつけて、イスラエルの子たちの記念の石としなければならない。こうしてアロンは主の前でその両肩に彼らの名を負うて記念としなければならない。


出エジプト記 28:9-12


あなたはまたさばきの胸当を巧みなわざをもって作り、これをエポデの作りのように作らなければならない。すなわち金糸、青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、これを作らなければならない。これは二つに折って四角にし、長さは一指当り、幅も一指当りとしなければならない。またその中に宝石を四列にはめ込まなければならない。すなわち紅玉髄、貴かんらん石、水晶の列を第一列とし、第二列は、ざくろ石、るり、赤縞めのう。第三列は黄水晶、めのう、紫水晶。第四列は黄碧玉、縞めのう、碧玉であって、これらを金の編細工の中にはめ込まなければならない。その宝石はイスラエルの子らの名に従い、その名とひとしく十二とし、おのおの印の彫刻のように十二の部族のためにその名を刻まなければならない。


出エジプト記 28:15-21


宝石にイスラエルの子どもたちの名前を刻むのは神に選ばれた祖先の一人一人を心に置くこと、またその祖先から出た民族の一人一人を心に置くためなのかな、と思いました。
石って、なんか重そうですね。名前を刻むのも大変そうです…。


そしてあなたはこれをあなたの兄弟アロンおよび彼と共にいるその子たちに着せ、彼らに油を注ぎ、彼らを職に任じ、彼らを聖別し、祭司として、わたしに仕えさせなければならない。


出エジプト記 28:41


油を注ぐのは、旧約聖書の時代での祭司を任ずる行為でした。
エスもまた、油を注がれています↓
よくクリスチャン界隈でイエス・キリストは「祭司の中の祭司」と呼ばれているのですが、そのためです。


さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、イエスに近寄り、食事の席についておられたイエスの頭に香油を注ぎかけた。すると、弟子たちはこれを見て憤って言った、「なんのためにこんなむだ使をするのか。それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。
エスはそれを聞いて彼らに言われた、「なぜ、女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。よく聞きなさい。全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。


マタイによる福音書 26:6-13


さて、次の出エジプト記29章では家畜の捧げ方が書かれています。


あなたは彼らを聖別し、祭司としてわたしに仕えさせるために、次の事を彼らにしなければならない。すなわち若い雄牛一頭と、きずのない雄羊二頭とを取り、また種入れぬパンと、油を混ぜた種入れぬ菓子と、油を塗った種入れぬせんべいとを取りなさい。これらは小麦粉で作らなければならない。そしてこれを一つのかごに入れ、そのかごに入れたまま、かの一頭の雄牛および二頭の雄羊と共に携えてこなければならない。


出エジプト記 29:1-3


あなたは会見の幕屋の前に雄牛を引いてきて、アロンとその子たちは、その雄羊の頭に手を置かなければならない。そして会見の幕屋の入口で、主の前にその雄牛をほふり、その雄牛の血を取り、指をもって、これを祭壇の角につけ、その残りの血を祭壇の基に注ぎかけなさい。


出エジプト記 29:10-12


雄牛( ; ; )
他に連れてきた雄羊二頭も屠られ、神様に捧げられます。雄羊( ; ; )


あなたが祭壇の上にささぐべき物は次のとおりである。すなわち当歳の小羊二頭を毎日絶やすことなくささげなければならない。その一頭の小羊は朝にこれをささげ、他の一頭の小羊は夕にこれをささげなければならない。


出エジプト記 29:38-39


仔羊も毎日…。神様のためとはいえ辛いですね…。
旧約聖書の時代では沢山の家畜が捧げられていたようですが、現在のキリスト教の教会では羊を掻っ捌いて祭壇の上に載せる、というようなことはしません。
何故かと言いますと、イエス・キリストが十字架にかかったことで全ての人の罪が贖われ、家畜を掻っ捌いて神様に捧げる必要が無くなったからです。イエス・キリストが「神の子羊」とも呼ばれるのはそのためです。↓


