キンモクセイの何か

ブログに書くほどのことではありませんが、日々起こったことや思うことをつらつらと

推しの地元行ってきたジモ

ブログではお久しぶりです。キンモクセイです。

タイトルの通り、推しの地元に行ってきました。

キンモクセイの推しは複数人居ますが、今回はRAGFAIRのリーダー引地洋輔さんの地元、福島市に行ってきました。

ここでこの記事を読んでいるみなさんの頭に疑問が浮かんでくると思います。「突然どうした?」と。

実は今、RAGFAIRは「ジモジモツアー」と言って、メンバーの地元を巡るツアー中なのです。

ここでまた読んでいる皆さんの頭に別の疑問が浮かぶと思います。「お前東京在住じゃなかったか?」と。

RAGFAIRのメンバーのうち二人は東京都国分寺市出身なので当然そこでも公演していました。なんなら二回公演していました。

都民ならその公演に行くのが一番アクセスが良いでしょう。

突然宗教の話になりますが、私はクリスチャンなので神様に「国分寺公演に行っても宜しいでしょうか?」と祈ってお伺いを立ててみました。

しかし、神様からOKが出た感覚がしない…。

ツアー最終日は荒井健一さんの地元、埼玉でも公演をしますがこの時既にチケットは売り切れ。

どうしよう…どうしてもRAGFAIRのライブに行きたい…。

だって「行きたいなぁ」と思っている内にメンバーが二人もRAGFAIRを去ってしまったんだから。

これ以上RAGFAIRのメンバーが減る前にライブを観たいよぉ!!

…と考えていたら天啓的なものが降ってきました。

「福島公演に行けば良いじゃん」と。

「神様、マジですか!?」と思いつつすぐさま福島公演のチケット、更に行きの新幹線のチケットと帰りの夜行バスのチケットも取りました。

新幹線に乗るのも夜行バスに乗るのもはてなハイクが終わる直前にハイカーさん巡りをした時以来です。

久しぶりの冒険に楽しみな気持ちと不安な気持ちがおしくらまんじゅうしました。

そういう訳で、キンモクセイは2022年11月21日(月)にRAGFAIRジモジモツアーの福島公演に行くことにしたのでした。

前置きだけでかなり長くなってしまいました。申し訳ありません。

ライブ感想よりもキンモクセイ個人の体験に重きを置いてこの記事を書くのでまだまだ長くなります。重ねて申し訳ありません。

 

そんなこんなでチケットを購入した私ですが、不安なことはたくさんありました。

一つ目、Covid-19が流行し始めてからというもの、私は遠出を避けてきました。

自分が感染するのが怖いからというよりも、周りに感染させてしまうのが怖いからです。

そういう訳で遠出だけでなく外食なども自粛してきました。

そんな私の久しぶりの遠出が県境を三回も越える旅程なんてとんでもないことです。

二つ目の不安は、私が推しに認知されるのが無理なタイプのオタクであることです。

以前、ブログで土屋礼央さんのソロライブに行ったら礼央さんと目が合ってしまい嫌悪感を抱いてしまったことを書きました。

礼央さんのことが嫌いな訳ではないのです。むしろかれこれ10年以上大好きな人です。

そんな大好きな人に個人として認識されるのが何故だか私はとても辛く感じてしまうのです。

RAGFAIRの公演ですから当然、礼央さんも出演します。

他にも引地さん、加藤さん、健一さんと大好きな人が揃い組みです。

「また、表参道の悲劇(以下、OSH)を繰り返しはしないか」と不安になりました。

三つ目の不安は白柴犬のことです。

一年前のブログにも登場した白柴犬ですが、中々嫉妬深い犬なのです。

家族が出かけて帰ってくるのが日没後になるととても怒ります。

まだ幼い犬なので仕方がないことなのですが困ったものです。

私が日没後どころか日を跨いで帰宅したらどれほど怒るのだろうかと想像すると恐怖を覚えます。

県境を三回越える久しぶりの遠出、OSH、白柴犬の嫉妬と試練が与えられましたが、私は福島行きを決行しました。

 

そんなこんなで不安を抱えたまま当日を迎えました。

最寄駅からガタンゴトンと電車に乗って東京駅へ。

そして少し迷いつつ東京駅の東北新幹線のプラットホームに到着。

ライブ開始は夜七時からだったのでライブ中にお腹が空かないように新幹線の中でお弁当を食べました。

「コロナ禍だけど大丈夫かしら?」と思いましたが、通路を挟んだ隣の席をチラリと見たら男性が缶ビールらしきものを飲んでいたので大丈夫だったのだと思います。

そうしてお弁当を食べながら車窓を見ると見覚えのあるやたら綺麗な形の山が見えました。f:id:kinmokusei1113:20221123121009j:image

こ、これは…?

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夕日に映える富士山だ!!!

方角的にも富士山で間違いなかったと思います。

東北新幹線の車窓からも見えるんですねぇ。

クリスチャンですが、綺麗に富士山が見えると「縁起が良いねぇ!」「吉兆だねぇ!」と感じてしまいます。

「この旅は守られているから安心して楽しむが良い」と神様に言ってもらったような気分になりました。

そして新幹線に揺られること約2時間、福島駅に着きました。

プラットホームに降り立つと無意識に「さむっ」と呟いてしまいました。

それから「この寒さ、本当に東北に来たんだなぁ」と感慨に浸りました。

駅構内のNewDaysでいもくり佐太郎とママドールを家へのお土産に買いました。

白柴犬が食べられそうなものは残念ながら売ってませんでした。ごめんよ。

NewDaysの袋を提げてライブ会場に向かいました。新幹線の駅から近くて助かる!

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福島駅前には「古関裕而のまち」と書かれた弾幕が飾られていました。

全国高等学校野球大会の歌『栄光は君に輝く』など数々の名曲を作り、朝ドラ『エール』のモデルともなったあの古関裕而です。

偉大な音楽家を二人も育んだ福島市、すごい場所ですね。

Googleマップを見ながら福島駅から真っ直ぐ歩くとライブ会場が見えてきました。

そして見えてくる会場入り口から続く行列。

20メートルほど続いています。

……えっ?マジ?

