キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

自分の信仰と性自認の話

夜中のテンションでまた書きたいこと書きます。

因みに今日のBGMはRAGFAIRです。

先ほどのYoutube配信、至福の時でした(о´∀`о)

 

さて、私はクリスチャンです。

聖書にはこんなことが書かれています。

 

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

創世記 1章27節

 

私の「男でも女でもない気がする」という性自認とは矛盾していますね。

 

これは、困った。

本当に困る。

 

私がQuestioningにしろXジェンダーにしろ、それを自認することは聖書の記述に反することなのです。

聖書と矛盾する行動はクリスチャンとしては何としても避けたいところです。

 

実は私は小学校高学年の頃からうっすら自分の性自認について気付いていました。

自分はどうも周りの人と違う感覚の持ち主だと気付いていました。

大学生になり、クリスチャンになった後もその違和感を持ち続けていました。

でも、無視をしていました。

何とか「女性のふり」ができていたからです。

 

そして、多分2年前くらいのことです。

とある出来事をきっかけに、私は自分の性自認を無視することはむしろ神様に対する罪なのではないかと気付きました。

何があったかは書きませんが、私は「女性のふり」をすることでこっそりと罪を犯していました。

あ、この場合の「罪」とは法律に定められるような犯罪のことではなく、聖書に書かれているような「人が神を離れたことにより犯す罪」、そんな類の罪です。

 

私は神様に罪を告白する祈りをし、その罪を神様が購うことを願いました。

同時に自分がこの性を自認して良いのか、神様が定めたパートナーと出会うのに大きな支障となるであろうこの妙な感覚を持っていても良いのか、祈り尋ねました。

祈り終えた後、胸のつかえが取れた感覚がありました。

私の祈りに対する神様の答えは"yes"だったのだと思います。

 

そういうことがあり、私はクリスチャンとしてのアイデンティティーとQuestioningあるいはXジェンダーとしてのアイデンティティーを両立させています。

クリスチャンの方にもクリスチャンでない方にも理解し難いことかもしれませんが、とにかくそういうことです。

 

さて、世間的にはクリスチャンとLGBTQ+は相入れないグループだと思います。

これもまたかなり困ります。

私はどちらのコミュニティにおいても自分の複雑なアイデンティティーを打ち明けられないのです。

 

クリスチャンコミュニティに関しては、一度信頼できるクリスチャンの友人の何人かと集まった時に自分がXジェンダーであることを話したことがあります。

そもそもXジェンダーという概念が知られていないので、正直あまり理解された気はしないのですが_(:3 」∠)_

そして自分の教会においては一度も話したことはありません。

私の「どの人も異性にも同性にも感じる」という性質のせいで色々誤解されたことがあったみたいなのですが、教会の人たちがセクシャルマイノリティーに対してどのように思っているか分からない以上、打ち明けるのはとても怖いです。

 

そしてLGBTQ+界隈の方には、私は一度も参加したことがありません。

何というか、私のような気弱なクリスチャンが行って良い場所なのか分かりません。

自分の信仰や嗜好的にあまり性的な話はできないですし…。

でも新型コロナウィルス流行が収まったら新宿二丁目には行ってみたいですね。

やっぱり自分のセクシャルマイノリティーとしてのアイデンティティーを探求してみたい気がします。

 

ここまで書いたので、ついでに自分が所属する他のコミュニティについてもお話しします。

 

まずはサークルとバイト先について。

こちらはほとんどがクリスチャンではありません。

そして、どちらにおいても障害児・者支援に関わっています。

「クリスチャンじゃない人なら話せるんじゃないか?」と皆さんお思いでしょう。

ところがどっこい、障害児・者支援においては「同性支援」が求められる場面があるのです。

 

QuestioningあるいはXジェンダーであるキンモクセイにとっての「同性」ってなんじゃらほい(@ ̄ρ ̄@)

 

深夜のため口調がおかしくなってきましたが、「自分は女性でも男性でもない」とサークルやバイト先で明かすと今まで通りに支援を続けられなくなる可能性もあるのです。

それは絶対に嫌です*\(^o^)/*

サークルやバイト先は私にとっては神様が遣わした場所であり、仕えるべき大切な人たちが居る場所であり、自分らしくいられる貴重な場所なのです。

 

そんな大切な場所であるだけに、「女性のふり」が辛くなることもあります。

もう7年目だし、そろそろ卒業しちゃうし、信頼できる誰かに打ち明けてしまって楽になりたい気もします。

でも自分が楽になるためにカミングアウトをするのは良くないような気もします。

さてさて、どうしましょうか?