その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。


ヨハネによる福音書 1:29-31


いや、私の罪のために十字架にかかったなんて、申し訳なくなってしまいます…。神様の愛は大きいです…。


主はモーセに言われた、「あなたがイスラエルの人々の数の総計をとるに当り、おのおのその数えられる時、その命のあがないを主にささげなければならない。これは数えられる時、彼らのうちに災の起らないためである。すべて数に入る者は聖所のシケルで、半シケルを払わなければならない。一シケルは二十ゲラであって、おのおの半シケルを主にささげ物としなければならない。すべて数に入る二十歳以上の者は、主にささげ物をしなければならない。あなたがたの命をあがなうために、主にささげ物をする時、富める者も半シケルより多く出してはならず、貧しい者もそれより少なく出してはならない。あなたはイスラエルの人々から、あがないの銀を取って、これを会見の幕屋の用に当てなければならない。これは主の前にイスラエルの人々のため記念となって、あなたがたの命をあがなうであろう」。


出エジプト記 30:11-16


今のキリスト教の礼拝で行われている献金に当たるものでしょうか?
因みに、イエス献金についてこう言っています。↓


エスは、さいせん箱にむかってすわり、群衆がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持は、たくさんの金を投げ入れていた。ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントに当る。そこで、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、さいせん箱に投げ入れている人たちの中で、だれよりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである」。


マルコによる福音書 12:41-44


さて、続きの出エジプト記31章を読んでいきま


主はまたモーセに言われた、「あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。それゆえ、あなたがたは安息日を守らなければならない。これはあなたがたに聖なる日である。すべてこれを汚す者は必ず殺され、すべてこの日に仕事をする者は、民のうちから断たれるであろう。


出エジプト記 31:12-14


私、殺されますね…。安息日にもめちゃくちゃ働いてますもん…。
新約聖書の中で安息日について書いてある箇所はなかったかしら、と思って探してみたらこんな箇所を見つけました↓


あなたがたは、先には罪の中にあり、かつ肉の割礼がないままで死んでいた者であるが、神は、あなたがたをキリストと共に生かし、わたしたちのいっさいの罪をゆるして下さった。神は、わたしたちを責めて不利におとしいれる証書を、その規定もろともぬり消し、これを取り除いて、十字架につけてしまわれた。そして、もろもろの支配と権威との武装を解除し、キリストにあって凱旋し、彼らをその行列に加えて、さらしものとされたのである。だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月安息日などについて、だれにも批評されてはならない。これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。


コロサイ人への手紙 2:13-17


大切なのは主なる神だけを神として崇め、イエス・キリストによって罪が赦されたことを知ることなのだと思います。


さて、32章ではアロンやイスラエル人が偶像崇拝をしてしまい神様が激おこになります。災害も起こそうとします。


モーセはその神、主をなだめて言った、「主よ、大いなる力と強き手をもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか。どうしてエジプトびとに『彼は悪意をもって彼らを導き出し、彼らを山地で殺し、地の面から断ち滅ぼすのだ』と言わせてよいでしょうか。どうかあなたの激しい怒りをやめ、あなたの民に下そうとされるこの災を思い直し、あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、あなたが御自身をさして誓い、『わたしは天の星のように、あなたがたの子孫を増し、わたしが約束したこの地を皆あなたがたの子孫に与えて、長くこれを所有させるであろう』と彼らに仰せられたことを覚えてください」。それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。


出エジプト記 32:11-14


モーセの言葉を聞き、神様は災害を起こすことを思い直します。
神様は義なる方なので、一度言ったことは必ず実現なさる方なのです。


モーセは身を転じて山を下った。彼の手には、かの二枚のあかしの板があった。板はその両面に文字があった。すなわち、この面にも、かの面にも文字があった。その板は神の作、その文字は神の文字であって、板に彫ったものである。ヨシュアは民の呼ばわる声を聞いて、モーセに言った、「宿営の中に戦いの声がします」。しかし、モーセは言った、「勝どきの声でなく、敗北の叫び声でもない。わたしの聞くのは歌の声である」。モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。また彼らが造った子牛を取って火に焼き、こなごなに砕き、これを水の上にまいて、イスラエルの人々に飲ませた。


出エジプト記 32:15-20


え、証の板割っちゃって大丈夫なん…?
モーセがめちゃくちゃ怒ってるのは分かるんやけど、割って大丈夫なん…?