ライブ前にこんなに長い行列が続くものなの?

行列の中のお一人に聞いてみました。

「これはRAGFAIRの行列ですか?」

「はい、そうですよ。」

マジかーーーー!!!!

コロナ禍中は遠出だけでなく人混みも避けてきた私に行列はちょっとキツいです。

RAGFAIRにたくさんファンが居るのは大歓迎ですがそれでも行列は苦手です。

私は怖々行列に加わりました。

周りからRAGFAIRについて話す声が聞こえてきます。(コロナ禍なのでもちろん小声です。)

同好の士に囲まれる空間がなんだか心地良くなってきました。

 

いよいよライブ会場が開場。

行列が少しずつ入り口に向かって進んでいきます。

入り口を入り、階段を降りて、階段の下で入場の手続きをし、観覧スペースに向かいました。

観覧スペースの上には大きなミラーボールがキラキラと輝いていました。

良いライブハウスを会場にしてくれたんだなぁと感じ入りました。

ミラーボールの光で頭がクラクラしてきたので一旦スペースを出ました。

観覧スペースの外のロビーのようなところにはツアーグッズが並べられていました。

去年の12月に行われた20周年ライブのDVDやオリジナルデザインの手ぬぐい、靴下などが置いてありました。

ところがそこには誰もいません。

グッズを買いたいのに買えません。

グッズ売り場の前でぼうっと立ちながらライブ開始を待ちました。

 

会場BGMが止まり、いよいよな気配がしたので観覧スペースに入りました。

しばらくするとスピーカーからボイスパーカッションの音が聞こえてきました。

巻き起こる拍手。

ステージ上に現れるオレンジのスーツ姿。

いよいよRAGFAIRのライブの始まりだ!!

 

ライブ本編を一番多く描写したいところですが、ネタバレはあまり良くないらしいのでかいつまんで書きます。

最初はSheサイドストーリーから始まりました。

引地洋輔さん作曲の名曲です。

引地さんの地元公演一曲目にふさわしい曲ですねぇ!

会場はライブハウスなのでそこそこ演者との距離が近いです。

ステージ上をじっと見ているとうっかりOSHが起きそうな感じがします。

そこで私は秘策を思いつきました。

「胸元を見ておけば目が合わない!」と。

これで安心してライブを楽しむことができました。

ところでRAGFAIRアカペラグループですが振りが付いている楽曲がいくつかあります。

その一つが『ラブラブなカップルフリフリでチュー』です。

ライブで歌われる時はサビで手を振るのがお決まりです。

私も過去のライブ映像を見てそれを知っていたのでイントロを聞いた瞬間に「やるぞ!」と気合を入れました。

気合を入れすぎてイントロが終わった途端にフライングで手を振ってしまったりしました。

そしていよいよサビ!

ステージと観客席が一体となって手を振ります。

私も歌に合わせて全力で手を振ります。

た、楽しい〜〜♪♪

何これめっちゃ楽しいんですけど〜〜♪♪♪

すみません、思わず一昔前のギャルが出てしまいました。

その後も次々と楽しい楽曲が続いていき、引地さんの思い出を語るコーナーに。

引地さんは高校生時代合唱部だったとのことで、その時の思い出の歌を歌ってくれました。

その名も『宇宙戦艦ヤマト』!

宮川泰作曲の名曲です。

宮川泰はとても良い曲を作りますね。

息子の宮川彬良さんとRAGFAIRは関わりがありますし、うんうん。

ん?

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そこ古関裕而の曲じゃないんだ!!

福島駅からライブ会場まで「ここは古関裕而のまち」と刷り込まれてきた私は思わず心の中でツッコミを入れてしまいました。

因みにこの横断幕はライブ終演後にブログでツッコミを入れてやろうと撮ったものです。

我ながら性格悪いですね。

もちろん『宇宙戦艦ヤマト』の合唱、とても良かったです。

引地さんがノリノリで指揮をしていてとてもカッコ良かったです。

さて、その後もライブは続き、しっとりとしたバラードからダンスナンバーまで様々な歌を楽しみました。

もちろんダンスナンバーは全てRAGFAIRと一緒に踊りました!

RAGFAIRRAGFAIR好きだけで満たされた空間、最高でした!

そんなこんなで全曲目が終わり、グッズ販売についてのアナウンスがありました。

なんと、RAGFAIRのメンバーが手売りするとのこと!

 

や……や……

 

 

嫌だ……

 

 

ここで私が「やったー!」と言うと思った皆様、私の「推しに認知されたくないタイプのオタク」っぷりを侮ってましたね。

ステージ上の推しと目を合わすこともできない私が推しと直接やり取りするなんて無理です!

でもツアーグッズが欲しいのでやるしかない!!

 

ライブ開始前にぽけーっと立っていたロビーに再び向かいました。

しばらくそこで待っていると加藤さんと健一さんが登場!

ほ、本物だ〜〜!

かっこいい〜〜!でも怖い〜〜!

勇気を出して会計係の加藤さんに声をかけます。

 

私「これとこれとこれとこれをください。(開演前に目をつけていた手ぬぐい×2と靴下と20周年ライブDVDを指さしながら)」

加藤さん「はーい」

私「靴下のサイズは23〜25です。」

加藤さん「23〜25……(段ボールをガサゴソしてからパッケージを取り出す)これで全部ですか?」

私「はい!(もっと買えってことじゃないよな?加藤さんのことだから買い忘れがないか確認してるだけだよな?)」

加藤さん「えーと、1500円が二つで3000円で、あと……」

私(お、暗算するんだ!流石は理系!)

加藤さん「3000円……4000円……で7000円……」

私(開演前に目をつけて既に合計額を計算してあったのでそっとお札を取り出す)

加藤さん「あと7700円だから……えーと……14700円です。」

隣に居た健一さん「計算機使わないんだw」

私(電卓を忘れてただけかーい!)