 

さて、もう一つお話ししたいのは元はてなハイカーさん達のコミュニティです。

もう最近は開き直って自分がフワフワした性自認であることを明かしています。

なんかもう、限界でした。

「女性のふり」をするの、めちゃくちゃ辛いです。

 

はてなハイクやその後継先でもよくthe BeatlesRAGFAIRにキャッキャッウフフしてますが、実は彼らを男性としてはあまり意識してません。

どこか自分と近い属性であり、素敵な音楽や言葉を生み出す人達として尊敬し憧れています。

でも「異性として憧れている」みたいな態度を取った方が色々と楽で、最近までそんな感じに振る舞っていました。

 

せめてハイカーさん達に対しては、正直に振る舞いたくなったのです。

繰り返しますが、「女性のふり」が本当に辛いのです。

 

なんか信仰の話から離れてきてしまいましたね_(:3 」∠)_

先に書いた自分の性自認について神様に祈った時、次のようなことも考えました。

 

「いつか自分の性自認がどちらかに安定したら、その時に神様が定めるパートナーと出会うのかもしれない。」

 

そんなことは起こらないかもしれません。

自分のフワフワした性自認を受け入れてくれるようなパートナーと本当は出会いたいです。

でも、神様の御心は分かりません。

イカーさん達には、その辺の私の揺らぎも温かく見守っていただけたらと思います(笑)

 

ではでは、おやすみなさいませ。

RAGFAIRはやっぱり良いなぁと思いながら寝ます(_ _).。o○

自分が恋愛を諦めそうな理由と自分の性自認

課題が終わって自分で自由に文章を書きたくなったのでこんな時間にブログを書きます。

BGMは課題をやっていた時と同じくthe Beatlesです。

 

鍵をかけてやっているハイカー向けTwitterアカウントで昨夜、「そもそも恋愛と結婚はいまのところできないと思っている。諦めた方が気が楽なこともある。」みたいなことを書いたと思います。

多くの方が「20代で何言ってんだてめえ!」「大学生なんだから出会いなんていくらでもあるだろう!」と思ったことでしょう。すみません。

それと、心配してくださった方にもごめんなさい。

 

でもこれはここしばらく、あるいは10年ほど抱いていた自分に対する疑念なのです。

 

直接的に何があったのか書くと知っている人に見つかって大変なことになるので、とりあえず去年の夏にとある尊敬するアーティストのライブに行った時のことを書きます。

因みにそのアーティストは土屋礼央さんという私が中学生時代から大好きな人です。

アカペラグループRAGFAIRで一番よく喋る人です。

 

その日は少し風邪気味で身体的にも精神的にも調子が悪かったのかもしれません。

あるいは表参道のきらきらしておしゃれな人しか受け付けないような雰囲気にやられたのかもしれません。

とにかく好きな人のライブに行くには十分なコンディションではありませんでした。

 

ライブ会場は小さめのライブハウスで、平日昼間ということもあって小さな子どもの姿もありました。

この距離の近さが良くなかった。

 

礼央さんが登場!

一瞬客席を見る礼央さん!

ばっちり目が合ってしまった私!

しかし突然のことで驚いたのとメンタルコンディションの悪さとで思わず嫌そうな表情をしてしまった私!

少し落ち込んだように見えた礼央さん!

歌い始めてもなんだか声がうまく出ない様子の礼央さん!

「あ、あれ?私のせい…ではないよね…?」と内心焦る私!!!