モーセは民がほしいままにふるまったのを見た。アロンは彼らがほしいままにふるまうに任せ、敵の中に物笑いとなったからである。モーセは宿営の門に立って言った、「すべて主につく者はわたしのもとにきなさい」。レビの子たちはみな彼のもとに集まった。そこでモーセは彼らに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『あなたがたは、おのおの腰につるぎを帯び、宿営の中を門から門へ行き巡って、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ』」。レビの子たちはモーセの言葉どおりにしたので、その日、民のうち、おおよそ三千人が倒れた。


出エジプト記 32:25-28


余りに多くの人が偶像崇拝に夢中になってしまったようです…。
そして突然のバイオレンス…。


モーセは主のもとに帰って、そして言った、「ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば――。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。主はモーセに言われた、「すべてわたしに罪を犯した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう。しかし、今あなたは行って、わたしがあなたに告げたところに民を導きなさい。見よ、わたしの使はあなたに先立って行くであろう。ただし刑罰の日に、わたしは彼らの罪を罰するであろう」。そして主は民を撃たれた。彼らが子牛を造ったからである。それはアロンが造ったのである。


出エジプト記 32:31-35


神様は偶像崇拝から立ち返った人々を赦しましたが、それ以外の人々のことは裁かれました。
ていうか、ホンマにアロンどうなったん…?アロンのことが気になり過ぎてエセ関西弁になってまう…。


…関西の皆様、本当にすみません。

2019年3月13日デボーション

※ハイクに投稿したものと同じ文章です。

 

今日読んだ箇所から↓

あなたはまたアカシヤ材で祭壇を造らなければならない。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角で、高さは三キュビトである。その四すみの上にその一部としてそれの角を造り、青銅で祭壇をおおわなければならない。また灰を取るつぼ、十能、鉢、肉叉、火皿を造り、その器はみな青銅で造らなければならない。また祭壇のために青銅の網細工の格子を造り、その四すみで、網の上に青銅の環を四つ取り付けなければならない。その網を祭壇の出張りの下に取り付け、これを祭壇の高さの半ばに達するようにしなければならない。また祭壇のために、さおを造らなければならない。すなわちアカシヤ材で、さおを造り、青銅で、これをおおわなければならない。そのさおを環に通し、さおを祭壇の両側にして、これをかつがなければならない。祭壇は板で空洞に造り、山で示されたように、これを造らなければならない。


出エジプト記 27:1-8


青銅も、きっと当時は貴重な金属ですよね…。
今まで書かれていたものは金が使われていましたが、祭壇は青銅を使うのですね。何か意味があるのかしら?
あと、さおをつけて担ぐようにしたのは持ち運びをするため?


あなたはまた幕屋の庭を造り、両側では庭のために長さ百キュビトの亜麻の撚糸のあげばりを設け、その一方に当てなければならない。その柱は二十、その柱の二十の座は青銅にし、その柱の鉤と桁とは銀にしなければならない。


出エジプト記 27:9-10


庭の門のために青糸、紫糸、緋糸、亜麻の撚糸で、色とりどりに織った長さ二十キュビトのとばりを設けなければならない。その柱は四つ、その座も四つ。庭の周囲の柱はみな銀の桁でつなぎ、その鉤は銀、その座は青銅にしなければならない。庭の長さは百キュビト、その幅は五十キュビト、その高さは五キュビトで、亜麻の撚糸の布を掛けめぐらし、その座を青銅にしなければならない。すべて幕屋に用いるもろもろの器、およびそのすべての釘、また庭のすべての釘は青銅で造らなければならない。


出エジプト記 27:16-19


庭も作るのですね!豪華だなぁ。
貴金属と色とりどりの糸をふんだんに使っていますねぇ。見てみたいなぁ。


あなたはまたイスラエルの人々に命じて、オリブをつぶして採った純粋の油を、ともし火のために持ってこさせ、絶えずともし火をともさなければならない。アロンとその子たちとは、会見の幕屋の中のあかしの箱の前にある垂幕の外で、夕から朝まで主の前に、そのともし火を整えなければならない。これはイスラエルの人々の守るべき世々変らざる定めでなければならない。


出エジプト記 27:20-21


荒野にオリーブってあるのかしら…?地中海沿岸とか瀬戸内海沿岸で育つイメージですが…。
「夕から朝まで」というと、夜の間ってことですよね。火事になったら大変ですし、ともし火を点けていたら眠れないですよね…。大変な仕事だ…!