 

ハラハラしたりドキドキしたりしながらグッズを無事に買えました!

OSHが起こることなく安心しました。

人間として一つ成長したような気がしました。

安心したのと密を恐れたのとで会場を早く出ようとしたところ、加藤さんに呼び止められました。

「忘れ物してたかな?」と思って戻ると渡されたのはいもくり佐太郎シール引地さんバージョン。

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かわいい〜〜!素敵〜〜!!

あと行きにいもくり佐太郎買っておいて良かった〜〜!!

 

興奮覚めやらぬ中、会場のライブハウスを出ました。

そして近くに丁度良いベンチがあったのでそこに座ることにしました。

RAGFAIR20周年グッズのタンブラーでお茶を飲みつつライブを振り返りました。

いやぁ、めっちゃ良かったなぁ……

来て良かったなぁ……

良い歌をたくさん聴けたなぁ……

あとそこそこ運動したなぁ……

夜風が冷たかったですがライブの熱がまだ残っていたので余り寒くはありませんでした。

しばらくベンチに座って物思いにふけた後、福島駅へ向かいました。

福島駅前の展示で古関裕而の略歴などを確認している間、ふと気づきました。

「そういえばRAGFAIRはライブ終演後にいつもYouTube配信をしていたぞ……?」

早速スマホを開いてYouTubeを確認してみると配信の終わり頃でした。

https://youtu.be/0NudxdsAowU

背景をよく見ると福島駅に来るまでに前を通ったセブンイレブンが見えます。

ということは、このまま福島駅前で待っていればRAGFAIR御一行に会える……ってコト!?

私の心の中に住むハチワレが気づきを得ました。

これがファンのマナーとして良いことなのかいまいち自信がありませんでしたが私は古関裕而の略歴を確認しながら待ちました。

しばらくするとキャリーケースを引いた集団が見えてきました。

10年以上好きな人たちなので遠くから見ても分かりました。

あれはRAGFAIRだ!!

何故か引地さん居ないけど!!

待ち伏せまでしたのに声をかけて良いのか分からず、とりあえず距離を取って拍手をしてみました。

すると礼央さんと目が合いました。

緊張して何も言えない私。

訝しげな顔をする礼央さん。

「コントでぼったくられても礼央さんがこんな訝しげな顔をすることないんだが?」と気づく私。

訝しげな顔をしたまま通り過ぎる礼央さん。

 

これは……

 

ここに来て……

 

OSH再び……(ガクッ

 

こんなことなら「ファンです!」とか「先程のライブ楽しかったです!」とか何か言えば良かった!!

やがてRAGFAIR一行は福島駅へ入っていきました。

後でTwitterを見たところ、一行は夜行列車で東京まで帰ったそうです。

楽しそう〜〜!

 

さて、実は私が福島に来てやりたかったことはもう一つありました。

それは喜多方ラーメンを食べることです。

私は醤油系のラーメンが好きなのです。

ライブ後にラーメンを食べるために事前に夜中まで開いてるラーメン屋さんも調べていました。

ところがライブが終わりRAGFAIR御一行を見送った後もお腹が空きません。

新幹線で食べたお弁当が思っていたより重かったようです。

喜多方ラーメンはいつかまた福島に来た時にして、カフェとかで時間を潰そう」と予定変更することにしましたが、この時既に駅前のマクドナルドもドトールも閉まっていました。

おまけにスマホの充電も無くなってきました。

夜行バスの時間まであと約2時間……。

夜行バスのバス停の近くでひたすら虚無の時間を過ごしました。

こんなことならRAGFAIRと同じ夜行列車に乗りたかったーー!!!

 

修行のような2時間を経て、無事に夜行バスに乗りました。

要領の良い人ならこの夜行バスの中でライブ感想ブログを書くのでしょう。

しかし私は車酔いしやすいので下書きに要綱だけ書いて寝ました。

コロナ禍だからか隣の席に他のお客さんが乗らず、快適に休めました。

 

夜行バスに揺られて朝を迎えました。

無事バスタ新宿に到着し、そこから家に帰りました。

白柴犬は丁度母と散歩に出ていて家にいませんでした。

それなら白柴犬が帰ってくるまで仮眠するか、と自室に行き眠りにつきました。

そして起きたら外は真っ暗。

自分でも驚きましたが家に帰ってから10時間ほど寝ていたようです。

白柴犬は昼寝の延長の夕寝をしているところでした。

白柴犬と会うのは24時間以上ぶりでしたが怒られずに済みました。

た、助かった〜〜!!

 

 

その後も中々疲れが取れず、ブログを書き終えるまで一週間かかりました。

ここまで読んでいる人はいらっしゃるでしょうか?

とにかく私が楽しんだことが伝わっていれば幸いです。

あれから

父が亡くなってから一ヶ月経ちました。

あれから起こった家の中の変化をつらつらと書いてみます。

 

その1. テレビを観る時間が減った。

父は無類のテレビっ子でした。

私とはらからは小学生の頃に出された「一日テレビを観ない」という夏休みの課題を父のために始める前から諦めていました。

父は居間に入ると呼吸の如くテレビのスイッチを点けるような人でした。

そんな父が居なくなった我が家は余計に静かになりました。

今まで通りにテレビを点けると父を思い出してしまうのもあるかもしれません。

 

その2. ソファーが広くなった。

前述の通り父は無類のテレビっ子だったのでテレビの前のソファーを居間でくつろぐ時の定位置にしていました。

その父が居なくなったので他のメンバーが代わる代わるその場所を使うようになりました。

因みに食卓での父の定位置は空席のままです。

 

その3. 白柴犬が寂しがり屋になった。

白柴犬とは父が一目惚れして今年から我が家のメンバーになった犬のことです。

白柴犬なりにあの日のことを気にしているらしく、母に甘えたり私やはらからを見張ったりする回数が増えたように感じます。

私が伸びをして「んんっ!」とやや大きめの声を上げると飛び起きて「お前!どうした!?」と言いたげな表情で駆け寄って来ます。

家族みんながスマホをいじっていると突然「クーン…クーン…」と寂しそうな声を出します。

そんな時は一番近くに居る人が撫でてやったりします。

 