 

…というのが一部始終です。

さっきまでアカデミックな文章を書いていたので反動でかなり砕けた文体になりましたね…。

 

ちなみにこんなこと書いていますがライブはとても楽しかったです♪

礼央さんが『フレンド・ライク・ミー』を歌ってくださったのが嬉しかった(*´ω`*)

 

それでですね、きっと「普通」の方は10年以上好きなアーティストのライブに行ってそのアーティストと目が合ったりしたらどんなに調子が悪くても反射的に大喜びできると思うのです。(そうじゃなかったらごめんなさい。)

なんで私は反射的に嫌そうな顔をしてしまったのでしょうね。

 

後から振り返ると私は「群衆の一部」あるいは「名もない雑草」で居たかったのでしょう。

礼央さんから見れば私は認識もされないし、ましてや好意も抱かれないような存在でいたかった。

そうすれば安心して礼央さんの歌を聴けるし、礼央さんを応援することができる。

でもあの日、私は一瞬だけだけど礼央さんに一個人として認識されてしまった。

「名もない雑草」から「一輪の月見草」になってしまった。

そんなシャレオツな称号は私に相応しくない!!!

この称号を早く捨ててしまいたい!!!

こんな感じで私は不安に陥ったのかもしれません。

 

あえて礼央さんの話をしましたけれど、つまり似たようなことが実際の友人関係においてもあった訳でございます。

私は「名もない雑草」として接していたつもりだったのに、いつのまにか「一輪の月見草」になっていたのです。

私は誰かの「一輪の月見草」が務まるほど自分が好きではないし、それほど自分が成熟しているとも思っていません。

こんな状態で恋愛しても相手と自分を傷つけるだけだ。

そういう訳で、私は恋愛や結婚に憧れつつそれらを無意識に避けていたような気がします。

自分で書いてても「クソめんどくさい奴だなあ」と思ってしまいます(´・ω・`)

 

さて、では私はなぜ自分のことを「名もない雑草」と思い込みやすいのでしょうか。

これは私自身の自信の無さと同じくらいに自分の性自認が関わっていると最近気づきました。

私はどうも「あらゆる人が同性にも異性にも感じる」感覚の持ち主のようです。

何か用語を当てはめるとしたら「クエスチョニング(Questioning)」か「Xジェンダー」でしょうか。

おそらく同性愛者やトランスジェンダーと比べると研究が進んでいない性自認のタイプで、私も自分のアイデンティティーがよく分かっていないのですが…。(良い本がありましたら教えてください!)

 

そして「自分は男性か女性かよく分からんし、なんか中間部に居る気がする」と思っていると、自然と「他人もきっと自分を女性か男性かよく分からない存在として見るだろう」と思い込んじゃうんですね。

でも私は自分で思っているより女性的な見た目なようですね。

声は低いし、ズボンをよく履くし、粗雑な話し方をしているにも関わらずです。

 

ポールにキャッキャッし過ぎてるのかなあ。

ま、いいや。

 

とにもかくにも、誰かが私を「一輪の月見草」と見る時、それはその人が私を「女性として好き」という訳ですよね?

そしてそういう場面に直面した時、私は「女性か男性かのどちらかの性」に見られることを嫌うのかもしれません。

誰かの「一輪の月見草」になるとき、私は自分の「女性ではない部分」「ジェンダー的にあやふやな部分」を捨てなければいけなくなるのでしょう。

自分のアイデンティティーの中核部分を隠したり捨て去ったりして誰かとパートナーシップを結ぶのは、今の私には割り切れないです。

 

じゃあ自分の性自認について友人みんなに話せば良いじゃないかとも思うのですが、自分でもよく分かっていないあやふやなものを他人に話すのはそこそこ負担がかかります。

そしてよく分からないままで話すと誤解を生んだり理解してもらえなかったりするでしょう。

あと、まあ、クリスチャンの友人にはちょっと話しづらい類の話題でもありますしね。

 

夜中の勢いで書いているからちゃんと説明できているか分からないや。

それと自分がクエスチョニングかXジェンダーだとすると、ハイカーさんたちにもリアル友人にも「ポールかっこいいよおおおおおおおおお!!!愛してるよおおおおおおおお!!!」みたいなことを言ってきたのは何なのか説明もできないなあ。

いつか諸々すっきりする時がくるのかな。

今日は寝るかな。

明日も授業だわ。

 

おやすみなさいませ。

明日が良い一日になりますように。

2020年3月10日、11日デボーション

どうにもこうにも疲れていて、サボってしまいました_(:3 」∠)_

一昨日と昨日読んだ箇所をまとめて投稿します!

 

十二月すなわちアダルの月の十三日、王の命令と詔の行われる時が近づいたとき、すなわちユダヤ人の敵が、ユダヤ人を打ち伏せようと望んでいたのに、かえってユダヤ人が自分たちを憎む者を打ち伏せることとなったその日に、

ユダヤ人はアハシュエロス王の各州にある自分たちの町々に集まり、自分たちに害を加えようとする者を殺そうとしたが、だれもユダヤ人に逆らうことのできるものはなかった。すべての民がユダヤ人を恐れたからである。

諸州の大臣、総督、知事および王の事をつかさどる者は皆ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。

モルデカイは王の家で大いなる者となり、その名声は各州に聞えわたった。この人モルデカイがますます勢力ある者となったからである。

エステル記9章1-4節

 

ユダヤ人たちが大逆転しましたねo(`ω´ )o

ハマンに木に架けられるところだったモルデカイも、確かな地位を得たようです!

 

王は王妃エステルに言った、「ユダヤ人は首都スサで五百人を殺し、またハマンの十人の子を殺した。王のその他の諸州ではどんなに彼らは殺したことであろう。さてあなたの求めることは何か。必ず聞かれる。更にあなたの願いは何か。必ず聞きとどけられる」。

エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、どうぞスサにいるユダヤ人にあすも、きょうの詔のように行うことをゆるしてください。かつハマンの十人の子を木に掛けさせてください」。

王はそうせよと命じたので、スサにおいて詔が出て、ハマンの十人の子は木に掛けられた。

アダルの月の十四日にまたスサにいるユダヤ人が集まり、スサで三百人を殺した。しかし、そのぶんどり物には手をかけなかった。

王の諸州にいる他のユダヤ人もまた集まって、自分たちの生命を保護し、その敵に勝って平安を得、自分たちを憎む者七万五千人を殺した。しかし、そのぶんどり物には手をかけなかった。

エステル記9章12-16節

 

ハマンの子どもたちとユダヤ人の敵が皆いなくなったことで、ユダヤ人に平和が訪れたようです。

それにしても、旧約聖書は簡単に人が死ぬ気がする…。血生臭いぜ…。

 

これはアダルの月の十三日であって、その十四日に休んで、その日を酒宴と喜びの日とした。

しかしスサにいるユダヤ人は十三日と十四日に集まり、十五日に休んで、その日を酒宴と喜びの日とした。

それゆえ村々のユダヤ人すなわち城壁のない町々に住む者はアダルの月の十四日を喜びの日、酒宴の日、祝日とし、互に食べ物を贈る日とした。

モルデカイはこれらのことを書きしるしてアハシュエロス王の諸州にいるすべてのユダヤ人に、近い者にも遠い者にも書を送り、

アダルの月の十四日と十五日とを年々祝うことを命じた。

すなわちこの両日にユダヤ人がその敵に勝って平安を得、またこの月は彼らのために憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変ったので、これらを酒宴と喜びの日として、互に食べ物を贈り、貧しい者に施しをする日とせよとさとした。

 そこでユダヤ人は彼らがすでに始めたように、またモルデカイが彼らに書き送ったように、行うことを約束した。

これはアガグびとハンメダタの子ハマン、すなわちすべてのユダヤ人の敵がユダヤ人を滅ぼそうとはかり、プルすなわちくじを投げて彼らを絶やし、滅ぼそうとしたが、

エステルが王の前にきたとき、王は書を送って命じ、ハマンがユダヤ人に対して企てたその悪い計画をハマンの頭上に臨ませ、彼とその子らを木に掛けさせたからである。

このゆえに、この両日をプルの名にしたがってプリムと名づけた。そしてこの書のすべての言葉により、またこの事について見たところ、自分たちの会ったところによって、

ユダヤ人は相定め、年々その書かれているところにしたがい、その定められた時にしたがって、この両日を守り、自分たちと、その子孫およびすべて自分たちにつらなる者はこれを行い続けて廃することなく、

この両日を、代々、家々、州々、町々において必ず覚えて守るべきものとし、これらのプリムの日がユダヤ人のうちに廃せられることのないようにし、またこの記念がその子孫の中に絶えることのないようにした。

エステル記9章17-28節

 

この「プリム」というお祭りはユダヤ人の間で現在でも続いていて、丁度グレゴリオ暦2月か3月に行われるそうです。

今年は3月9日から10日だったそうな!