その4. 母が忙しそう。

詳しくは書けませんがあれやこれやの手続きやら何やらで母は現在忙しそうにしてます。

しかし私に手伝えることは無さそうです。

 

その5. 増える花の数。

詳しくは書けませんがあちらこちらから父に向けてお花が送られて来ます。

ありがたいです。

 

その6. コロナ禍を乗り切るモチベーションが減った。

これは私個人の話ですが、コロナ禍後に父とポールの来日ライブに行くことを心待ちにしていたので、父が亡くなった後は今を耐える心の支えが一つ無くなってしまいました。

代わりにコロナ禍が終わったら家族で父の故郷の鹿児島に行くことになっているのでそれを心の支えにしています。

 

その7. 単純に淋しい。

単純に淋しいです。

これ以上書く必要はないですね。

Across The Universe

ジョン・レノンは九日生まれだったので9をラッキーナンバーにしていたという。

ビートルズ時代にも"One After 909"や"Revolution 9"といった9にまつわる楽曲を作っている。

そしてつい最近、私自身にとっても9が特別な数字になった。

 

父が亡くなった。令和3年9月9日のことだった。

父はその日の朝、突然倒れて救急車で運ばれていった。

私も病院に行こうとしたがコロナ禍の人数制限のために入れなかった。

家族が急に飛び出して行って寂しそうにしている新入りの白柴犬と共に留守番をすることになった。

午後4時少し前、白柴犬が何もない空中を少しの間嗅いで、そして昼寝に戻った。

私はそれを見て得体のしれない不安と近しい人と一緒にいるときの安心を同時に感じた。

それから程無くして病院に居る母から電話が来た。

「お父さんのお葬式、日曜日で大丈夫?」とのことだった。

 

母との電話の後、私は父の棚から葬儀で流すCDを探し始めた。

バッハ、ベートーヴェンモーツァルトのような古典からグリーグサン=サーンスストラヴィンスキーのような近現代の作曲家までそろったクラッシック音楽の棚。

父の青春時代によく聞かれていたであろう少し昔の邦楽や洋楽の棚。

もっと父と音楽の話をしたかったと思いながら棚を眺めた。

 

葬儀には父のお気に入りだったらしいバッハのCDを持って行った。

セレモニーの間の待ち時間はほぼずっと母とはらからと父の故郷である鹿児島に行く計画について話していた。

飛行機のこと、ホテルのこと、レンタカーのこと、どこに行くか、何を食べるかなど色々と話した。

私とはらからは小学校低学年の頃に家族で旅行した時に、母はその時と父と結婚した直後に行った時以来足を踏み入れることのなかった鹿児島。

私は幼かったために父の青春の味である白くまアイス桜島フェリーのうどんをうまく食べられなかった。

今だったらそれらを楽しめるのではないかと考えている。

 

私も母もはらからも生け花経験者なので父の棺に花を入れる時の手際がやたらに良かった。

葬儀場のスタッフさんはそれを見て少し引いている様子だった。

一般的には涙を浮かべながらぎこちなく入れる場面だったのに、三人で冷静に連携して素早く棺を飾る様は葬儀のプロからしても不思議な光景だったのだろう。

母は父の背広に先代犬の写真を忍ばせた。

「これであっちで見つけられるね。この犬見ませんでしたかって聞いて回れるし。」と母は言った。

「あ、そんな探偵みたいなノリで入れるの?」と私はいつもの会話のようにツッコミを入れた。

棺に入れられると父の身長の高さがより分かった。昭和生まれの男性としては高い方だったと思う。

肌に化粧が施されていたが眉毛は整えられてなくて、生前のようにぼうぼうと生えていた。

そんな父の姿を見て、何故か悲しみより安心感が勝った。

 

火葬場で父の遺影を持って歩いていたらその場に居合わせた小学校入学前くらいに見える見知らぬ子どもに「おじいちゃん!」と言われた。

思い切り笑った。確かに父は孫が居てもおかしくない年齢だった。

私もはらからも未婚だ。

たくさん苦労をかけたからせめて孫の顔を見せてあげたかった。

恋愛すら恐ろしくてできない私にはもうずっと無理だろうが。

お父さん、ごめん。

 

幼いころからつい最近までの父との思い出が一気に押し寄せてくる。

保育園に通っていたころは休日によく公園に連れて行ってもらった。

高所恐怖症なりにへっぴり腰になりながらアスレチックを楽しんだ。

その頃のものと思われる私とはらからの写真が父のiPod Touchのロック画面に設定されていた。

 

私が小学校に上がったころ、父は医者に進められて散歩を始めた。

一人で歩いていると不審者に間違われてしまうので先代犬を飼い始めた。

先代犬と歩いていても不審者に間違われていた。

 

私にビートルズを教えてくれたのは父だった。

私が中学に上がる直前くらいに持っていたビートルズのCDを出して来てくれた。

不登校時代にはそのCDに随分助けられた。

Here Comes The Sunの弾き歌いを練習していた頃、「懐かしいねぇ。ジョージがエリック・クラプトンと一緒に来日した時に演奏してね。最初のピアノの音で観客も分かって歓声を上げてさぁ。」と話してくれた。

「それはHere Comes The SunじゃなくてWhile My Guiter Gently Weepsじゃない?」と私は応えた。

 

大学に入ってからは一緒にポールの来日ライブに行くようになった。

最初に一緒に行った2014年のライブはポールの急病で中止になってしまった。

父は「チケットの払い戻しがあったからねぇ。」と言ってBBCラジオに出演した際のビートルズの発言集を買ってきた。

めっちゃ分厚い上にデカい本だった。

私はというとポールがもう死んじゃうんじゃないかと本気で心配していた。

そのポールより先に父が死ぬとは思ってもみなかった。

 

ポールはその後無事に復帰してライブ活動を再開した。

私と父は2015年と2017年、2018年の来日ライブに一緒に行った。

一緒に行ったのはお互いに付き添いが必要だったのもある。

それでも父と共にポールに会いに行くのは楽しかった。

父に買ってもらったツアーグッズは今でも大切に使っている。

ライブの後はずっとポールのこととかビートルズのこととかを話していた。

「ライブの終盤にHelter Skelterを歌い出したのはビックリしたね。」とか「Let 'Em Inのブラスバンド良かったね。」とかそんなことを話していたと思う。

ポールの公演ではステージの横のスクリーンに日本語同時通訳が表示されていたが、英語がそこそこできた父は字幕より先にポールのMCに反応していた。

コロナ禍が終わったらまた父とポールの来日ライブに行きたいと思っていた。

父とでなければ、私は誰とポールに会いに行けば良いのだろう?

 

父が亡くなった後、私はAcross The Universeをよく口ずさむようになった。

ある時家族で行ったカラオケボックスで父が私にリクエストした歌だ。

ジョンの歌が私の声質に合ったらしく、父は聞き入ってくれた。

ポール派の私はそれにすこし不満だったが、自分の声に合う歌を見つけられて嬉しかった。

父は今、宇宙のどこかを渡っているのだろうか。

もしそうなら、平安な場所に居てほしい。


www.youtube.com

自分の信仰と性自認の話

夜中のテンションでまた書きたいこと書きます。

因みに今日のBGMはRAGFAIRです。

先ほどのYoutube配信、至福の時でした(о´∀`о)

 

さて、私はクリスチャンです。

聖書にはこんなことが書かれています。

 

神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。

創世記 1章27節

 

私の「男でも女でもない気がする」という性自認とは矛盾していますね。

 

これは、困った。

本当に困る。

 

私がQuestioningにしろXジェンダーにしろ、それを自認することは聖書の記述に反することなのです。

聖書と矛盾する行動はクリスチャンとしては何としても避けたいところです。

 

実は私は小学校高学年の頃からうっすら自分の性自認について気付いていました。

自分はどうも周りの人と違う感覚の持ち主だと気付いていました。

大学生になり、クリスチャンになった後もその違和感を持ち続けていました。

でも、無視をしていました。

何とか「女性のふり」ができていたからです。

 

そして、多分2年前くらいのことです。

とある出来事をきっかけに、私は自分の性自認を無視することはむしろ神様に対する罪なのではないかと気付きました。

何があったかは書きませんが、私は「女性のふり」をすることでこっそりと罪を犯していました。

あ、この場合の「罪」とは法律に定められるような犯罪のことではなく、聖書に書かれているような「人が神を離れたことにより犯す罪」、そんな類の罪です。

 

私は神様に罪を告白する祈りをし、その罪を神様が購うことを願いました。

同時に自分がこの性を自認して良いのか、神様が定めたパートナーと出会うのに大きな支障となるであろうこの妙な感覚を持っていても良いのか、祈り尋ねました。

祈り終えた後、胸のつかえが取れた感覚がありました。

私の祈りに対する神様の答えは"yes"だったのだと思います。

 

そういうことがあり、私はクリスチャンとしてのアイデンティティーとQuestioningあるいはXジェンダーとしてのアイデンティティーを両立させています。

クリスチャンの方にもクリスチャンでない方にも理解し難いことかもしれませんが、とにかくそういうことです。

 

さて、世間的にはクリスチャンとLGBTQ+は相入れないグループだと思います。

これもまたかなり困ります。

私はどちらのコミュニティにおいても自分の複雑なアイデンティティーを打ち明けられないのです。

 

クリスチャンコミュニティに関しては、一度信頼できるクリスチャンの友人の何人かと集まった時に自分がXジェンダーであることを話したことがあります。

そもそもXジェンダーという概念が知られていないので、正直あまり理解された気はしないのですが_(:3 」∠)_

そして自分の教会においては一度も話したことはありません。

私の「どの人も異性にも同性にも感じる」という性質のせいで色々誤解されたことがあったみたいなのですが、教会の人たちがセクシャルマイノリティーに対してどのように思っているか分からない以上、打ち明けるのはとても怖いです。

 

そしてLGBTQ+界隈の方には、私は一度も参加したことがありません。

何というか、私のような気弱なクリスチャンが行って良い場所なのか分かりません。

自分の信仰や嗜好的にあまり性的な話はできないですし…。

でも新型コロナウィルス流行が収まったら新宿二丁目には行ってみたいですね。

やっぱり自分のセクシャルマイノリティーとしてのアイデンティティーを探求してみたい気がします。

 

ここまで書いたので、ついでに自分が所属する他のコミュニティについてもお話しします。

 

まずはサークルとバイト先について。

こちらはほとんどがクリスチャンではありません。

そして、どちらにおいても障害児・者支援に関わっています。

「クリスチャンじゃない人なら話せるんじゃないか?」と皆さんお思いでしょう。

ところがどっこい、障害児・者支援においては「同性支援」が求められる場面があるのです。

 

QuestioningあるいはXジェンダーであるキンモクセイにとっての「同性」ってなんじゃらほい(@ ̄ρ ̄@)

 

深夜のため口調がおかしくなってきましたが、「自分は女性でも男性でもない」とサークルやバイト先で明かすと今まで通りに支援を続けられなくなる可能性もあるのです。

それは絶対に嫌です*\(^o^)/*

サークルやバイト先は私にとっては神様が遣わした場所であり、仕えるべき大切な人たちが居る場所であり、自分らしくいられる貴重な場所なのです。

 

そんな大切な場所であるだけに、「女性のふり」が辛くなることもあります。

もう7年目だし、そろそろ卒業しちゃうし、信頼できる誰かに打ち明けてしまって楽になりたい気もします。

でも自分が楽になるためにカミングアウトをするのは良くないような気もします。

さてさて、どうしましょうか?