華やかなお祭りを想像すると、ワクワクしてきます(о´∀`о)

 

さて、昨日読んだ箇所はめっちゃ短いです_(:3 」∠)_

3節だけです_(:3 」∠)_

 

アハシュエロス王はその国および海に沿った国々にみつぎを課した。

彼の権力と勢力によるすべての事業、および王がモルデカイを高い地位にのぼらせた事の詳しい話はメデアとペルシャの王たちの日誌の書にしるされているではないか。

ユダヤ人モルデカイはアハシュエロス王に次ぐ者となり、ユダヤ人の中にあって大いなる者となり、その多くの兄弟に喜ばれた。彼はその民の幸福を求め、すべての国民に平和を述べたからである。

エステル記10章1-3節

 

モルデカイは民衆に寄り添った良い為政者となったようです!

モルデカイに関することはペルシャの歴史書にも書いてあるようですね。

どんな風に書かれたのかしら?

 

さてさて、こんな感じでエステル記は終わりました。

命をかけてユダヤの人々を守ったエステルのように、私も信仰のために生きられるようになりたいです。

 

2020年3月9日デボーション

どうにもこうにも眠くてブログをサボってしまいました_(:3 」∠)_

3月9日の分はある程度書いてあったので、とりあえずこの日の分だけ投稿します。

さてさて、ハマンは罰せられたのですが、ユダヤ人掃討令は撤回されていません…、

 

その日アハシュエロス王は、ユダヤ人の敵ハマンの家を王妃エステルに与えた。モルデカイは王の前にきた。これはエステルが自分とモルデカイがどんな関係の者であるかを告げたからである。

王はハマンから取り返した自分の指輪をはずして、モルデカイに与えた。エステルはモルデカイにハマンの家を管理させた。

エステル記8章1-2節

 

モルデカイにハマンがしていた指輪が与えられました!

多分、ハマンがそれまで持っていた権限をモルデカイに与えるということでしょう!

 

そして言った、「もし王がよしとされ、わたしが王の前に恵みを得、またこの事が王の前に正しいと見え、かつわたしが王の目にかなうならば、アガグびとハンメダタの子ハマンが王の諸州にいるユダヤ人を滅ぼそうとはかって書き送った書を取り消す旨を書かせてください。

どうしてわたしは、わたしの民に臨もうとする災を、だまって見ていることができましょうか。どうしてわたしの同族の滅びるのを、だまって見ていることができましょうか」。

エステル記8章5-6節

 

エステルは必死に王に訴えます。

エステルの言葉から、自分の一族への愛と一族が置かれた過酷な状況への悲しみが伝わってきます。

 

アハシュエロス王は王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った、「ハマンがユダヤ人を殺そうとしたので、わたしはハマンの家をエステルに与え、またハマンを木に掛けさせた。

あなたがたは自分たちの思うままに王の名をもってユダヤ人についての書をつくり、王の指輪をもってそれに印を押すがよい。王の名をもって書き、王の指輪をもって印を押した書はだれも取り消すことができない」。

エステル記8章7-8節

 

エステルの訴えはアハシュエロス王に届きました!

強い効力を持った王の指輪もエステルに使わせるようです。すごい信頼!

 

その時王の書記官が召し集められた。それは三月すなわちシワンの月の二十三日であった。そしてインドからエチオピヤまでの百二十七州にいる総督、諸州の知事および大臣たちに、モルデカイがユダヤ人について命じたとおりに書き送った。すなわち各州にはその文字を用い、各民族にはその言語を用いて書き送り、ユダヤ人に送るものにはその文字と言語とを用いた。

エステル記8章9節

 

当時のペルシャってインドやエチオピアも領土だったんか…!

後のローマ帝国と良い勝負では!?