 

さて、もう一つお話ししたいのは元はてなハイカーさん達のコミュニティです。

もう最近は開き直って自分がフワフワした性自認であることを明かしています。

なんかもう、限界でした。

「女性のふり」をするの、めちゃくちゃ辛いです。

 

はてなハイクやその後継先でもよくthe BeatlesRAGFAIRにキャッキャッウフフしてますが、実は彼らを男性としてはあまり意識してません。

どこか自分と近い属性であり、素敵な音楽や言葉を生み出す人達として尊敬し憧れています。

でも「異性として憧れている」みたいな態度を取った方が色々と楽で、最近までそんな感じに振る舞っていました。

 

せめてハイカーさん達に対しては、正直に振る舞いたくなったのです。

繰り返しますが、「女性のふり」が本当に辛いのです。

 

なんか信仰の話から離れてきてしまいましたね_(:3 」∠)_

先に書いた自分の性自認について神様に祈った時、次のようなことも考えました。

 

「いつか自分の性自認がどちらかに安定したら、その時に神様が定めるパートナーと出会うのかもしれない。」

 

そんなことは起こらないかもしれません。

自分のフワフワした性自認を受け入れてくれるようなパートナーと本当は出会いたいです。

でも、神様の御心は分かりません。

イカーさん達には、その辺の私の揺らぎも温かく見守っていただけたらと思います(笑)

 

ではでは、おやすみなさいませ。

RAGFAIRはやっぱり良いなぁと思いながら寝ます(_ _).。o○

自分が恋愛を諦めそうな理由と自分の性自認

課題が終わって自分で自由に文章を書きたくなったのでこんな時間にブログを書きます。

BGMは課題をやっていた時と同じくthe Beatlesです。

 

鍵をかけてやっているハイカー向けTwitterアカウントで昨夜、「そもそも恋愛と結婚はいまのところできないと思っている。諦めた方が気が楽なこともある。」みたいなことを書いたと思います。

多くの方が「20代で何言ってんだてめえ!」「大学生なんだから出会いなんていくらでもあるだろう!」と思ったことでしょう。すみません。

それと、心配してくださった方にもごめんなさい。

 

でもこれはここしばらく、あるいは10年ほど抱いていた自分に対する疑念なのです。

 

直接的に何があったのか書くと知っている人に見つかって大変なことになるので、とりあえず去年の夏にとある尊敬するアーティストのライブに行った時のことを書きます。

因みにそのアーティストは土屋礼央さんという私が中学生時代から大好きな人です。

アカペラグループRAGFAIRで一番よく喋る人です。

 

その日は少し風邪気味で身体的にも精神的にも調子が悪かったのかもしれません。

あるいは表参道のきらきらしておしゃれな人しか受け付けないような雰囲気にやられたのかもしれません。

とにかく好きな人のライブに行くには十分なコンディションではありませんでした。

 

ライブ会場は小さめのライブハウスで、平日昼間ということもあって小さな子どもの姿もありました。

この距離の近さが良くなかった。

 

礼央さんが登場!

一瞬客席を見る礼央さん!

ばっちり目が合ってしまった私!

しかし突然のことで驚いたのとメンタルコンディションの悪さとで思わず嫌そうな表情をしてしまった私!

少し落ち込んだように見えた礼央さん!

歌い始めてもなんだか声がうまく出ない様子の礼央さん!

「あ、あれ?私のせい…ではないよね…?」と内心焦る私!!!

 

…というのが一部始終です。

さっきまでアカデミックな文章を書いていたので反動でかなり砕けた文体になりましたね…。

 

ちなみにこんなこと書いていますがライブはとても楽しかったです♪

礼央さんが『フレンド・ライク・ミー』を歌ってくださったのが嬉しかった(*´ω`*)

 

それでですね、きっと「普通」の方は10年以上好きなアーティストのライブに行ってそのアーティストと目が合ったりしたらどんなに調子が悪くても反射的に大喜びできると思うのです。(そうじゃなかったらごめんなさい。)

なんで私は反射的に嫌そうな顔をしてしまったのでしょうね。

 

後から振り返ると私は「群衆の一部」あるいは「名もない雑草」で居たかったのでしょう。

礼央さんから見れば私は認識もされないし、ましてや好意も抱かれないような存在でいたかった。

そうすれば安心して礼央さんの歌を聴けるし、礼央さんを応援することができる。

でもあの日、私は一瞬だけだけど礼央さんに一個人として認識されてしまった。

「名もない雑草」から「一輪の月見草」になってしまった。

そんなシャレオツな称号は私に相応しくない!!!

この称号を早く捨ててしまいたい!!!

こんな感じで私は不安に陥ったのかもしれません。

 

あえて礼央さんの話をしましたけれど、つまり似たようなことが実際の友人関係においてもあった訳でございます。

私は「名もない雑草」として接していたつもりだったのに、いつのまにか「一輪の月見草」になっていたのです。

私は誰かの「一輪の月見草」が務まるほど自分が好きではないし、それほど自分が成熟しているとも思っていません。

こんな状態で恋愛しても相手と自分を傷つけるだけだ。

そういう訳で、私は恋愛や結婚に憧れつつそれらを無意識に避けていたような気がします。

自分で書いてても「クソめんどくさい奴だなあ」と思ってしまいます(´・ω・`)

 

さて、では私はなぜ自分のことを「名もない雑草」と思い込みやすいのでしょうか。

これは私自身の自信の無さと同じくらいに自分の性自認が関わっていると最近気づきました。

私はどうも「あらゆる人が同性にも異性にも感じる」感覚の持ち主のようです。

何か用語を当てはめるとしたら「クエスチョニング(Questioning)」か「Xジェンダー」でしょうか。

おそらく同性愛者やトランスジェンダーと比べると研究が進んでいない性自認のタイプで、私も自分のアイデンティティーがよく分かっていないのですが…。(良い本がありましたら教えてください!)

 

そして「自分は男性か女性かよく分からんし、なんか中間部に居る気がする」と思っていると、自然と「他人もきっと自分を女性か男性かよく分からない存在として見るだろう」と思い込んじゃうんですね。

でも私は自分で思っているより女性的な見た目なようですね。

声は低いし、ズボンをよく履くし、粗雑な話し方をしているにも関わらずです。

 

ポールにキャッキャッし過ぎてるのかなあ。

ま、いいや。

 

とにもかくにも、誰かが私を「一輪の月見草」と見る時、それはその人が私を「女性として好き」という訳ですよね?

そしてそういう場面に直面した時、私は「女性か男性かのどちらかの性」に見られることを嫌うのかもしれません。

誰かの「一輪の月見草」になるとき、私は自分の「女性ではない部分」「ジェンダー的にあやふやな部分」を捨てなければいけなくなるのでしょう。

自分のアイデンティティーの中核部分を隠したり捨て去ったりして誰かとパートナーシップを結ぶのは、今の私には割り切れないです。

 

じゃあ自分の性自認について友人みんなに話せば良いじゃないかとも思うのですが、自分でもよく分かっていないあやふやなものを他人に話すのはそこそこ負担がかかります。

そしてよく分からないままで話すと誤解を生んだり理解してもらえなかったりするでしょう。

あと、まあ、クリスチャンの友人にはちょっと話しづらい類の話題でもありますしね。

 

夜中の勢いで書いているからちゃんと説明できているか分からないや。

それと自分がクエスチョニングかXジェンダーだとすると、ハイカーさんたちにもリアル友人にも「ポールかっこいいよおおおおおおおおお!!!愛してるよおおおおおおおお!!!」みたいなことを言ってきたのは何なのか説明もできないなあ。

いつか諸々すっきりする時がくるのかな。

今日は寝るかな。

明日も授業だわ。

 

おやすみなさいませ。

明日が良い一日になりますように。

2020年3月10日、11日デボーション

どうにもこうにも疲れていて、サボってしまいました_(:3 」∠)_

一昨日と昨日読んだ箇所をまとめて投稿します!

 

十二月すなわちアダルの月の十三日、王の命令と詔の行われる時が近づいたとき、すなわちユダヤ人の敵が、ユダヤ人を打ち伏せようと望んでいたのに、かえってユダヤ人が自分たちを憎む者を打ち伏せることとなったその日に、

ユダヤ人はアハシュエロス王の各州にある自分たちの町々に集まり、自分たちに害を加えようとする者を殺そうとしたが、だれもユダヤ人に逆らうことのできるものはなかった。すべての民がユダヤ人を恐れたからである。

諸州の大臣、総督、知事および王の事をつかさどる者は皆ユダヤ人を助けた。彼らはモルデカイを恐れたからである。

モルデカイは王の家で大いなる者となり、その名声は各州に聞えわたった。この人モルデカイがますます勢力ある者となったからである。

エステル記9章1-4節

 

ユダヤ人たちが大逆転しましたねo(`ω´ )o

ハマンに木に架けられるところだったモルデカイも、確かな地位を得たようです!

 

王は王妃エステルに言った、「ユダヤ人は首都スサで五百人を殺し、またハマンの十人の子を殺した。王のその他の諸州ではどんなに彼らは殺したことであろう。さてあなたの求めることは何か。必ず聞かれる。更にあなたの願いは何か。必ず聞きとどけられる」。

エステルは言った、「もし王がよしとされるならば、どうぞスサにいるユダヤ人にあすも、きょうの詔のように行うことをゆるしてください。かつハマンの十人の子を木に掛けさせてください」。

王はそうせよと命じたので、スサにおいて詔が出て、ハマンの十人の子は木に掛けられた。

アダルの月の十四日にまたスサにいるユダヤ人が集まり、スサで三百人を殺した。しかし、そのぶんどり物には手をかけなかった。

王の諸州にいる他のユダヤ人もまた集まって、自分たちの生命を保護し、その敵に勝って平安を得、自分たちを憎む者七万五千人を殺した。しかし、そのぶんどり物には手をかけなかった。

エステル記9章12-16節

 

ハマンの子どもたちとユダヤ人の敵が皆いなくなったことで、ユダヤ人に平和が訪れたようです。

それにしても、旧約聖書は簡単に人が死ぬ気がする…。血生臭いぜ…。

 

これはアダルの月の十三日であって、その十四日に休んで、その日を酒宴と喜びの日とした。

しかしスサにいるユダヤ人は十三日と十四日に集まり、十五日に休んで、その日を酒宴と喜びの日とした。

それゆえ村々のユダヤ人すなわち城壁のない町々に住む者はアダルの月の十四日を喜びの日、酒宴の日、祝日とし、互に食べ物を贈る日とした。

モルデカイはこれらのことを書きしるしてアハシュエロス王の諸州にいるすべてのユダヤ人に、近い者にも遠い者にも書を送り、

アダルの月の十四日と十五日とを年々祝うことを命じた。

すなわちこの両日にユダヤ人がその敵に勝って平安を得、またこの月は彼らのために憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変ったので、これらを酒宴と喜びの日として、互に食べ物を贈り、貧しい者に施しをする日とせよとさとした。

 そこでユダヤ人は彼らがすでに始めたように、またモルデカイが彼らに書き送ったように、行うことを約束した。

これはアガグびとハンメダタの子ハマン、すなわちすべてのユダヤ人の敵がユダヤ人を滅ぼそうとはかり、プルすなわちくじを投げて彼らを絶やし、滅ぼそうとしたが、

エステルが王の前にきたとき、王は書を送って命じ、ハマンがユダヤ人に対して企てたその悪い計画をハマンの頭上に臨ませ、彼とその子らを木に掛けさせたからである。

このゆえに、この両日をプルの名にしたがってプリムと名づけた。そしてこの書のすべての言葉により、またこの事について見たところ、自分たちの会ったところによって、

ユダヤ人は相定め、年々その書かれているところにしたがい、その定められた時にしたがって、この両日を守り、自分たちと、その子孫およびすべて自分たちにつらなる者はこれを行い続けて廃することなく、

この両日を、代々、家々、州々、町々において必ず覚えて守るべきものとし、これらのプリムの日がユダヤ人のうちに廃せられることのないようにし、またこの記念がその子孫の中に絶えることのないようにした。

エステル記9章17-28節

 

この「プリム」というお祭りはユダヤ人の間で現在でも続いていて、丁度グレゴリオ暦2月か3月に行われるそうです。

今年は3月9日から10日だったそうな!