それぞれの地域の言語に合わせて書簡を書かせるところにエステルの思慮深さが分かります。

 

その書はアハシュエロス王の名をもって書かれ、王の指輪をもって印を押し、王の御用馬として、そのうまやに育った早馬に乗る急使によって送られた。

エステル記8章10節

 

やっぱり馬使いますよねー!徒歩ではハマンの命令を止められませんもんねー!

郵便やインターネットが発達した現代目線からだと忘れがちですが、この時代では一度出した命令を取り消すのってどうしても時間がかかってしまいますね。

王の御用馬ってことは、相当速く走れるのかしら?

 

その中で、王はすべての町にいるユダヤ人に、彼らが相集まって自分たちの生命を保護し、自分たちを襲おうとする諸国、諸州のすべての武装した民を、その妻子もろともに滅ぼし、殺し、絶やし、かつその貨財を奪い取ることを許した。

ただしこの事をアハシュエロス王の諸州において、十二月すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うことを命じた。

この書いた物の写しを詔として各州に伝え、すべての民に公示して、ユダヤ人に、その日のために備えして、その敵にあだをかえさせようとした。

エステル記8章11-13節

 

11節でユダヤ人が身を守るために武装した民を殺しても良いと許可していますが、自分を殺そうとしている相手に対しては穏当に対応できませんもんね…。

期間を定めたのは、殺し合いが長く続かないようにかしら?

 

モルデカイは青と白の朝服を着、大きな金の冠をいただき、紫色の細布の上着をまとって王の前から出て行った。スサの町中、声をあげて喜んだ。

ユダヤ人には光と喜びと楽しみと誉があった。

いずれの州でも、いずれの町でも、すべて王の命令と詔の伝達された所では、ユダヤ人は喜び楽しみ、酒宴を開いてこの日を祝日とした。そしてこの国の民のうち多くの者がユダヤ人となった。これはユダヤ人を恐れる心が彼らのうちに起ったからである。

エステル記8章15-17節

 

ユダヤの人々の間に喜びがあふれました!

やったね!

2020年3月8日デボーション

今日の礼拝もネット中継でした…。

外に一切出ないと眠くなっちゃいます_(:3 」∠)_

 

王とハマンは王妃エステルの酒宴に臨んだ。

このふつか目の酒宴に王はまたエステルに言った、「王妃エステルよ、あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。

エステル記7章1-2節

 

いよいよエステルの酒宴が始まります♪

王はまた「あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる。」と言っていますね。

王のエステルへの情の深さが伺えますねぇ。

 

王妃エステルは答えて言った、「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、わたしの求めにしたがってわたしの命をわたしに与え、またわたしの願いにしたがってわたしの民をわたしに与えてください。

わたしとわたしの民は売られて滅ぼされ、殺され、絶やされようとしています。もしわたしたちが男女の奴隷として売られただけなら、わたしは黙っていたでしょう。わたしたちの難儀は王の損失とは比較にならないからです」。

アハシュエロス王は王妃エステルに言った、「そんな事をしようと心にたくらんでいる者はだれか。またどこにいるのか」。

エステルは言った、「そのあだ、その敵はこの悪いハマンです」。そこでハマンは王と王妃の前に恐れおののいた。

王は怒って酒宴の席を立ち、宮殿の園へ行ったが、ハマンは残って王妃エステルに命ごいをした。彼は王が自分に害を加えようと定めたのを見たからである。

エステル記7章3-7節

 

王はエステルの言葉を素直に受け入れたようです!

エステルが「王よ、もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしよしとされるならば、」と話し始めているところに、エステルの慎重さと恐れが現れているような気がします。

エステルの必死の訴えはアハシュエロス王に伝わったようです。

一方のハマンは自分の地位が揺らぐことに恐怖を抱いているようです。

 

王が宮殿の園から酒宴の場所に帰ってみると、エステルのいた長いすの上にハマンが伏していたので、王は言った、「彼はまたわたしの家で、しかもわたしの前で王妃をはずかしめようとするのか」。この言葉が王の口から出たとき、人々は、ハマンの顔をおおった。

その時、王に付き添っていたひとりの侍従ハルボナが「王のためによい事を告げたあのモルデカイのためにハマンが用意した高さ五十キュビトの木がハマンの家に立っています」と言ったので、王は「彼をそれに掛けよ」と言った。

そこで人々はハマンをモルデカイのために備えてあったその木に掛けた。こうして王の怒りは和らいだ。

エステル記7章8-10節

 

ハマンはモルデカイをかけるために用意した木に自分がかけられることになってしまいました!