華やかなお祭りを想像すると、ワクワクしてきます(о´∀`о)

 

さて、昨日読んだ箇所はめっちゃ短いです_(:3 」∠)_

3節だけです_(:3 」∠)_

 

アハシュエロス王はその国および海に沿った国々にみつぎを課した。

彼の権力と勢力によるすべての事業、および王がモルデカイを高い地位にのぼらせた事の詳しい話はメデアとペルシャの王たちの日誌の書にしるされているではないか。

ユダヤ人モルデカイはアハシュエロス王に次ぐ者となり、ユダヤ人の中にあって大いなる者となり、その多くの兄弟に喜ばれた。彼はその民の幸福を求め、すべての国民に平和を述べたからである。

エステル記10章1-3節

 

モルデカイは民衆に寄り添った良い為政者となったようです!

モルデカイに関することはペルシャの歴史書にも書いてあるようですね。

どんな風に書かれたのかしら?

 

さてさて、こんな感じでエステル記は終わりました。

命をかけてユダヤの人々を守ったエステルのように、私も信仰のために生きられるようになりたいです。

 

2020年3月9日デボーション

どうにもこうにも眠くてブログをサボってしまいました_(:3 」∠)_

3月9日の分はある程度書いてあったので、とりあえずこの日の分だけ投稿します。

さてさて、ハマンは罰せられたのですが、ユダヤ人掃討令は撤回されていません…、

 

その日アハシュエロス王は、ユダヤ人の敵ハマンの家を王妃エステルに与えた。モルデカイは王の前にきた。これはエステルが自分とモルデカイがどんな関係の者であるかを告げたからである。

王はハマンから取り返した自分の指輪をはずして、モルデカイに与えた。エステルはモルデカイにハマンの家を管理させた。

エステル記8章1-2節

 

モルデカイにハマンがしていた指輪が与えられました!

多分、ハマンがそれまで持っていた権限をモルデカイに与えるということでしょう!

 

そして言った、「もし王がよしとされ、わたしが王の前に恵みを得、またこの事が王の前に正しいと見え、かつわたしが王の目にかなうならば、アガグびとハンメダタの子ハマンが王の諸州にいるユダヤ人を滅ぼそうとはかって書き送った書を取り消す旨を書かせてください。

どうしてわたしは、わたしの民に臨もうとする災を、だまって見ていることができましょうか。どうしてわたしの同族の滅びるのを、だまって見ていることができましょうか」。

エステル記8章5-6節

 

エステルは必死に王に訴えます。

エステルの言葉から、自分の一族への愛と一族が置かれた過酷な状況への悲しみが伝わってきます。

 

アハシュエロス王は王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った、「ハマンがユダヤ人を殺そうとしたので、わたしはハマンの家をエステルに与え、またハマンを木に掛けさせた。

あなたがたは自分たちの思うままに王の名をもってユダヤ人についての書をつくり、王の指輪をもってそれに印を押すがよい。王の名をもって書き、王の指輪をもって印を押した書はだれも取り消すことができない」。

エステル記8章7-8節

 

エステルの訴えはアハシュエロス王に届きました!

強い効力を持った王の指輪もエステルに使わせるようです。すごい信頼!

 

その時王の書記官が召し集められた。それは三月すなわちシワンの月の二十三日であった。そしてインドからエチオピヤまでの百二十七州にいる総督、諸州の知事および大臣たちに、モルデカイがユダヤ人について命じたとおりに書き送った。すなわち各州にはその文字を用い、各民族にはその言語を用いて書き送り、ユダヤ人に送るものにはその文字と言語とを用いた。

エステル記8章9節

 

当時のペルシャってインドやエチオピアも領土だったんか…!

後のローマ帝国と良い勝負では!?

それぞれの地域の言語に合わせて書簡を書かせるところにエステルの思慮深さが分かります。

 

その書はアハシュエロス王の名をもって書かれ、王の指輪をもって印を押し、王の御用馬として、そのうまやに育った早馬に乗る急使によって送られた。

エステル記8章10節

 

やっぱり馬使いますよねー!徒歩ではハマンの命令を止められませんもんねー!

郵便やインターネットが発達した現代目線からだと忘れがちですが、この時代では一度出した命令を取り消すのってどうしても時間がかかってしまいますね。

王の御用馬ってことは、相当速く走れるのかしら?

 

その中で、王はすべての町にいるユダヤ人に、彼らが相集まって自分たちの生命を保護し、自分たちを襲おうとする諸国、諸州のすべての武装した民を、その妻子もろともに滅ぼし、殺し、絶やし、かつその貨財を奪い取ることを許した。

ただしこの事をアハシュエロス王の諸州において、十二月すなわちアダルの月の十三日に、一日のうちに行うことを命じた。

この書いた物の写しを詔として各州に伝え、すべての民に公示して、ユダヤ人に、その日のために備えして、その敵にあだをかえさせようとした。

エステル記8章11-13節

 

11節でユダヤ人が身を守るために武装した民を殺しても良いと許可していますが、自分を殺そうとしている相手に対しては穏当に対応できませんもんね…。

期間を定めたのは、殺し合いが長く続かないようにかしら?

 

モルデカイは青と白の朝服を着、大きな金の冠をいただき、紫色の細布の上着をまとって王の前から出て行った。スサの町中、声をあげて喜んだ。

ユダヤ人には光と喜びと楽しみと誉があった。

いずれの州でも、いずれの町でも、すべて王の命令と詔の伝達された所では、ユダヤ人は喜び楽しみ、酒宴を開いてこの日を祝日とした。そしてこの国の民のうち多くの者がユダヤ人となった。これはユダヤ人を恐れる心が彼らのうちに起ったからである。

エステル記8章15-17節

 

ユダヤの人々の間に喜びがあふれました!

やったね!