民話のような因果応報ですねぇ。

神様の計画はユダヤ人以外にも及ぶのでしょうね。

 

それにしても、アハシュエロス王が今まで重用していたハマンをあっさり罰したのがなんか意外です。

前の章でモルデカイの功績を思い出したのも、王がハマンへの不信を抱く要因となったのかしら。

2020年3月7日デボーション

はてなブログ的におはようございます( ´ ▽ ` )ノ

今日読んだ箇所ではちょっとした動きがあります(`・ω・´)

 

その夜、王は眠ることができなかったので、命じて日々の事をしるした記録の書を持ってこさせ、王の前で読ませたが、

その中に、モルデカイがかつて王の侍従で、王のへやの戸を守る者のうちのビグタナとテレシのふたりが、アハシュエロス王を殺そうとねらっていることを告げた、としるされているのを見いだした。

エステル記6章1-2節

 

眠れない時に眠くなるまで何かを読むことってよくありますよね。

私の場合、ネットをよく見るので余計眠れなくなります_(:3 」∠)_

そんなことより、アハシュエロス王はモルデカイが暗殺計画を告発したことを忘れていたんですね。

それとも記録には残したけれど王本人には知らされてなかった?

 

そこで王は言った、「この事のために、どんな栄誉と爵位をモルデカイに与えたか」。王に仕える侍臣たちは言った、「何も彼に与えていません」。

王は言った、「庭にいるのはだれか」。この時ハマンはモルデカイのために設けた木にモルデカイを掛けることを王に申し上げようと王宮の外庭にはいってきていた。

王の侍臣たちが「ハマンが庭に立っています」と王に言ったので、王は「ここへ、はいらせよ」と言った。

やがてハマンがはいって来ると王は言った、「王が栄誉を与えようと思う人にはどうしたらよかろうか」。ハマンは心のうちに言った、「王はわたし以外にだれに栄誉を与えようと思われるだろうか」。

エステル記6章3-6節

 

ハマン、何やら盛大な勘違いをしていますよ…?

なんか読んでるだけの私も恥ずかしくなってきます(*_*)

 

ハマンは王に言った、「王が栄誉を与えようと思われる人のためには、

王の着られた衣服を持ってこさせ、また王の乗られた馬、すなわちその頭に王冠をいただいた馬をひいてこさせ、

その衣服と馬とを王の最も尊い大臣のひとりの手にわたして、王が栄誉を与えようと思われる人にその衣服を着させ、またその人を馬に乗せ、町の広場を導いて通らせ、『王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ』とその前に呼ばわらせなさい」。

それで王はハマンに言った、「急いであなたが言ったように、その衣服と馬とを取り寄せ、王の門に座しているユダヤ人モルデカイにそうしなさい。あなたが言ったことを一つも欠いてはならない」。

そこでハマンは衣服と馬とを取り寄せ、モルデカイにその衣服を着せ、彼を馬に乗せて町の広場を通らせ、その前に呼ばわって、「王が栄誉を与えようと思う人にはこうするのだ」と言った。

こうしてモルデカイは王の門に帰ってきたが、ハマンは憂え悩み、頭をおおって急いで家に帰った。

エステル記6章7-12節

 

ハマン、自分がもらうつもりで言ったこと全てがモルデカイに与えられてしまい悔しそうです…。

でもモルデカイが報われて良かった!木に括られるのも回避しました!

 

そしてハマンは自分の身に起った事をことごとくその妻ゼレシと友だちに告げた。するとその知者たちおよび妻ゼレシは彼に言った、「あのモルデカイ、すなわちあなたがその人の前に敗れ始めた者が、もしユダヤ人の子孫であるならば、あなたは彼に勝つことはできない。必ず彼の前に敗れるでしょう」。

彼らがなおハマンと話している時、王の侍従たちがきてハマンを促し、エステルが設けた酒宴に臨ませた。

エステル記6章13-14節

 

ユダヤ人は強い」という認識がペルシャ帝国の中であったのでしょうか?

ユダヤ人の先祖たちが海を渡ってエジプトから逃げ出したことは当時から有名だったのかしら?

さてさて、次の章でやっとエステルの酒宴が始まるようです_(:3 」∠)_

2020年3月6日デボーション

新型コロナウィルスのせいでめちゃくちゃ暇なので、しばらくはデボーション投稿を続けられそうです(`・ω・´)

 

三日目にエステルは王妃の服を着、王宮の内庭に入り、王の広間にむかって立った。王は王宮の玉座に座して王宮の入口にむかっていたが、

王妃エステルが庭に立っているのを見て彼女に恵みを示し、その手にある金の笏をエステルの方に伸ばしたので、エステルは進みよってその笏の頭にさわった。

エステル記 5章1-2節

 

三日間の断食の後、エステルは王宮に向かいました。

勝手に王宮に入って殺されてしまうリスクもあったと思うのですが、アハシュエロス王に笏を差し出されたことで免れましたε-(´∀`; )

 

王は彼女に言った、「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」。

エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、きょうわたしが王のために設けた酒宴に、ハマンとご一緒にお臨みください」。

そこで王は「ハマンを速く連れてきて、エステルの言うようにせよ」と言い、やがて王とハマンはエステルの設けた酒宴に臨んだ。

エステル記5章3-5節

 

事態の元凶であるハマンも交えて、エステルは説得するようですね!

しかし、王に「国の半ばでもあなたに与えよう」と言わしめるエステルってすごいですね…。

よっぽど魅力的な人だったんだろうなぁ。

同時に王の傲慢さも伺える発言ですが…。

 

酒宴の時、王はエステルに言った、「あなたの求めることは何か。必ず聞かれる。あなたの願いは何か。国の半ばでも聞きとどけられる」。

エステルは答えて言った、「わたしの求め、わたしの願いはこれです。

もしわたしが王の目の前に恵みを得、また王がもしわたしの求めを許し、わたしの願いを聞きとどけるのをよしとされるならば、ハマンとご一緒に、あすまた、わたしが設けようとする酒宴に、お臨みください。わたしはあす王のお言葉どおりにいたしましょう」。

エステル記5章6-8節

 

あ、説得は翌日に持ち越しなんですね…。

エステルは翌日の酒宴に何を用意するのでしょう?

 

こうしてハマンはその日、心に喜び楽しんで出てきたが、ハマンはモルデカイが王の門にいて、自分にむかって立ちあがりもせず、また身動きもしないのを見たので、モルデカイに対し怒りに満たされた。

しかしハマンは耐え忍んで家に帰り、人をやってその友だちおよび妻ゼレシを呼んでこさせ、

そしてハマンはその富の栄華と、そのむすこたちの多いことと、すべて王が自分を重んじられたこと、また王の大臣および侍臣たちにまさって自分を昇進させられたことを彼らに語った。

エステル記5章9-11節

 

ハマンはこの世での栄華に捉われていたんだなぁ、とクリスチャンとしては感じてしまいます。

自分の地位を脅かすモルデカイは邪魔者でしかなかったんだなぁ。

 

ハマンはまた言った、「王妃エステルは酒宴を設けたが、わたしのほかはだれも王と共にこれに臨ませなかった。あすもまたわたしは王と共に王妃に招かれている。

しかしユダヤ人モルデカイが王の門に座しているのを見る間は、これらの事もわたしには楽しくない」。

その時、妻ゼレシとすべての友は彼に言った、「高さ五十キュビトの木を立てさせ、あすの朝、モルデカイをその上に掛けるように王に申し上げなさい。そして王と一緒に楽しんでその酒宴においでなさい」。ハマンはこの事をよしとして、その木を立てさせた。

エステル記5章12-14節

 

朝!?えっ朝!?モルデカイ大ピンチ!!

エステルのユダヤ人救出作戦は間に合うのかしら…?

それにしてもハマンの妻と友人が「邪魔なものは片付けてから楽しめばいいんだよー」みたいなノリでこの提案してくるの、めちゃくちゃ怖いですね…。